彼を贄とする空中幼女
話は少し遡る。
あれは私の住むアパート近所にある名古屋屈指の観光名所「東山動植物園」を訪れた時のこと。
植物園内に展示されているからぶき屋根の日本家屋から歩いて迷い込んだ場所に『えんむすび』とひらがなで貼り紙されたボロボロの社があった。
「こんな霊験も何もなさそうな社でも一応、社だ。どれ」と、私の名友会入会のキッカケである山田花子にもう一度会いたい、あわよくば縁を結びたいと願い、おやつの五円チョコを投げ入れ手を合わせたら現れたのがこいつだった。
『そなたの願い、叶えてしんぜよう!』
赤みの差したふっくらとしたほっぺたに、肩口で切り揃えられた栗色の髪が靡いていた。
紅のない真っ白な巫女服にも似た装束姿をした、まごうとことなき幼女である。
それが宙に浮いている。
何故か誇らしげに私を見ている。
とりあえず思ったことを口にした。
「幼女、ゴーホーム」
『誰が幼女じゃ! しかも神に向かって家に帰れとはこの不敬者!』
「なんと、その年で英語がわかるとは偉いではないか。いいこ、いいこ」
『えへへー……ってバカにしとるんか! 貴様よりも欧米文化に接した歴は長いわ!』
驚いた、どうやら本当に人外らしい。
透けてはいないが浮いている。
神というらしいが……何故こんなボロボロの社に存在しているのだろうか。
そんな疑問を抱いていると、五円チョコのビニールを破りながら幼女が語り出した。
『まったく、神にとっても世知辛い世の中じゃよ。徳を集めて修行をせねばならんのに、現代人ときたら神の姿を見るどころか、声を聞くことも啓示を受けることもできん。これでは神々に課せられた崇高な使命、男女の良縁を……チョコうまー』
「おいこら幼女、肝心のところで幼女っぷりを発揮するな。今、一体何を言いかけた!」
『ひゃめろお、頬を引っ張るでないわこのうつけ! ていうか何故妾が見えるのじゃ? 触れるのじゃ?』
「それは私が天才だからだ。全ての出来事は私が天才だからで説明できる」
『なるほど! 奇人変人の類であったか!』
「喧嘩を売っているのか!?」
トンチンカンなことを言う幼女の頬をもう一度引っ張ると、涙目になりながら私の首を絞めてきた。
「ぐえっ、そ、そんなことより続きを言え! 今、貴様は人の縁を結ぶと言いかけたのではないのか?」
頬を赤くした幼女と顔を真っ青にした私ではダメージの大きさは見るも明らかだろう。
ここは戦略的撤退を選び、幼女から距離をとる。
『稀有な雑魚人間よ、神と触れ合えることに免じそなたの問いには答えてやろう』
勝ったとでも勘違いしたのか、上機嫌になった幼女は腕を組んで私を見下す。
『神々は神無月の出雲大社にて人間同士の縁を決める。つまり人の縁を結んでこそ、神として一人前になった証。妾も早く母上や父上のような立派な神になりたいのじゃあ』
神無月とは旧暦の、つまり十月。幼女の話によると神は人の縁を結んで初めて一人前(神なので柱?)と認められ、神々の地である高天原にて片手にうちわの生活が約束されるのだという。
「なんだ片手にうちわって……お前、神のくせに俗っぽいな」
『くふふふ! 信仰を集め、賽銭が集まれば、人に化けて現世でお買いものする権利が生まれるのじゃ! 近所のハルにも自慢できるのう! ハルめ、大神すら認めたりんご飴を妾の目の前でしゃぶられた屈辱、忘れんからのう!』
「なんだそのくだらない欲求は!? 神の誇りはないのかっ!」
『何をいう! 昔はよかった。ちょっと妾が声をかけるだけで平伏して畑の収穫物を貢ぐ人間ばかり……なのに今代の人間達はもはや神の声を聞くだけの霊位すら持たん。たまに見どころのある人間も「あ、幻聴」って感じで終わらせおる! あれはなんなのじゃ!』
「知るか! ていうか人の食い物狙ってばっかだな!?」
縁結びの努力は一切こいつから伺えない。
「ふむ、縁結びか」
確かに見た目からして人外であることは間違いが、こんな怪奇現象に出会ったところで私の恋が叶うはずもない。
神頼みしたのは間違いないが、ならばもっと霊験あらたかなモノが現れて欲しかった。
こう……脇を開けた薄い絹のローブから今にも横乳が溢れそうなグラマラスな女神とか、あえてこちらに乳を見せつけてくる妖艶な女神とか、自分のスタイルに無頓着でナチュラルに乳を見せてくるあどけない女神とか。
『神を欲情の目で見るでないわこの阿呆!』
「な、なぜ私の思考を……神は読心術を使えるのか!?」
『そんなの大神でも無理じゃ。そなた全部しゃべっておったよ』
「むう」
読心術の一つでも使えるなら、皆の心を読んであの子を探してくれと依頼もできたのだが。
ならば神とはいえ、こんな幼女に用はない。
「ま、がんばれ。意中の花子と出会えるならと思ったが、君に私の願いを叶えるのは無理そうだ。では、さよなら」
『まあ、待て男よ。お主は神の声を聞くどころかこうして触れ合い会話もできる現代では稀有な霊位を持っておる。ならばここらで妾の凄さを見せつけてやろう』
そう呟くと、幼女がむにむにと何かを呟き両手を合わせた。
『見ておれ人間、我が力を!』
「なんだ……?」
『ぱうわー!』
謎の掛け声と同時に幼女に後光が差した。
栗色の髪がふわっと逆立ち、幼女から少ない量の風が吹いてくる。
『今ここで、お主の想い人とやらと巡り合わせてやろう!』
「何、そんなことが!? いや、待て心の準備が……」
『ほら、来よったぞ。あの人間じゃろう?』
「な、早っ……!」
ああ、私の想いの大きさとは裏腹に、会うのはこれで二度目なのだ。
私のこと、覚えてくれているだろうか。
私は今も鮮明に、彼女と出会ったあの時を思い出せる。
部室の窓から吹く風に、靡く黒髪を抑えて振り向いた彼女がいた。
あどけない乙女のようでありつつも、私をからかうイタズラな彼女の笑み。
私はあの春の日に、私と彼女以外の誰もいない名友会の部室で出会ったその一瞬で彼女に心を奪われた。
「──おや、君は……」
「っ!?」
ああ、見間違えようもないその姿。
風に靡かないショート程度の黒い髪と、思わず見惚れる白い肌。
何度も目にしては……嫉妬に焦がれたその美顔。
「花凪じゃないか」
──現れたのはイケメン天狗だった。