天才花凪の逃亡
皆の視線が私に向く。込められている感情はどれも好意的なものではない。
一体、何を勘違いしているのかわからないが早急に竹ノ内氏の間違いを訂正する必要がある。
「いや待て、そもそも私はストーカーの存在など……」
「花凪くん。君がじっと明里ちゃんを観察するように目で追っていたとサークルのメンバーじから証言があるのだが?」
「いや、それはパパ活の噂を耳にしたから……宮村がそんな女性には見えないなと、つい目で追っただけです」
「その噂は誰から聞いたんだ?」
「だ、誰って……」
まさか有栖川と正直に言う訳にもいかない。
「サークルで誰かが話しているのをふと耳にしたんですよ」
「それで君は夜間授業もとってないのに、夜に明里ちゃんが俺と一緒にいるところに現れたのか?」
あ、まずい。
「あれは偶然で……」
「パパ活疑惑を耳にし、明里ちゃんをずっと見ていた君がそのタイミングで現れる。確かめようとしたんじゃないのか? 自分以外の男の影を」
「い、いやそんな訳……」
ないと言い切る前に、竹ノ内氏の推理を否定する材料がないことに私は気付いた。
宮村の前に現れたのは空中幼女の力を使ってのことで、証明する手立てもなければ合理的に説明もできない。
「で、でも犯人は私じゃない! あの夜に会ったのもただの偶然です!」
ただ、彼の推理は状況証拠でしかないのだ。そこが唯一の弱点である。こうして私が言い切ってしまえば、裏付けるものはないだろう。だって犯人は私じゃないのだから。
「……できれば自白して欲しかったんだがな」
竹ノ内氏は困ったようにため息をついて、ジャケットのポケットからスマホを取り出した。
「ここに写っているのは君だろう?」
見せられた写真にはパーカーを着てフードを被った男がいる。
その男の顔を正面から撮った写真には──。
「し、知らないぞこんなの!?」
私の顔が写っていた。
「──くそ、そういうことかっ」
今時顔を合成するなどパソコンに詳しければ簡単にできる。
捏造した写真を見せてこうなることを仕組んだのだろう。
その事実が私の予想が的中したことを告げる。
「「「……」」」
私が真実に気づいたのはともかく、写真が決め手となり部室内の空気が変わった。
凡人どもはいつだってそうだ。権威ある人間、人気のある人間の言葉を鵜呑みにして、事実を確認しようともしない。
『のうのう、お主や。これは妾にもわかるぞ。ここは大人しく逃げた方がええのう』
空中幼女が気まずそうに警告してきた。そんなの私だってわかっている。
しかしこの状況はまだ詰みではない。まだ一手、打破できる可能性がある。
それは当事者の宮村が、私がストーカーではないと証言してくれればいい。
彼女との付き合いは短いが、多少なりと信用は得れているはずだ。
せめて、写真がフェイクかどうかチェックするくらい言い出してもいいだろう。
わずかな期待を込めて宮村を見た。
──しかし。
「花凪……」
宮村が私を見る目は、いつもの貞子やら女帝やら名に相応しい強い目ではなかった。
裏切られて傷ついた、一人の女性の目だ。
「み、宮村……違うぞ私は──それに今回の件はそもそも……」
慌てて言い繕う私に、宮村が地面へと目を逸らす。
「最低っ!」
静まった部室に、宮村の悲鳴にも近い拒絶の言葉はひどく響いた。
「っ……!」
宮村の言葉が決め手となったのだろう。
サークルの男連中が殺気だつ。
きっと、私を捕まえようとしているに違いない。
女性の敵が目の前にいて、それが爪弾きものの私なのだ。
己の正義感を満たし、簡単にヒーローになれる絶好の機会である。
「くっ」
もはや言葉は届かない。ここは三十六計逃げるにしかず。
「おい、逃げたぞ!」
「追え! あの変人、犯罪者だったなんて舐めやがって!」
元々、出口付近にいたのが幸いした。
迫り来る金髪茶髪の猿どもに捕まらないよう、即座にドアを閉めて隣の部室に駆け込んだ。
──どこ行った!?
──トイレに隠れてるんじゃねえのか!?
私が駆け込んだのは真横に位置する音楽研究会の部室だ。
まさか別サークルの部室に逃げ込んだとは思わないだろう。
楽器を弾いていた音研の面々が、突然の乱入者に驚いて音を失っている。
「ちょっと失礼」
固まる彼らの横を通り過ぎ、窓を開けて隣接していた建物の上に飛び移る。
名友会の部室は二階にある。隣の音研の窓から飛び乗れる建物は一階建の平屋なのでそのまま地面に飛び降りることもできるのだ。
この天才、逃走ルートは事前に確保している。
『お主、なんか慣れておるの』
「ふん、私を舐めるな。高校では先輩に先生に散々追いかけられたのだ。万が一の時ように逃走ルートを探すことなどもはや癖づいている」
『身を助けるアホを妾は初めて見た!』
「どう見ても才能の塊だろうが! いや、そんなことよりも……」
己の才能に感心している場合じゃない。
上手に隠れたところで、私を取り巻く問題は深刻さをまずばかりだ。
「くそ」
全くこの状況を打破すべき策が思い浮かばない。山田花子に出会う以前に、これが事実と確定してしまえば大学を退学になる可能だってある。仮にも竹ノ内氏は臨時とはいえ講師だから学務室に通報されたらまずい。自分で自分の無実を早急に証明する必要がある。
「とりあえずは皆が帰るのをここで待ってから──」
「おい、いたぞ! あの野郎、建物の上だ」
飛び降り予定の地上を見れば私を指差した茶髪の猿が、大声で仲間の猿を集めている。
「えっ、バレるの早くないか!?」
『お、お主よく見ろ! ここ丸見えじゃぞ!』
空中幼女が指さす方には名友会の部室があった。
その窓からは部室内がよく見えて、スマホを耳に当てた有栖川と目が合った。
ここ、部室の窓から丸見えじゃないか。