花凪、始動
「あ、あの……」
香水かトリートメントか、はたまたその全てか。
鮮明に記憶に残るような強い匂いでありながら、不快感を覚えない香りが鼻を刺激する。
宮村の顔が美しいことは知っていた。
しかし匂いまで美しいと感じるとは、美女とは本当に私と同じ人間なのだろうか。
私も宮村と同じシャンプーを使えば、このような芳しい香で周囲を魅了できるのか。
いや、私が同じ匂いを発生させたところで、彼女のように魅了することまではできないだろう。
お金の掛け方は個人的にどうかと思う部分もあるが、きっと彼女の普段の努力、当たり前のように行なっている毎日の積み重ねの中にこの香りも入っているだけで、これを含めるすべてが彼女の美しさを構築しているのだろう。
「ちょっとジロジロ見ないでよ」
「いや、本当に綺麗だなと思って……」
「へっ!? あ、アンタこんなとこで何をいきなり……っ」
「前から言っているだろう。事実、宮村は美人だ」
顔だけが美しいから美人なのではない。雰囲気、佇まい、そして匂い。
全てを含め、これが美人というものかとこの天才に気付きを与えたのだ。
ならば、一切恥じる必要はないので堂々と告げる。
原石を磨きダイヤモンドに昇華させ仕上げた彼女は、確かに美しい。
「ちょ、な、何よあんた私のこと嫌ってたくせ……」
「おい、言いがかりだ。私はずっと宮村を美人だと思っていたし、その美しさをキープするための努力にだって尊敬の念を抱いている」
「え!? そんな風に私のことを?」
「ああ」
私が力強く肯定すると、顔を逸らすように宮村は俯いてしまった。
何やら雰囲気がいい感じだが……これはまさか仲良くなれるチャンスではなかろうか?
ならばここで最大限の賛辞を送るべきだろう。
「仲間由紀恵氏の金髪部門があればきっと宮村は一位をとっでええええ!?」
「大声出すな!」
「すねを蹴るな!?」
しかもブーツのつま先で!
せっかく私が表現できる最大限の賛辞まで送ったというのに!
「あんまりである!」
「あんまりなのはアンタよ! せっかく見直したのに秒で後悔したわ!」
「え、なんで!?」
「驚くことに驚きよこのバカ!」
どうやら好感度が知らぬ間に上がって、知らぬ間に下がったらしい。
女心とは移ろいゆくものと言うが、こうも変動の激しいモノだったとは。
患部をさすりながら、ラテを一口飲んでこの無常に一考を馳せる。
「あ、そうだお代」
そういえば彼女に支払いをすませていないことに気づいて財布を出す。
「別にいいわ。肉まんを買ってもらったし……ここのお代くらい払うわよ」
「そうか……」
肉まんでなく豚まんであると声を大にして訂正したいが、彼女の機嫌の雲行きが怪しいのでここは我慢しよう。
それに空中幼女への頼み事の報酬としてフラペチーノを奢る約束になっている。
ラテ一杯分の金銭が浮くのはこの貧乏学生には喜ばしいことだ。
「それで……本題に戻るが、さっきは何故?」
「さっきって?」
「竹ノ内氏のことだ。デートに誘うなり、もっと関係を深める手段はあったろうに」
「……これ」
私の問いに答えず、宮村がカバンから一つの手紙を取り出した。
白い紙の折り目、その中央に明朝体で書かれた一文がある。
「ええっと、宮村明里はお金欲しさに心理学講師の竹ノ内隼人と交際関係を……ってこれは!?」
「アンタの言ってたパパ活の話がストーカーにバレたみたいね」
続く文字には許さないだの、お前には俺だけだなど狂気じみた愛の表現と、暗に竹ノ内氏に危害を加えようとする内容まで書かれていた。
「ね、こんな状況で彼を誘う訳にはいかないでしょ? せっかく用意してくれたお土産には悪いけど」
「むう、確かに」
どうやら思いの外、事態は深刻さを増したようだ。
「はあ……」
宮村は面倒そうに大きくため息を吐く。
憂れいているその瞳が、宛もなく窓の外の雨粒を見ていた。
視線が揺れているのは、まだ見ぬストーカーを見つけ出し襲い掛かろうと考えているのか、或いは怯えているのか。
「ふむ、仕方ない」
「何よ仕方ないって」
「先にストーカー事件を解決するとしよう」
「えっ」
宮村の目が大きく見開かれた。