いざ、竹之内の事務所へ
竹之内氏の事務所に行くならちょうどいいと、私は一旦家に帰ってあるモノを持ってから宮村との待ち合わせ場所の名古屋城近くにある名城公園駅へと向かった。
彼女は待たされたことを怒っているのか、到着した私を確認すると憮然とした様子で黙って歩き出してしまう。
大人しく追従し歩道の左右に並ぶ赤と黄色が入り混じったケヤキの街路樹トンネルを歩いていると、落ち葉と土の匂いが鼻に薫った。
秋の匂いはほどよい冷気を含んでおり、視覚と嗅覚だけで心を洗ってくれるような錯覚まで覚える。
「いい景色だな」
私の隣には、長い金髪がよく似合う美女が歩いている。
こんな道をこんな美女と歩けるなど、暗黒青春時代を過ごした私には身に余る光栄といえよう。
ああ、出来ればこんな道を彼女とも歩いてみたいものだ。
「……」
隣を歩く美女、宮村の返答は沈黙だった。
気分が昂揚している私とは裏腹に、彼女にこの景観を楽しむ気はないようだ。
どこかピリッとした空気を纏わせ、彼女は街路樹を抜けた先の住宅街にポツンと佇む白い雑居ビルを目指した。
彼の事務所の位置は把握しているらしい。
「へえ、シンプルなビルだな……駅近だし」
名古屋にはおしゃれなビルが多い。捻れるように天に向かって聳え立つモード学園のビルや、幾何学的な木製の外壁でコーティングされた名駅ビルなど、芸術センスの乏しい私でも思わず感心するほどだ。そんな中、竹ノ内氏が事務所を構えるビルは、こぢんまりとしてシンプルすぎる気がしないでもない。
「あの名刺の割には普通のビルだな」
名前と電話番号だけの銀カードを思い出す。
デザインを重視すれば、機能性は犠牲になる。
西洋のデザインを突き詰めるほど、漢字は違和感しか生まない。
「彼、デザインにすごいこだわりがあるんだけど、家賃の問題で気に入ったところに入れなかったんだって。だから逆にシンプルな場所を選んだらしいわよ」
「だからこの事務所の名前を載せたプレートも英語表記なのか……ふん」
「ちょっと、何よその態度」
宮村が責めるような視線を送ってくるが、私にだって気に入らないことがあるのだ。
そもそも日本人は日本人らしく和風を追求すればいいのに、どいつもこいつも洋風に憧れる。
私はそんな文明開花を通り越して文明侵略の領域に到達している西洋文化に抵抗しようと、一回服を全て和服にしようとしたが、「時代が大正でも異物」だの「ただの危ない人」だの散々な評価を受けたのを思い出す。
凡人どもの感性は未だ洋風からアップデートできないらしい。
日本人なら和を追求すべきであろう。
「ぼーっとしないでよ花凪、エレベーター来たわよ」
「和風、バンザイ」
「どう見ても洋風でしょうが!?」
「あ、すまん。こっちの話だ」
「アンタってほんと……」
呆れ果てる宮村はブツクサと私に対する不敬な言葉を呟きながら、四階のフロアランプを押す。
地面が浮き上がるような独特の重力を感じながら、到着を知らせる弾むようなチャイム音と共にエレベーターのドアが開くと、芳醇な金木犀の香りが迎える真っ白な空間が出現した。
「やあ、よく来たね」
どうやら宮村が事前に連絡を入れていたらしい。
黒いタートルネックにシックな柄入りジャケット姿の竹ノ内氏がそこにいた。
髪は変わらずライオンみたいだが、大学でのラフな格好ではなくカジュアルなビジネスマンといった風貌に変わっており、ワイルドさの中にも知性を感じさせる出立だ。
男の私から見てもかっこいいと思う見た目だ。
まあ、こういうのがいいんだろうよ、女子どもは。
私ではきっと似合わないので、やはりイケメン死すべしと敵意が湧く。
「さ、こっちに──おい城丸!」
竹ノ内氏の強めな呼びかけに、「へーい」と少し間の抜けた気怠げな声で返事をしたのは、デスクに座っていた若い兄ちゃんだった。
彼の事務所の従業員なのだろう。
見かけから私より年上だろう……二十代半ば頃か。
髪を茶色に染めているけど、下品な雰囲気はなく清潔感がある。
宮村を見てくしゃっとした笑顔を浮かべ、こちらに寄ってくる様はまるで大型犬のようだ。
「いらっしゃい、明里ちゃん。君は……初めてだね? どうも、城丸幸人だよ」
「あ、どうも。私は花凪で──」
「いやあ、相変わらず綺麗だね明里ちゃん」
──敵。こいつは敵だ。
私が名乗っている最中にも関わらず宮村に話しかけるなど言語道断、絶対にこの天才を軽んじたことを後悔させてやる。