才能の正体
「阿呆が。神童も二十歳過ぎればただの人というが、仮にも天才を自称する男がここまで愚かになれるのか」
「──おい、もしかして俺のこと馬鹿にしているのか?」
「無論そうだとも。あなたの頭はいい。だが、あなたは頭が良くないようだ」
「く、くくくく! やっぱお前みたいな馬鹿の言葉は俺にはわからないなあ!」
「そうか、仕方ない。ならば説明してやろう。貴様のような馬鹿にもわかりやすく、そうだなゲームにで例えればわかりやすいか」
ゲーム? とキョトンとする馬鹿だが、こいつはここまで言わないとわからないだろう。
こいつの言葉を借りるなら、私にとってこいつも嫌悪すべき馬鹿なのだ。
「いいか、才能とは武器だ。頭の良さ、それは汎用的かつ日常で使いやすい、さぞ上等な武器であろうよ。容姿がいい、運動神経がいいという才能も、それぞれにまたよくきれる剣のような武器だ」
「うん? ほう? いいね、聞いてやるから続けろよ」
評論家のような顔で済ましているのが滑稽だ。
やはりこいつも天才を自称する凡夫の類であったか。正直、失望を禁じ得ない。
「よく聞け。剣を持つものからすれば、自分より劣る周りの人間は、棍棒やヒノキの棒しか持たない脆弱な存在に見えるだろう」
「……ああ、その通りだ! わかってるじゃねえか! 俺からすれば他人なんて、棍棒やヒノキの棒程度の価値しかない野蛮人ばかりなんだよ! 宮村だってその顔には価値があっても、頭の中身は棍棒程度だった。なら勇者のような俺に遊んでもらえるのは、むしろ名誉だとは思わないか? 顔がいいと評判だったからお膳立てまでして遊んでやったのにあの女……ったく、どいつもこいつも、この俺に遊んでもらえるだけありがたがれって話なんだよ!」
心から呆れると呼べることを今まさに初めて体験した。
腹の底に溜まる空気を吐き出すように一つ、大きなため息をつく。
ああ、本当にこいつは愚かなのだ。最初に私が告げた言葉の意味を全く理解できていない。
努めて冷静に、私は言葉を紡いだ。
「勇者? だからあなたは馬鹿なのだ。先も言ったが、頭の良さも、顔の良さも、あなたにとっては大きな才能であろうが……所詮、武器でしかないことに気づいていない」
「くくく、ああそうだとも。俺ほど特別な武器を持つ選ばれた人間はそうはいない。だからこそ馬鹿は俺に傅いて然るべし、そしてこの俺が教育を──」
「特別でもなんでもない。それが武器でしかないことをわかっていない時点で、あなたはもう終わっているのだから」
あまりに愚かなので具体的に指摘してやると、彼はその醜さに顔を歪ませた。
「──あん? 随分、語るじゃねえか、一介の学生風情が。それも他人とまともに会話すらできない、ただの変人風情が!」
まあ、その評価は間違っていない。
普通のクラスにいれば私はすぐに浮いてしまうだろう。
大学サークルがそのいい例だ。
だからこうして宮村の問題を解決しようとしたら、とんでもない大馬鹿を引き当ててしまったわけである。
──ただ、私の場合はそれが普通の人間が群れるクラスであったならの話で。
京都の時は少し訳が違ったのだ。
この凡愚にはわからないことであろうから、表現を変えて説明しよう。
「さっきも言ったが、剣は所詮、武器でしかない。それを振るう人間が優れているかは、その振るい方で決まる。あなたは間違いなく才能豊かで剣を多く持っているでしょうが……肝心の剣を持つあなたが卑しく小さい。優れた剣を振りかざす、三下の悪役のようだ。勇者など間違っても自称してくれるな──きしょいねん」
おっと、たまらず押さえていた本音が漏れてしまった。
「きしょ!? そんなこと生まれて初めて言われたよ。随分、コケにしてくれるじゃねえか? で、そんなお前はどこが俺より優れているのか? ああ?」
「──なあ、あんたの頭が良く、顔がいいことがなんだというんだ」
「何?」
「それが他人にとって、どんな価値がある?」
「は? 価値があるから俺の周りには人が寄ってくる訳だが?」
「でもすぐに離れて行ったのでは?」
「……っ」
そうなのである。
この人は確かに、顔もいいし頭もきれる。地頭の良さから発揮されるコミュニケーション能力で人を魅了してきたのだからそれは否定しない。
でも、これだけ人が寄ってくるのに、今こいつの下にいるのはハイエナのようにおこぼれを狙う城丸だけだ。
「あんたの事務所、最初はもっと人がいたんだろ?」
「はん、どいつもこいつも俺についてこれなかった馬鹿ばかりさ」
たった二人にしては異質に広い事務所は、従業員が去っていった成れの果てだった。
それもこれも、全てはこいつの愚かさ故ということに気づいていない。
ならばここにその愚鈍を指摘するのも、また天才である私の役目であるだろう。
「いいか? 剣は問題というモンスターを倒すことに使うことで、初めてその価値が社会に、他人に認められる。お前の頭がいいことが褒められるとしたら、その頭の良さを持って問題を解決したおかげで、周りの人間にも利益が分配されるからだ。でもお前は剣を問題でなく、自分を信じる他人に向けたんだ」
「くくく、棍棒を持つ者こそがモンスターだろうが」
「はあ、ここまで言ってもわからないのか」
「あのなあ!?」
呆れる私に苛立ちが限界突破したのか、竹ノ内が大声を上げる。
上品に整った仮面はとっくに剥がれていて、醜さに歪む三十路男の顔が現れている。
「馬鹿に馬鹿にされることほどムカつくことはないな。剣だと? ああそうだとも。俺が優れた剣を持つが故に他人という馬鹿は──」
「違う。はっきり言ってやろう。お前は逃げたんだ、問題を解くことから」
「は? 逃げた?」
「おおかた、想像はつく。自分一人で解決できない問題が発生した時、周りの棍棒を持つ人間がひどく鬱陶しく見えたんだろう」
「なんだ、わかってるじゃない──」
「どうやったら問題を解けるかを考えるのに使うべき頭のよさのはずなのに、自分の能力が及ばない問題が出た途端に環境や周囲のせいにし始めた。自分の剣がなまじ、今まで簡単に問題を解けたばかりに、お前は剣の腕を磨くことをやめたんだ。賢い自分が苦しむのは、周りの頭が悪いからだと驕ったが故に」
そうなのだ。例えいい大学に通おうが、例えいい企業に就職することになろうが。
──或いは、誰もが羨む名家に生まれ、その才覚に将来を期待されようが。
自分は特別と驕った瞬間から、その価値は次第に色褪せ失われていく。
才能は問題を解くことで生じた利益を仲間に分配することで初めて認められる。
他人が解決できない問題を解くから、周囲の人間に羨望されるのだ。
慕われ、認められ、褒められる。
己を羨み、慕う人間に囲まれるコミュニティはさぞ、幸せなことだろう。
その幸せを実現するのに最も利便性が高いのは、頭の良さだと断言できる。
だが結局のところ、天才であろうとそうでなかろうと、自分の幸せを実現するために人は能力を発揮するのだ。
だから才ある者は己が能力で問題を解き、周囲に利益をもたらすべきである。
その、はずなのに。
問題を解くのではなく「こんなこともわからないのか」と他人への攻撃に使った時点で──問題解決できない自分の弱さを、弱い武器を持つ人間のせいにし始めた時点で──才能は途端に価値を薄れさせていく。
認めてほしい相手から、そばにいてほしい相手から、永遠に遠ざかってしまうことになる。
「お前に何がわかる!? 俺が今までどれだけ馬鹿な他人に依存され苦労させられ──」
「──なら乗り越えて見せろよ、それくらい」
「っ!?」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
「才能があるんだろう? 頭の良さに、問題解決能力に自信があるのだろう? 他人より圧倒的に秀でているのだろう? なら他人に依存された程度がなんだ? 全てに解決方法を見出し、今まで通り己の才能を示せばいいだけの話だろうが」
もはや竹ノ内に言っているのか、自分に言っているのかは曖昧だ。
だって私も、一年前に同じ間違いを犯したのだから。
今も心にこびりつくこの後悔は、きっともう消えることはない。
「な、なんでそこまでして俺が馬鹿どものため……」
「今までちょっと頑張ればできるからと、散々その馬鹿と呼ぶ人間のためになるようなことをしてきたんじゃないのか? 周囲の人間はできないことでも、自分には簡単だって、得意がって、賞賛されて、気持ちよくなって」
「……っ」
「で、己にとって本当に難しい壁に当たったら、途端に周囲のせいにして逃げたのか?」
「てめえ……才能もない馬鹿が偉そうに語ってんじゃねえぞ!?」
「なんだ、図星を突かれて悪態を吐くことしかできなくなったか?」
なまじこいつも理解力は高いだけのことはある。私の言いたいことは理解できたようだ。
「そんな愚かなお前に言っておくことがある」
そう、逃げ出した卑怯な人間が、彼女を下に見るなどあってはならないことだ。
「宮村明里は決してお前のおもちゃじゃない。お前みたいなクズのために美しい訳じゃないんだ。彼女には彼女なりの苦悩があり、それを乗り越える努力によって強さも美しさも兼ね備えた今の宮村が成り立っている」
堂島先輩から宮村について少し教えてもらった。
なんであんなに強情で気が強くて敵が多そうなのに、人が集まるのかについて。
『明里はね、優しいんだ』
彼女は服選びのセンスが抜群にいいらしい。
実は読者モデルにもなっていて、女性誌でその姿を見ることができるという。
『私も何度か写真映えのために彼女に相談したんだけど、それはもう親切に教えてくれたよ。夜遅くまで、わざわざ私の家にまできてくれてさ。びっくりしたよ、先輩に似合うかもって、わざわざ私に似合いそうなページをピックアップした付箋だらけのファッション誌までもってきてくれて……』
面倒見がいい宮村の姿は私にも容易に想像ができた。
その片鱗はスタバで私がドリンクをこぼした時に感じたものだ。
『しかもね、私だけじゃないんだよ。姫花が明里の親友になった時の話なんだけどね』
昔、中学の時に有栖川はひどいアトピー性皮膚炎に悩まされて、いじめられていたらしい。
肌の爛れを誤魔化すため、肌に合わない化粧品を上塗りして、さらに悪化するというスパイラルに陥り、不登校になった有栖川を救ったのが宮村だという。
彼女は肌の弱い女性でも使える化粧品を探して教え、有栖川は次第に肌を回復させたのだと。
今の有栖川からは想像のできない話である。
『明里は自分のためって言うけど、実は助けられたって人が多いんだ』
自分の努力の成果を、才能を、彼女は周囲に惜しみなく与えていたようだ。
──高校の時の私とは、天と地ほども差がある。
そんな宮村に、こんな男がましてや──。
「お前みたいな才能に酔った猿が冒涜していい存在じゃない、弁えろ雑魚が」
「て、てめえ──」
竹ノ内の表情が憤怒に歪む。
……私も少し熱くなってしまった。問題はこいつに自分の愚かさを突きつけることではない。
全ては、宮村から手を引かせるために行ったこと。
「金輪際、宮村明里に近づくな。お前の退職を持って手打ちにしてやろう」
これが私の最後通牒だ。
もし、ここでコイツが応じないのなら──。




