花凪の懸念
こちらをおどろき見る宮村の顔は、まるで少女のように無垢にも見える。
「結構、参っているんだろう?」
「……まあ、ね」
前髪ごと額に手をあてる宮村の顔が一瞬、泣き出しそうにくしゃっと歪んだ。
その姿は普段の私や猿どもに対する苛烈な女帝のイメージからは程遠い姿だ。
ここまで女帝が弱るとは……少しだけ憐れみの情が心に浮かぶ。
「お土産戦争に勝つことも大事だが、宮村を放ってもおけん」
「──っ」
一瞬、宮村から息を飲み込む音がした。
「アンタにそんなこと、できるの?」
おそる、おそると行った様子で上目遣いにこちらを覗く目は、少し潤んでいるようにも見えた。
ならば仕方ない、ここは男らしく女性を安心させてやろうではないか。
「できるさ。なぜなら私は天才だからな!」
「……自意識過剰な変人の間違いでしょ?」
「おい、失敬だぞ」
カッコつけて自信満々にこの天才性を強調したのに、返ってきたのは辛辣な言葉だった。
まことに無礼千万である。
「ふふ、失敬って。普段のアンタの行動を見直しなさいよ。てか、そもそもどうやって解決するってのよ? 私や竹ノ内さんでも手がかりがなかったのに」
「無論、この天才的な頭脳から繰り出される閃きによって──」
「はあ」
得意げに語る私を遮るように、宮村が大きなため息で返した。
期待した私が馬鹿だったと、その心の声が顔にありありと書いてある。
いや、ほんと失敬な。天才的な閃きによって現在は仕込みの真っ只中だというのに。
先ほどの竹之内氏の事務所にだって、ちゃんと仕掛けを残してきたというのに。
「ま、いいわ。何か手がかりが見つかったら教えてね」
「ん? もう帰るのか」
「……ええ。一応、アンタに礼を言いたかっただけだから」
「なんと」
どうやら事務所での態度は多少なりとも悪いという実感がおありのようだ。
この場に誘った理由は贖罪の気持ちもあったのだろう。
──ならばこれは好機かもしれない。
「なあ宮村。ストーカーの件、解決した暁には私のお土産戦争への助力を頼めるか?」
相手が罪悪感を感じているのなら、それは絶好の交渉の機会である。
さりげなく条件を公正な判断から勝利への加担に変更してみる。
「……ま、本当に解決してくれるならね」
成功した!
「期待はしてないけど」
グッと椅子の動く音と一緒に宮村が立ち上がった。
彼女が一瞬、前のめりになった時に胸の谷間がぎゅっと深みを作り私にアピールを始める。
──なかなかに豊潤な双丘をお持ちで、自然と視線が吸い込まれてしまう。
「っ!?」
いかん、私は何をしているのだろうか。
女性の谷間に視線を向けるなど、これでは私が常日頃から嫌っている唾棄すべき猿どもと同類ではないか。
慌てて視線を横に逸らし、一連の私の視線がバレてやしないだろうかと恐る恐る目線を上げると、宮村は細いベルトの小ぶりなバックを肩に引っ掛け私に背中を向けていた。
どうやら気付かれなかったようだ。
「花凪──」
あかん、やっぱバレてたか!?
「その……肉まん、ありがとう。それと悪かったわね。せっかくのお土産を活かせなくて」
「あ、いや……」
思わず言葉を失ったのは他でもない、宮村明里はこのようなしおらしい女性であっただろうかと疑問を抱いたからだ。
思い出に色濃く残る、普段の苛烈な印象が随分と変わってしまう。
ともすれば、儚くも美しい奥ゆかしさすら今の宮村には感じてしまう。
これではまるで私の理想とする乙女ではないか。
「あ、そういえばお土産戦争って来週よね? 助力って言うけどそれまでに解決できるの?」
「ああ、もちろん」
女帝としての印象がここ数日間で随分と変わってしまった。
今や宮村はどこかはなかい弱さをもつ女性という印象に他ならない。
我ながら現金なもので、そんな姿を見せられては大和男子として守らねばと、頼まれてもいないのに妙に気を大きくしてしまう。どうやら私にも男の部分はしっかりと存在するようだ。
空中幼女から受け取ったスマホを握りしめ、宮村の目を見て強く答えた。
「そ……」
孔雀が羽を広げるが如く、私の中にある男らしさをかき集めて自信満々に態度で表現したのだが、宮村の反応は意外と淡白なものだった。
「ま、せいぜい役に立ちなさい。じゃあね」
僅かに気落ちしたような面持ちで一声を告げ、彼女はスターバックスから去り霧のように小降りになった雨の中を歩いていく。
かき集めた私の男らしさは全く宮村に響いていなかったので、やはり私に無頼の性と言うものは、どうやら湧き水程度しかないのかもしれない。
「ふむ……」
まあ、そんなことよりも今日の宮村の様子だ。
思えばサークルで豚まんを渡した時から、彼女の態度には妙な違和感があった。
待ち合わせの時も、私が待たせたことに怒っていた訳ではないのかもしれない。
態度がおかしい原因はあの怪文書のせいだと思うこともできるのだが……なぜか宮村はストーカーの話をしている時、少しぼうっとしているような印象を受けた。
まるで他のことを考えて心ここにあらずとでもいうように。
怪文書を投函された彼女にとってストーカーなんて解決すべきいちばんの問題だろうに、まさか他にも問題を抱えているのだろうか。
いや、単に宮村自身でも自分の感情をコントロールできていないだけという説もあるのだが。
一応、すでにこの花凪演算によって四パターンほどストーカーの正体は絞り込んでいる。
あとは空中幼女の働きによって答え合わせをするだけなのだが──一つだけ最悪の予想図がある。それが現実だった時は、流石に私でもお手上げだ。
まあ宮村明里という人物を知ればからすればそのようなことはないと思うのだが。
少しの不安と共に、私は駅へと歩いていく眩い金髪が垂れる後ろ姿を見送っていた。
『ほれ、金髪女も去ったし問題ないな! お主の頼まれごとも果たした。さあ、はよ褒美をよこせ! フラペチーノをよこせ!』
「わかった、わかった。ちょっと待ってろ。まずは事実を確認せねば」
ちょっとドキドキしながら騒ぐ空中幼女から受け取ったスマホを確認すると、そこには──。
「なんだ、やっぱりそうだったのか──くそっ」
宮村から感じた違和感の正体が判明した。一番嫌な予想が的中し、大きくため息が溢れる。
「──嘘を、ついているんだな」
窓の外にまだ見える宮村の後ろ姿をもう一度見る。
見事なまでに鮮やかに背中に広がる金髪と、水たまりを踏みながら去る黒いブーツを眺めていると、途端に気が重くなった。
どうやら私の目的は達成されそうにもないし、有栖川にもどう説明したものか頭を悩ませる。
どう転んでも皆が幸せになる未来はないだろう。
……確かめなければいけない。宮村と直接、対峙することになっても。
ただそうなれば私の主旨からは大きく乖離し、彼女を味方につける目的は達成不可能だ。
「ここに来て八方塞がりになるとは……」
まるで外空に広がる曇天が、ずっしりと肩にのし掛かったような錯覚まで覚える。
『のう早くフラペチーノが飲みたいのじゃ! もしよこさぬならこのままずっとお主におぶさってやるからのう!』
「って、お前かい!?」
背中が重いと思ったら物理的なものだった。
『しがみついて離れんからのう! 耳元でずっと泣いてやるからのう!』
「それでは妖怪子泣き爺じゃないか……」
『おいてけ〜、フラペチーノおいてけ〜』
「お前やはり妖怪の類か!?」