恋に落ちた変人
「何だ、動機が不純だとでも言いたいのか? 一応、京都出身であることを買われて私はこのサークルに入会できたのだぞ。しかも当の彼女の紹介で」
当初は何のサークルかもわからなかったこの『名友会』は、サークル活動を通じて名古屋の良さを発掘しようという、薄っぺらいコンセプトを元に地域振興を目的とした旅サークルだった。
名古屋というのは、京都出身の私から言わせてもらえれば住みやすいの一言だ。
張り巡らされた地下鉄によって主要地域へのアクセスは格段によく、新幹線を使えば西は京都・大阪・福岡まで、東は静岡・東京まで直ぐに向かえる交通の便の良さは魅力だろう。
だがしかし、食べ物や観光名所となると話は違ってくる。
利便性を訴えるには最高の都市だが、名物となるとそこまで目ぼしいものがないというのが私の評価だ。その利便性についても、郊外となると格段にアクセスが悪くなる。
日本一の大企業トヨタの城下都市であるが故か、それとも実は田舎だからか、車がないと不便なことこの上ないのだ。この地が完全に車社会なのは否めない。
今回自然薯のポタージュを購入した、愛知屈指の紅葉の名所である香嵐渓にも、レンタカーを借りていく羽目になりいらぬ出費を伴った。
おかげで食費を切り詰め至高のもやし炒め丼を主食にする羽目になったし、過去には光熱費を削って酷暑で名高い名古屋の猛暑に足水で立ち向かうことになったのだ。
このサークル活動に従事するにはとにかく、金がかかる。
アクセスのいい市内の名所は早々に行き潰しており、あとは郊外を残すだけだからな。
「おい、まさかこの花凪が浮ついた気持ちでサークル活動しているとでも言いたいのなら、その喧嘩を買うぞ。私の貧乏を舐めるなよ?」
「わかった、わかった。君が苦労してこのサークルに在籍しているのは認めよう」
でも、と。未だにイケメン天狗の視線は敵意を放っている。
「君はさ。その子のことをなぜ探すんだ? しゃべったのって一瞬だったろう?」
「……そうだな」
会ったのはほんのひと時、会話を交わしたのはほんの数言だけ。
それでも彼女は、私にとって忘れがたい。
「きっかけは京都から初めてこの名古屋と大学に来て、右も左もわからなかった私を、彼女が案じてくれたことだ」
「……それで惚れたとでも言うのかい?」
「わからない、というのが本音だな」
「え? そこまで必死で探しているのに?」
正直、彼女に対する気持ちが一目惚れと言ってしまえばそれまでなのだが、そう表現するには自分でも驚くほどしっくりこない。
「そうだな……彼女はこの名友会なら名古屋のことも知れるし、地元の友達もできるかもよと、会ったばかりの私に優しかった。うん、惚れたかどうかはわからないが、もし大学で……この名古屋で恋愛をするなら彼女としてみたいと思う」
「へえ……でもさ、別に彼女にそんなつもりはなかったとしたら? ただ、いきなり現れた君にかける言葉がなくて、話題に困っただけじゃないのか?」
「ふむ、確かにその可能性もあるな。だが私が彼女に惹かれたのはそれだけじゃないんだ」
大学というものはサークルに入らなければ、なかなか友達が作れないと聞く。
京都ではできなかった普通の友達を作ろうと、胸をときめかせあの古都を飛び出したのはいいが、運動系サークルでは明確にノリの違いを感じ、文化系サークルでは空気が合わず、わずかな焦りを覚えながら訪れた名友会の部室だった。
ここでダメなら致命的だ。
ただでさえ常人には敬遠されがちな私なのだから、誰かと一緒にいれる環境でもないと、さらに友人作りの難易度は上がるだろう。
アパートの隣人とはある程度交友を持てたが、あれは地元の人間と同じ匂いがする。
正直、京都の時のような人種は御免被る。
天才じゃなくていい。凡人でいいので普通の友達が欲しい。
出会った女性と、恋をしてみたい。
──新しい恋で上書きできれば、アイツのことを忘れられるかも知れないから。
そう思い、訪れた名友会の部室で私は彼女と出会った。
『──あれえ、もしかして友達が一人もないの?』
そう言ってニマッと目を細めた彼女を、私は今でも思い出せる。
新しいおもちゃを見つけたような、イタズラな笑みを浮かべた彼女がいた。
普段の私であればムっとしただろうが、少し懐かしさを覚える彼女にそのまま瞳を奪われた。
『へえ、京都から? じゃあ名友会に来なよ。名古屋のことも知れるし、地元の友達も作れるよ?』
彼女のいうように名古屋に染まることができれば、煩わしい京都の実家から精神的にも独立できるかもという淡い期待と、彼女と一緒ならこの見知らぬ土地も楽しめるだろうという予感があった。それは京都でのトラウマを忘れたかった私にとって、まさに地獄に仏だったのだ。
『ふふ、でも天才を自称するなんて、君は面白い人だね』
あの時、彼女に抱いた印象は今でも鮮明に脳裏にこびりついている。
人懐っこさを含んだ笑顔のまま、彼女は一つの問を投げかけてきたのだ。
『でも、じゃあ天才の君にはわかるのかな。ちょっと教えて欲しいのだけど』
しかし、次に私に問いかけた時にはもう、彼女はその表情を一変させた。
あの人の声には、その表情には──人に対する明確な嫌悪感と、まるで未来を諦めたかのような倦怠感が存在しているように感じた。
『君なら──と言われたらなんて返すんだい?』
最初のほんわかとしたイメージを秒で打ち砕いた彼女にあまりに意表をつかれて、そもそも初対面の女性との会話に慣れていない私はその問いに答えられなかった。
『あ、あの……』
『……なあんて、ごめん、ごめん。ちょっと待っててね。部長を呼んでくるから』
そう言った彼女に当時の部長(金髪貞子の乱によって既に退部)を紹介され、ならば是非と告げて、私は名友会に入ったのだ。
あと少し時間があれば答えられたのに、彼女との会話はあそこで終わってしまった
なぜなら彼女は当時の部長が来た時にはもう、どこかに行って姿を見せなかったのだ。
私には、未だあの時の自分の不甲斐なさがしこりとなって心に残っている。
もう一度、会いたい。
会話をしたい。
私の答えを彼女に伝えたい。
もし何か助けが入りようなら力になりたい。
──彼女に認められたい。
翌日、てっきり名友会に行けばまた会えると思いきや、彼女を見たのはその日が最後になった。
「あの日以来、私は彼女を見ていない。だからずっと探しているのだが……はっ! まさかイケメン天狗……貴様はあの山田花子と!?」
「山田花子……? って、また勝手にあだ名をつけたのか!?」
「だって私は彼女の名すら知らんのだ。それより答えろ! まさか、すでに貴様が付き合っているとかいうのではないだろうな!?」
このサークルの四大美女のうち、女帝と恋人を常にそばに侍らせているイケメン天狗のことだ、サークル関係者らしい彼女がその毒牙にかかっていてもおかしくはない。
「べ、別に僕の彼女とかいうオチはないよ」
「よ、よかったあ!」
「いや、泣くなよ……」
号泣する私にイケメン天狗がドン引きしている。
愛しの花子に彼氏がとか、この天才には致死量の真実だ。
私が死ねば、この才能が失われれば、まさに世界の損失であろう。
「危うかったなイケメン天狗。稀代の天才を失い世界に損失をもたらすところだったぞ!」
「危ういのは君の頭だよ」
「なんだと!?」
私の凄さを理解できぬとは、やはりこいつも凡夫の類か。
類稀なる美顔を持つ彼はまさに一種の天才と言えるだろうが、この花凪とは違うジャンルであることは間違いない。
たとえ天才同士でもわかりあうことはできないのだ。
というかこいつだけとはわかり合いたくない。
その理由がまさに今、生まれた。
「ところでイケメン天狗、まるで彼女のことを知っているような口ぶりではないか」
「──ああ、まあね」
「な、なんだその勝ち誇った顔は!?」
「いや……別にぃ?」
おそらくこのサークル内の誰にも見せたことがないであろう、いやらしい笑み。
こいつもこんな顔をするとは少しばかり驚いた。
今まで私がどれほど絡んでも、得意の爽やか清涼王子スタイルでいなされてきたのに。
「おい教えろ。彼女は一体どこにいる?」
「あれ、名前を聞こうとはしないのかい?」
「名前を聞いてしまったら、〈あ、あの時はお名前を聞きそびれてしまいました〉というセリフが使えないではないか」
「ぷっ、ふふふ、君は相変わらず面白いね」
「笑うな! お前のようなイケメンには当然できることが私にできると思うなよ!?」
私を舐めるな。
ほぼ初対面の女性との会話のボキャブラリーなんてものは最初から枯渇していて、沸いてくる気配などない。
例えば彼女と再会できた時のこと。
『あの時の質問の答えなのですが──』
『へえ、そう思うんだね! わざわざ考えてくれたの? ありがとう!』
『あ、はい……』
『…………』
『…………』
『……え?』
困ったように私を見るドン引きした彼女のイメージ図を添えて、私が陥る無言地獄は容易にシミュレーションできた。
ならばたとえ些細であっても、会話の糸口は残しておかねばならない。
「いや自信満々に言うなよ!? でも君は……そうか、そこまで真摯に彼女のことを考えているなら、教えてあげても──」
「何! 本当か!?」
期せずして彼女への手がかりをイケメン天狗からもたらされる。
降って湧いたその好機に心が瞬時に跳ね上がった。
──その時だった。
『くおのアホウがあ! 何をするのじゃああ!』
「ぐほっ!?」
空中幼女が出ていった窓とは反対の窓からダイナミックに私の背中へ突撃してきた。
突然の激痛に悶える暇もなく、つんのめってイケメン天狗に飛び込んでしまう。
『危うく菓子を噴きかけるところだったじゃろがあ!』
「っ!?」
そのまま、私はあろうことかイケメン天狗を押し倒してしまったのだ。
「え、なに!? 花凪と埴太郎くんが……これってハナ×ハニ!?」
誰や、勝手にカップリングしたやつ。
これは唯一私に向けられた黄色い声かもしれないが、こんなのちっとも嬉しくない。
それに聞き覚えのある声ではあったが、眩い金髪を靡かせる彼女のイメージとあまりに違うので触れないようにしておく。
というか、それどころではなかったのだ。
外野の悲鳴を耳にしながら、背中の痛みをジンジンと感じつつ、私はイケメン天狗と見つめ合っていた。
彼の目が驚きに見開かれたと同時に、私の心臓がドキリと大きく鼓動するのを感じた。
「……っ」
お互いに声にならない声が喉の奥で止まり、頬が瞬く間に熱くなるのが自分でも分かる。
──イケメン天狗の頬も真っ赤に染まっていた。