初勝利?
あの気色悪い中年男と対峙した週明けの月曜日、早くもサークル内には噂が伝播していた。
『すげえな、宮村。自分のストーカーをやっつけたらしいぜ。女帝のあだ名は伊達じゃねえな』
『ああ、しかも他の女性も被害に遭ったけど証拠を掴めなくて泣き寝入りしてたらしい……いや、まじですげえよ」
聞き耳を立てていると、どうやら彼女がストーカーを撃退したという話になっているらしい。
随分と手際のいいことだ。きっとこの噂を流した人物は宮村から詳細を聞いて、すぐに都合よく改変して、噂を流し暗躍したのだろう。
腕を組んで床を見つめながら噂について考えていると、小ぶりで可愛らしい女性が私の視界に顔を覗かせた。
「やあやあ花凪くん。色々とありがとう……それと、ごめんね。本当のヒーローは花凪くんなのに」
申し訳なさそうにする有栖川姫花はいかにも可愛らしい小動物系美少女に見えるが、都合のいい噂を流して人心をコントロールするなど、なかなかに強かな女性なようだ。
「別にいいさ。強い宮村でいてくれた方が、女子にとっても心理的安全が保たれるのだろう。このサークルの秩序もな」
「……本当に鋭いんだね、花凪君は」
「天才だからな」
有栖川の目的は容易に想像がついた。
パパ活疑惑のあった宮村が、実は裏でストーカー退治を行なっていたなど大どんでん返しである。
宮村のイメージはマイナスから一気にプラスへと転じるだろうし、今回はそれだけじゃない。
ストーカーが身近にいたと怯える他の女子たちから更に信頼されることになり、わずかでも存在していた宮村を疎ましく思うグループが壊滅し、女帝としてのブランドを大幅に強めた。
仮にもし女帝がストーカーに怯えて泣く女性であった場合、同情はされるだろうがこんな風に権威を強めることはなかっただろう。
パパ活の噂もそうだったが、相手が弱っているところに付け込んでよからぬ活動をするものだっている。しかし、ここまでくれば安泰だ。
名友会の宮村明里は自力でストーカーをやっつけたと有名人になっていく。
残念なことに、私以外仲の良さそうなこのサークルだって一枚岩ではないようだ。
宮村明里の存在によって強制的に一枚岩になっているという表現が正しいだろう。
大学生というのは基本怠惰で自堕落で自己中心的だ。
授業に校則にと、雁字搦めで高校時代を過ごした人間にとって、大学で得られる自由というものは身持ちを崩す原因になりやすい。
高校時代は遅刻欠席のない優等生が、自由を得た瞬間に真逆の人間に陥るのはよくある話だ。
身持ちを崩し挙句に風紀を乱し、他者をも巻き込んだ結果、自身が所属するコミュニティに壊滅的なダメージを与える人間だっている。
どこどこのサークルの人間が警察のお世話になってそのまま大学から姿を消したという話はそれなりに伝播してくる。
体育会系のサークルなら上下関係という一定の規律が存在するが、名友会のようなふわっとした文化サークルは、ともすれば唾棄すべき盛った猿どもの巣窟になる場合もあるだろう。
とある事件により多くの先輩が壊滅したこのサークルには女帝という規律が必要不可欠である。
「そこまでわかるんだね」
「まあ簡単な予測だ。周囲の状況と比べて、なぜ美女の多いこのサークルは健全なのか。有栖川が危惧しているのはこの居心地の良さの崩壊ではないか?」
宮村明里を心配している有栖川の気持ちは本当だろうが、彼女の目的はそれだけでもないだろう。健全なサークルの維持、周囲のいわゆる飲みサーと呼ばれるものと比べると、確かに名友会は安全だ。
女性が多いのに、危ない目に遭う可能性は少ない。
このサークルには四大美女と言われる有名女性が在籍しているのでいろんな輩が入りたがる。
そんな輩を防いでいるのが宮村明里の存在なら、決してそのブランドを失墜させてはならないだろう。
部長は早々に権限を失って幽霊部員と化し、実権は宮村や有栖川が持っているようなものだ。
尚更、このサークル内での力は強くなり秩序の維持に貢献する。
と、簡単な推理を言葉にしたら「ほんと、その才能は好かれないよ」と有栖川は呆れて言った。
だから私はいつも通りに「性分である」と答えて、こちらをじっと見ている大河内の元へと向かった。
──いよいよ、本番。意を決して大河内埴太郎に向かい合う。
今まで散々と遠回りした印象を拭えないが、ストーカー退治も全てはお土産戦争にて奴に勝つことが目的だったのだ。
ついに今日、その時が来た。
「勝負だ、イケメン天狗」
お土産戦争、再び開幕。いざ出陣。
「さあ、私が用意したお土産におそれ慄くがいい」
私が差し出したのは魔法瓶だ。
用意した紙コップに、トロッとした液体が並々注がれていく。
湯気がたち、たまらず空腹感を覚える芳醇な香りが周囲に漂う。
「君、それって……」
「自然薯のポタージュ。香嵐渓にて売られている新鮮な自然薯で作られる至高の逸品だぞ」
「──ふふ」
何がおかしいのか、くすくすと笑うイケメン天狗は私からコップを受け取った。
「……うん、美味しいね。まるで心まであったまるようだ。ねえ、明里?」
「ん?」
埴太郎がいつもの爽やかイケメンスマイルを向ける先には、顔を真っ赤にした宮村がいた。
「ちょ、埴太郎!? アンタ花凪の前で何言っ……」
「宮村、私がどうかしたのか?」
おいおい、私に聞かれたらまずいことでもあるのか。怪しいぞ。
ていうか宮村、ストーカー事件を解決した暁に私への助力を頼んだのだぞ。
私の味方になってくれるはずのお前が、敵である埴太郎に通じ合うように隠し事をしているなど心中穏やかではいられないだろうが。
「な、なんでもないわよ!」
顔を真っ赤にして怒りで誤魔化すように否定する宮村からは、怪しさしか感じない。
「さてさて、このポタージュに僕のお土産では勝てるだろうか」
何やらわざとらしく困ったふりをしてイケメン天狗が取り出したのは、名古屋が誇るういろうだった。
「おい……」
今回勝てば私にトドメをさせる戦いになるというのに、こいつは何を考えているのか。
ういろうは確かに名古屋が誇る名菓だが、好きな人は少ない。
寒天を凝縮させた独特の食感は面白いが、味はほんのり甘い程度で質素と言っても過言ではない。特に私たちのような若い年代には好まれない代物だろう。
「ねえ、明里も食べて見てよ」
「……悪いけど私、ういろうってあまり好きじゃないのよね」
やっぱり宮村も好きではなかったようだ。
……て、あれ?
「おやおや、これは僕の負けかな?」
「なん、だと……」
サークルの皆は互いに顔を見合わせながら困惑しているが、私も困惑している。
もっと接戦になるかと思いきや、埴太郎がまさかの自爆にも近い形で終焉しそうだからだ。
周囲の連中も今まで埴太郎と宮村に追従してきただけに、宮村が反対したので戸惑っているようだ。
「で、どうだい明里。今回はどっちが勝利かな」
「……そうね、悪いけど花凪のポタージュの方が私は好きよ」
波が広がるように、どよどよと困惑した凡人どもの声が揺れる。
ほら、と。宮村が見学していたサークルの面々にポタージュと紙コップを配り始めた。
「わー、相変わらず美味しいね、花凪くんのポタージュは」
いつもの明るい声で有栖川が援護射撃を出してくれる。
前回うまいと呟いて撤回していた男も、宮村や有栖川の様子を恐る恐る観察しながら、うまいともう一度呟いた。
それがきっかけになったのか、皆がポタージュを啜り始め、それぞれが好意的な感想をこぼしていく。
「こ、これはまさか……」
「ああ、皆の反応を見ると……これは僕の負けだね」
「んなっ!?」
──勝った。
負け続け、サークル退会の危機に瀕した私はここにきて起死回生の勝利をもぎ取ったのだ。




