天才花凪の悔恨
「これにて一件落着……ではないよな」
『なんじゃ気づいておったのか』
「当たり前だ」
竹ノ内のストーカー自演問題は解決したが肝心の私の問題が全く解決していない。
降りかかったストーカー疑惑はこれで晴らせるが、もとより私の目的はイケメン天狗にお土産戦争で勝ち山田花子を紹介してもらうことである。
『なら此度の件、なぜあの金髪女を呼ばなかった。このままだとあの金髪女はお主と事件の解決を結びつけないじゃろ? 好感度を上げるせっかくの好機だったのに』
もちろん、それは考えた。
「でもな空中幼女。あの中年の言葉は、宮村からしたら聞きたくない言葉だろうさ」
ただでさえストーカー事件で心を弱らせていた彼女だ。
元凶との直接的な対峙は避けた方がいい。
特に彼女はあの中年を慕っていたから、あの男の言葉は余計にダメージが大きいはず。
……まあ慕うようにあの中年が操っていたのだろうが。
『それでお主の本懐が果たされなければ、そもそもお主があの悪漢を退治する意味もなかろう』
「ぬううう」
それはその通りだ。返す言葉もない。
おかげで私の立場は何ひとつ好転の兆しを見せていないのだ。
空中幼女はそんな私を責めているが、なぜかその表情は明るい。
「おい、何をニヤついているんだ。私の窮地だぞ?」
『んふふふ、格好つけた挙句に失敗しよった愚かな人間が面白いだけじゃ』
やっぱりお主はアホなのじゃと、空中幼女が朗らかに笑った。
「ええい、こうなったら再び私の才能を発揮し、今から起死回生の奇策を……」
『お主にそんな才能ないじゃろうて』
確かにそうだ。
たいていのことはなんとかなると思っているが、今回の件はどうにもならないだろう。
ストーカー疑惑を晴らした後、私はお土産戦争に敗れ、サークルを退会することになる。
そうなればイケメン天狗を介さない方法で彼女に会う方法を考えなければならない。
山田花子──私は彼女の本名も知らなければ、あの日以来会話すらしていない。
それでも、私は彼女に会いたい。
彼女に惚れたのかと言われれば、この感情を説明するのが難しい。
一目惚れ……男は昔好きになった女の子と同じタイプを好きになるというが、確かに彼女は私が傷つけたあいつに雰囲気が似ていた。
だから、花子に抱くこの感情が恋なのかはわからない。
でも私はこの新しい土地で出会った女性と、もし恋をするなら彼女としてみたい。
彼女と話をしてみたい。彼女が助けを必要とするなら、力になりたい。
それは決して果たされない贖罪のつもりなのか、それとも──。
なんとなく夜空に答えがあるような気がして、上を向いて歩いてしまう。
──彼女にもう一度会えたら、お土産を渡そう。
きっと、喜んでくれるはず。
きっと、許してはくれないはず。
頭に浮かぶのは解くべき今後の問題ではなく、そんな妄想だった。
過去と現在、思い出と今、感傷と後悔が入り混じった妄想をふつふつと湧かせては消して、私はどう転ぶかわからない明日へと歩いて行った。
──途中、足を止める。
つられて幼女も停止する。
大学から外へ出るための少し長い坂道を下っていると、夜道を照らす街灯に、見慣れた金髪が照らされていた。
「おい空中幼女。貴様、まさか」
『ひゅー、ひゅー』
吹けてない口笛であさっての方向を見て誤魔化すこいつが、宮村を呼んでいたのだろう。
せっかく彼女が傷つかないように遠ざけたのに、余計なことをしてくれたものである。
現に腕を組んでキリッとこちらを見る宮村の目は、どこか腫れぼったくて赤い。
「やあ、宮村。見ていたのか? あまり気持ちのいいもんじゃなかったろう」
「……あんたが殴られでもしたら私も責任感じるし。いざとなったら助けようとしていたのよ。あんた、喧嘩は弱いでしょ?」
花粉の季節でもないのに、グジュグジュの鼻声で宮村明里はそう答えた。
「それは男が女に言うセリフだろう」
「うっさいわね、じゃあ少しは筋肉つけなさいよこのヒョロガリもやし。モテたいんでしょ?」
「なっ! き、筋肉をつければモテるのか!?」
「あ、えっと……ごめん、あんたは無理かも」
「どういうことか!?」
なぜ、私だけ当てはまらないのだろうか。
というか意外に元気そうだ。気持ちの切り替えはすでに済んで──。
「ねえ、花凪」
「なんだ?」
いきなりの沈んだ声のトーンにやはり彼女が傷ついているのだとわかった。
「……ごめんね、昼は……アンタを疑って──」
「ああ」
俯いた宮村の顔は垂れた金髪に隠されて見えないが、きっと──。
ならば今は私のことを気にする時でもないだろう。
さっきの話を聞いていたとなれば、あの中年の言葉は確かに彼女を傷つけたはずだ。
「ちょっと座ろうか」
「……うん」
坂道の途中にある植木の生える石垣に二人で腰を下ろす。
「今夜は寒い。ほら、冷えるだろう。飲んでみろ、あったまるぞ」
「これって……」
私は自然薯のポタージュを注いで、彼女に渡した。
一回目は口にしてすらもらえなかったのだが。
「……美味しい」
門前払いを食らった自然薯のポタージュが遂に女帝に認められた。
うむ、ここに私の反逆は完了したと言っても過言ではないな。
内心でドヤ顔を披露していると、ポタージュを見つめていた宮村が、訥々と話し始めた。
「ねえ……助けてくれたのに悪いけど、アンタが思うほど私はいい人間じゃないわよ」
「そうなのか? そうは見えないが。だって宮村は女子にも男子にも慕われているじゃないか」
「そうなるように振る舞っているのよ。変な嫉妬とか買わないように、上手に立ち回っているだけよ。例えばオシャレは誰よりも新作に敏感で、流行に染まっていて……でも、お金を使いすぎると嫉妬されるから値段はそんなに高くなくて……ってね」
「なんだ、そうだったのか」
「がっかりした?」
「いや別に」
「……そ。まあ、私のことなんてアンタは元々──」
「それができることが、すごいからな」
竹ノ内もそうだった。
当たり前に他人との距離と位置を調整することの、なんと難しいことか。
「え?」
「そもそも、他人に配慮することすらできない人間は多い」
なまじ、才能に恵まれ優秀であるなら尚更だ。
「これは自分だけの才能、これは自分だけの能力──だから自分さえ良ければそれでいい。自分の思い通りになれば、それでいい」
他人を支配しようとしたあの中年と、他人を助けていた彼女は違う。
「まあ自覚できない人間は多いがな」
──1年前の私のように。
「だから、私は別に、そんな人間じゃないっ」
「理由はどうあれ、君のおかげで救われた女性は多いみたいだぞ。有栖川も、キララ先輩も宮村のことをすごく心配していたんだ。有栖川なんて宮村のおかげで今の自分がいるからと、それはもう心配していたぞ。あんなに思ってくれる友達がいるなんて、君の普段の行動の賜物だろう」
「──姫花だって、別に私はそんなつもりじゃ……意味なんてないのよ」
「何があったかは知らないが、宮村がどう思っていようと、君の行動には、その振る舞いには価値があった」
何やら自信を無くしているらしい女帝に、ここは一つ持つ者としてこの花凪が授けてやろう。
「知っているか? 意味なんてものは価値の上にしか生まれないのだ。なら、どんな意味を持つのかは、自分にとってしっくりくるものをつけておけばいい」
「──何よアンタ、そんなにすらすら喋れたの?」
「うん? まあな。でも普通の会話は無理だぞ。おしゃれだとか、何が好きだとか、日常会話は苦手なのだ」
「……ぷ、ふふ、何よそれ、ほんと変人ね」
「変人ではない天才である! しかし日常生活においてはこの才能が邪魔するからままならないものだ」
「はいはい」
どうやらいつもの調子は取り戻してくれたようだ。
暗い面持ちだったが、今は幾分か明るい。
「──ねえ花凪。なんでアンタは私のこと助けてくれたの? 別にアンタとは……そんなに仲良くなかったじゃん」
「己の恋路の迷路を破るため、他人の恋路を攻略して見せようとしたらこうなった。なぜこうなったかは自分でもわからん」
「答えになっていわよ!?」
「な、なぜ怒る?」
「……いいわ。それ、本気で言ってるんでしょ? ほんと、変人なのね。ふふふ」
「いや、天さ──」
最後まで言い切ろうした所で、宮村の目から涙が溢れていることに気づく。
やはり、そう簡単に切り替えはできないか。
「ははっ……はあ、本当に……無様ね、あんなのに騙されてさ。アンタまで巻き込んで……」
「問題ない。人間はずっと何かに騙されて生きているのだから気にするな」
「……ぐすっ、どういう意味よ?」
「ふむ……たとえば医者に風邪薬と言って処方されたら信じるだろう? それを証明する手立ては自分にないから相手の立場とかを考慮して結局信じるしかない。すなわち、人間は騙されて当然で成り立つ社会生物なのだ」
そう、そもそも人間社会で生きる上、誰かに騙されずに生きることが不可能である。
私だって最初はあの愚物を才能のある同列の人間と認識していたしな。
「でもそれは騙されたって言わないじゃない」
「後で実はその薬には効果がなかった、副作用があったなんて話は過去にはいくらでも転がっていた話だ。有名な話ではフランスのナポレオンも、アメリカのリンカーンも、水銀を下剤薬と信じて飲んでいたらしい」
「え、まじ?」
「マジだとも。まあ、つまり騙されないなんてことは不可能だから、騙されるのは仕方がないという前提で生きればそこまで悩まなくてよかろう」
「……アンタって、妙に達観してるのね」
涙まじりに感心する宮村に、自信を持って告げる。
「どうだ、賢いだろう?」
「いや、変……」
「ど、どういうことかっ」
我ながらうまく宮村の励ましになっているような気もしないのではないのだが!?
「ふふふ、変な知識を披露する時だけ饒舌になるところとかよ! でも、まあ変人でもいいじゃない……アンタって本当は優しいのね」
「……優しいか」
私は、ちょっとは優しくなれたのだろうか。ならば今後も優しくありたいと思う。
この才覚を……人を傷つけるのではなく、人を助ける方に活かす自分でありたいと思う。
あの時、私が突き放し傷つけたアイツの顔が、声が、今も脳裏から離れない。
『ねえ、圭太は私のこと──』
「……どうしたの? なんかすごく辛そうだけど」
「いや、なんでもないよ」
胸に居続けるこの痛みも、他人に役立てた実感があるのなら少しは和らぐかもしれない。
「ふふ、悩んでんじゃ無いわよ変人花凪! 天才なんでしょ?」
まあ、泣き腫らしていた女帝がこんな笑みを浮かべるのだから、私も少しは変われたのだろう。
彼女の助けに成れたなら、今はそれでいい。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
宮村から空になったポタージュのコップを受け取り、石垣から腰を上げる。
「ねえ、花凪」
「どうした?」
「ちょっと背中貸しなさい」
──トン、と。額を私の背中に預ける彼女の重みを感じた。
「ぐすっ、ふん、無駄に背だけ高いアンタもこんな時だけは役に立つのね」
再びグジュグジュの鼻声になった宮村に、私は努めていつも通りに言葉を返す。
「ああ、存分に泣くがいい。前をむけ宮村。そなたは美しい」
「……映画のセリフパクってんじゃねえよ」
「む、バレたか」
軽く笑うと、背中で宮村がむせ出した。
「ふえ、ケホっ……、ちょっと人が泣いてんだから笑わせないでよ──ばか」
「これは失敬」
しばらく、啜り泣く宮村の声を聞きながらぼうっと空を見上げていた。
人間というのは色々な顔を持つ生き物である。
あの人気者という側面を持っていた中年も、泣き顔なんて想像できなかった宮村も。
まあ、彼女は強い。こんな姿はこの瞬間だけで、すぐにいつも通りに戻ることだろう。
「……ごめん、もうちょっとだけ背中を貸して」
「胸でもいいぞ?」
「調子のんな……花凪のくせに……ちょ、こっち向かないで……ううっ、ぐす──っ」
ただ、少しだけ。今は時間が必要なだけだ。