天才花凪の制裁
確かめたいことはもう終わった。結局望んだ答えは得れなかったが、そもそも私はこんな愚物に何を期待していたのか……少し己が恥ずかしい。
「はん、お前のいうことを聞く必要がどこにある? 退職で手打ちだと? 馬鹿が、お前こそ重要なことを理解していない」
「……」
黙っている私を見て、とても邪悪に笑いながら竹ノ内は語り出した。
「お前、随分と宮村にご執心だな? でも知っているか、アイツの正体を」
「得意の心理学か?」
「そんな専門知識なんてなくてもわかるさ。教えてやろう」
何を勘違いしているのか、嗜虐的な顔で、それはそれは嬉しそうに私を見る。
「あの女、強いふりしてお高く止まってるくせに、簡単に俺に靡いたぞ? 知っているか? ストーカーの件、途中で俺のことも疑っていたくせに、何も言えずに俺に愛想笑い浮かべてんだぜ? お前のことをストーカーに仕立て上げた時もな!」
「……で?」
「あの女が強さも美しさも兼ね備えている? 全く人間をわかっていないな、花凪! あれは見た目にしか能のないゴミだ。俺みたいな選ばれた人間に遊ばれて、ようやく己の女としての価値を見出す娼婦にすぎねえんだよ」
「……っ」
「なんだ、あの見た目に幻想を抱いていたか? 高潔で気高い美しさを持つとでも思っていたか? 残念だったな花凪! 俺の前では愛想笑いを浮かべながら必死に尻を振る外華内貧の淫婦だったぞ!?」
「……っっ、くっ」
「ああ、惚れた女の正体を知って傷ついてしまったか? だがお前みたいな万年童貞でもあの淫婦なら相手にしてくれるかもしれんぞ、よかったな花凪!?」
──ああ、耐えられない。
「──くひ、くく、ふふ、ふはははは!」
「……はっ?」
たまらず笑い出した私を、竹ノ内は口をあんぐり開けて見ていた。
どうやら自分が道化ということもわからないらしい。
これが天才を自称するとは呆れを通り越して笑うしかない。
「ははは!? 俺みたいな選ばれた人間だと? 遊ばれただけありがたいだと? あまり笑わせるな、腹が痛い!」
「は? てめ、おかしいのはあんな女に必死になるお前だろうが!?」
こいつはとんでもない自己矛盾に陥っていることに気付かず、愚かにも御高説を垂れていた。
「必死になったのもお前だろうに。く、ひひ……あんたはそんな淫婦と呼ぶ女に必死になって、自分の立場を危ぶめているんだぞ?」
「あん? 俺の立場がどう危ないってんだよ!? いい加減なこと言ってんじゃねえぞ」
私に凄む竹ノ内は、怒りの表情から一変し、私を見下すように笑みを浮かべた。
「それになあ、花凪。お前が何をしようと、誰に訴えようと無駄なんだよ」
「ほう? どう無駄なんだ?」
「くくく、数は力だ。そして俺はあらゆる集団の中心となり、人を味方につけることができる」
「ああ、確かに。凡人ではお前の本性に気づけないだろうからな」
「そんな俺がお前を犯人だと言えば、お前が犯人となるんだよ。被害者本人の宮村ですら俺の顔色を伺いながら機嫌をとるんだ、残念だがお前はここまでだ」
なるほど、面白いことをいう。こいつの本性はどうであれ、言っていることは一理ある。
「数は力か。即ち他人との繋がりは強力な武器になるということ、それは間違いないな! 私もサークルではその力に苦労させられたのだ!」
「わかってるくせに、俺と敵対しようなんてのがそもそもの間違いなんだよ花凪ぃ! いいか、俺はもう容赦しない。お前をこの大学から追い出すだけで済ませねえからな? 警察に捕まるよう全力で周りの馬鹿どもを操ってとことん追い詰めてやる」
「そうか……」
「今さら後悔しても遅いぞ花凪?! この俺に偉そうに語った挙句にふざけた態度をとったこと、残りの人生後悔しながら過ご──」
「──ならば、私も人の繋がりに頼るとしよう」
スマホの電源をつけて、電話をかける。
スピーカーに切り替えたスマホからプルルとコール音が鳴ると、すぐに電話はつながった。
『はい、もしもし』
聞こえた女性の声に。ヒッ、と、竹ノ内の喉から音が鳴る。
「お久しぶりです、さとみさん。花凪圭太です」
電話に出たのは奴の婚約者だという柊さとみさんだ。
「──っっっ!?」
目を見開き口元を震わせる奴をまっすぐ見据え、私は彼女と会話を続けた。
『まあ! 大変ご無沙汰しております花凪さん。突然、メールを頂いた時には驚きました。最後にお会いしたのは二年前でしたか?』
「ええ、あなたの十六歳の誕生日会以来です。突然のご連絡で申し訳ありません。実は私の通う大学にあなたの関係者を名乗る男がいまして……竹ノ内隼人という人なのですが」
『え! 竹ノ内さんが花凪さんと同じ大学に!? す、すごい偶然ですね!』
「あはは、私も驚きました。しかもあなたの婚約者だというのですから。もし、それが本当なら──私も対応を考えようと思いましてね」
その言葉に込められた意味を、さとみさんは好意として受け取ったようだ。
『あらまあ! うふふ、ええ本当に私の婚約者ですよ。どうかよろしくお願いしますね』
「ふふ、承知しました。しかし縁というのはどこで繋がっているかわかりませんね。また近いうちにお話でもしましょうか」
『是非! わたくし、花凪さんの豚まんのお話が大好きなんです! よかったらまた聞かせて下さいな』
「ああ、私が豚まんをお見舞いした東京のギャルの話ですね。そんなお話でよければまたいくらでも」
『うふふ。わたくしは知っているんですよ。東京の学校に転校したばかりで、まだクラスに馴染めなかった梨花を助けるために、あんな振る舞いをなされたのでしょう?』
「それは……いえ別に。それにしても、こうしてまたあなたと縁が繋がってよかった」
『わたくしもです。あ、そういえば梨花が京都に帰ったのは知っていますか? よかったら今度、ご一緒に──』
「──それには及びません、さとみさんもお忙しいでしょうから」
『あらあら、気を遣わなくてもかまいせんのに……ええ、それではまたお会いできる日を楽しみにしていますね!』
「あはは、私もです。それと──お父上の清志さんにもよろしくお伝えください」
清志という名を出した時、竹ノ内が露骨に表情を曇らせた。
「あっ……あ、あああ……」
まともに声も出せず、顔を青ざめさせている。ひどく怯えているようだ。
『はい。あなたのおばあさまにも、よろしくお伝えください』
「ええ、夜分遅くにすみませんでした。それでは失礼します」
意図せず訪れた再縁を互いに言祝ぎ、さとみさんとの電話を終える。
「さて」
竹ノ内の顔はまるでしおれた花のように眉尻がしぼみ、不安そうに瞳が揺れ動いていた。
先ほどまで自信に満ち尊大に振る舞っていた男と同一人物とは思えないほどに、その表情は崩れている。まるで親に怒られる事を察知した子供のようだ。
「な、なんでお前が彼女と……なん……」
目の前の現実をまだ受け入れられないのか、まるで独り言のように言葉を吐いている。
焦点の合わない目が、奴の動揺の大きさを示しているようだ。
「彼女の誕生日会には一昨年まで毎年参加していてね。親に強制されてのことで最初は嫌々だったが、まさかこのような形で役に立つ日が来るとは天才の私でも予想できなかったぞ」
「……な、なんなんだよお前……誰なんだよ!?」
「別に誰でもないさ」
天才たるもの己が所業で己の名を高めるべきである。残念ながら私はまだ何も成せていない。
「それに、そんなことはどうでもいいだろう? 先ほども言ったが、あんたの事務所には警察を呼んでおいた。城丸は多分、逮捕勾留されるだろう。まあ、不起訴になるかもしれんが……なあ、あんた知ってたんだろ? 城丸が下衆な写真を集めていること」
「そ、それは……っ」
「万が一、己の所業が明るみになったとしても、全てアイツに罪を着せられるように放置してたってところか」
「う………い、いや…………」
そう、曲がりなりにもこいつは賢い。トカゲの尻尾切りはお手の物だろう。
例えどれだけこいつの所業にモラルがなくても、警察権力の手がこいつに届くことはない。
だが──。
「柊清志の名に随分と驚いていたな。うまく彼に取り入って今回の婚約も取り付けたのか?」
「き、清志先生は関係ないだろう!? お、俺とお前の問題だったよな!?」
「人とのつながりが武器と言ったのはお前だろうが?」
「っっっ!?」
つい先ほどの自分の発言と矛盾するような言葉を吐くなど、こいつはどこまで馬鹿なのだ。
まあおかげでこいつの弱点が判明した。ならば突いてやるとしよう。
「さとみさんの父であり柊グループのドンでもある柊清志は傑物であると同時に、非常に疑り深く保守的だ。自分の娘婿に露骨なスキャンダルがあれば簡単に切るだろうよ。あの人は己の地位を守るためには容赦がない。さとみさんもこの婚約の意味を理解しているようだったな。彼女もアンタに問題があれば切るんじゃないか? 恋愛感情があるようには電話越しでは感じなかったぞ?」
「ちょ……ま、待て……待ってくれ! さとみも清志先生も今回の件には……っ」
「清志先生、か。確かあの人は政治にも興味があったから政界進出でも狙っているのかな? 曽祖父の地盤を引き継げば、派閥のトップにも立つことも叶うだろうよ。だとすれば、お前の失態は許さないだろうな。私がこの件を垂れ込めば、きっとお前は──」
「そんっっ……!」
今までと打って変わり、竹ノ内の顔から余裕が消え切迫した様子が伝わってきた。
よほど柊家とのつながりが大事と見える。
言葉の端々にでた選民思考を感じさせる不遜な言葉も、あの家との繋がりを持つ自分という驕りと自信の現れなのかもしれない。
「ああ、そういえばあんたの事務所は学生を相手にしている割に、やたらと金がかかっていそうだったな。随分と羽振りがいいじゃないか? 大学の臨時講師はそんなに高給じゃないだろう。もしかして柊家の婚約者という立場を餌に、仕事をとっているのかな?」
そういえばこいつのビジネスモデルについて深く考えたことはなかった。
城丸のパソコンを漁った時に大手家電メーカーや化粧品メーカーの名前を見たな。
「学生に近い心理学者……若い世代に商品を売りたい業者は多い。信憑性の乏しい若い世代のニーズが解るという言葉も、バックに柊家という名前があるなら一定の信頼を得れる……相手もお前の将来の立場に期待して取引をしたがるかもな。だが、だとしたらお前はもう──」
「……わ、わかった! わかったから!?」
私が皆まで言い切る前に、観念するように大声で竹ノ内が叫んだ。
「あ、明里からは手を引くっ! そ、それでもういいだろう!?」
「もういい、だと? 私は退職しろと言ったはずだが?」
「う、でもすぐには無理で……」
「──一週間。もしそれ以上掛かれば、私は彼女と再会の約束を果たすとしよう」
「ひっ!?」
露骨に怯えるところを見ると、婚約に影響が出ることが何より怖いらしい。
そういえば分家の自分が本家を……とやたらと強調していたが、もしかして実家の中での己の立場でも気にしているのだろうか?
だとすれば、本当にみっともない。
天才を名乗るのであれば、他者と己の立ち位置の比較ではなく、己が何を成したかで誇るべきだろうが。
それを自分の社会的地位の優位性に酔った挙句、己の才能の振るい方ではなく恵まれた生まれの縁に頼るなど──いや、それは私も一緒か。
「……これ以上、宮村に迷惑をかけないなら私が干渉することはない」
「ほ、本当か!?」
宮村に対する罪悪感など微塵も感じていないのだろう。
この凡夫の中にあるのは己の保身だけ。不快感は消えないが、交渉は容易い。
「ただ、もし今後も変なことを繰り返したら、もし私がそんな噂を耳にしたら……うっかり喋ってしまうかもな」
「わ、わかった! こんなことはもうしない、約束する!! た、頼むからこのことは……」
「ああ。お前が何も問題を起こさないのであれば、な」
自信に溢れ、女性たちに熱狂されるほど人気のあった男と同一人物と思えないほど、その顔はひどく憔悴している。
今のその顔には性欲と自己保身を拗らせた中年男の、卑屈な気持ち悪さだけが残っていた。
『おいおい、これで終いか? この悪漢をこのままにするのか?』
ことの成り行きを見守っていた空中幼女が、物足りないと不満そうにしている。
しかし、これでいいのだ。
「いいのさ。彼の一番大事な場所に釘は打っておいた。全て壊して追い詰めるのは良くない」
私の言ったことを守るのなら、婚約は問題なく進行するのだ。
宮村と関わらないために講師を辞める程度、手打ちとしては十分だろう。
それがわからないほどの馬鹿でもあるまい。
ただ清志さんの疑り深さは尋常ではないので、身辺調査はかなり厳しいだろうが。
さとみさんもただの令嬢では断じてない。
あの人はおっとりとした雰囲気に反し、非常にしたたかなのだ。
きっと私の祖母と同じタイプの人間だろう。
であれば、いずれこいつが切られる可能性は高いだろうな。
私の猶予はあくまで、この中年が他に何も問題を起こしていないことが前提の話だ。
まあ、城丸のことは今回でバレるだろうし、叩けばホコリは出できそうだが……どうでもいい話か。
「約束は守れよ? 私が譲歩してやっていることはお前みたいなのでも理解できるだろう」
「……っ、はい」
「──ふん」
本当に、くだらない人間と無駄な時間を過ごしてしまった、
まあつい熱くなってしまった私も悪いのだけど。
この世の終わりのような顔で項垂れる中年を置いて、私は夜の大学を後にした。




