金髪貞子
「は? 何これ?」
渡された紙コップに入った自然薯のポタージュを一口も啜らず、このサークルの女帝、金髪貞子は蔑んだ視線を私に浴びせた。
「お土産って普通さあ、こんな調理ものじゃないでしょ? 何、家で作って来たの? わざわざ魔法瓶に入れて紙コップまで用意して? ちょっとキモいんだけど……」
腰まで伸ばした髪を彩る艶やかな金色が強烈な印象を与え、近づくと甘い匂いが仄かに鼻へと薫る美女、しかし表情は年中曇り空。特に私の前では。
不機嫌さを隠そうともせず、何がそんなに気に食わないのか、人を睨みつける顔がデフォルトの彼女が笑顔を見せるのは、彼女を慕う同性と限られた上に絞り込まれた異性だけだ。
彼女のズバズバと他人の心を抉る物言いに怯え、このサークルの男子共は、今や取り繕った笑みを浮かべるモブと化した。サークル入会初期にこそ、その美貌を我が物にしようと群がった金髪茶髪の猿共を、主に口撃で、時に攻撃で駆除した彼女の武勇伝はこのサークルでの彼女の地位を確固たるものにした。女子からは慕われ、男子からは恐れられる女帝の誕生だ。
信じられないことに、そんな彼女が時折、親しい間柄の人間にだけ見せる朗らかな笑顔を見て、未だその美貌を諦めきれない絶滅危惧種系男子がまだ密かに生存しているらしい。
ただまあ、それは噂の域を出ない。
他人への容赦の無さを武勇伝とする彼女に表立って近付く者はいないのだ。
私だって近付きたくない。
だがそれでも「お土産」を用意したのであれば、彼女にも渡さなければならない。
震える足を叩いて直し、無駄に乾く喉をごくりと鳴らし、私は勇気を出したのだ。
そして今、女帝は早々に私のお土産を切り捨てた。
黒いアイラインと長いまつ毛で装飾された切長の鋭い瞳が、瞬く間に私の心を引き裂く。
叩いて直したはずの足がマッサージ機のようにブルブルと震え始め、乾き切った喉からは吃るような声しか出なくなってしまった。
瞳に込められた念で私を瀕死に追い込むとは、まさに貞子の名を冠するに値する。
「ていうか花凪、アンタ私のこと陰で金髪貞子って呼んでるでしょ?」
「陰ではないぞ、堂々と言っている。褒め言葉だからな!」
「貞子って入ってる時点で悪口でしょうが! あんな化け物と一緒にされてどこが褒め言葉よ!?」
「ええ!?」
「はあ!? 何驚いてんのよ腹立つわね!?」
何やら怒り始めた金髪貞子だが、それはお門違いというものだ。
確かに怨霊貞子の姿は美女とは言い難い。
だって髪で顔見えないし。見えたの目ん玉だけだし。
だがそれは貞子のことを何もわかっていない証である。
「違う! 貞子は美しいんだ!」
部室で声を大にして叫んだせいで、サークルのみんなが振り返った。
ならばちょうどいい機会である。
語って見せよう、私の貞子愛──もとい由紀恵愛を。
「生前の貞子はな、それはそれは美しい女性だったんだぞ」
仲間由紀恵氏が演じるリング0を見て以来、私は貞子のイメージが激変した。
腰まで届くあの黒く長い髪、白いワンピースをそつなく着こなすあのスタイル。
太い眉毛にハッキリとした顔立ちであるにも関わらず、線の細い儚げな美しさを感じさせる彼女は、まさに私の求める大和撫子と言っても過言ではない。
あれは仲間由紀恵氏でなければダメだった。
彼女の美しさが、貞子を傾国の美女怨霊へと昇華させたのだ。
ちなみに最も美しい仲間由紀恵氏が見られるのは怪獣映画のガメラ3だ。
当時二十歳の仲間由紀恵氏がその若さと清純さの中に秘めたあどけないエロスで頑張って男を誘惑するシーンがたまらない。
──あんな風に私も誰かに誘われたかった!
相手役の俳優を呪うため、当時京都に住んでいた私は丑の刻参り発祥の地である貴船の山へと深夜に向かい、迷子になって貴船神社の神主に保護されたのは懐かしい青春の一ページである。
ちなみに家に帰ってガメラ3の続きを再生したところ、由紀恵氏は相手の男といい感じになった瞬間、怪物に襲われてミイラになった。
人を呪わば穴二つ。ここに我が呪いは掛ける前に成就した。
我が青春、由紀恵の犠牲を伴って──。
「ひぐっ、ミイラよりは貞子の方が美しいだろうっ!?」
「どっからミイラ出てきた!? てか何で泣いてんのよ!? それにどっちも綺麗じゃないわよ!」
ミイラも貞子も侮辱するとは仲間由紀恵氏に対して無礼千万である。
我が愛しの由紀恵を貶されては涙も引っ込み言葉も強くなるというもの。
「仲間由紀恵氏に失礼だ! 貞子は美女だ!」
「みんながイメージするのは死後の貞子よ! あんたのせいでみんなに金髪貞子って言われるじゃない!」
「おお、よかったな。だからこの前、白いワンピースを着ていたのか。とても似合っていたぞ!」
「こ、この野郎っ!」
「おい、何故怒る?」
「もう! 誰がこんな男を名友会に入れたのよ!?」
彼女の怒りが周囲に向いた。
面白そうに見ていた連中が一斉に顔を引き攣らせる様は、まさに視線を通じて伝染する呪いに掛かったようだ。さすがは金髪貞子、恐るべし。
「貞子ちゃん落ち着いて、君もそこまでにしておけ、花凪」
「だから貞子って呼ぶな……って埴太郎!?」
金髪貞子の声色が変わった。
私に向けられるのが警戒色の赤とすれば、私と話す時よりも何オクターブも高い声色が示すのは、目が眩む程に鮮烈な黄色だ。
込められているのは好意と愛情であり、生来、私に向けられたことのないものである。
「はいこれ、香嵐渓に売ってたレモンケーキね。明里、香嵐渓に来なかったからさ」
「ちょっと立て込んでてね……でもありがとう! 埴太郎は優しいわねえ、どっかの変人と違って」
解せぬ。私だってみんなにとポタージュを用意したのに、これはどういうことか。
「全く、いい加減にしておきなよ花凪?」
現れたのはスラッとした高い鼻筋に、切れ長の目と長いまつ毛をした色白の優男だった。
艶々の黒髪はフェイスラインに沿うように、顎の下までカーブを描いて伸びている。
デキモノの痕もなく、妙にふっくらとした質感を持つ美肌の中性的な顔は、男の私ですら美しいと感じてしまう。
私はこの儚げな中性的美男子を「いかにも演劇で主役をやってキャーキャー言われてそうな男だ」と思っていたが、どうやら本当に演劇サークルに属し、その男に女にもモテそうな美顔を評価され、物語の王子から、はては女装してヒロインまで演じることもあるらしい。
ああ、きっと調子に乗っていることだろうよ。
バレンタインデーにチョコもらって困るような男なのだろうよ。
「こんなにもらっても困っちゃうな……」とか本気でほざく男なのだろうよ!
まさに天狗。
そんな鼻筋の高い男をイケメン天狗と命名し、私は奴をライバル認定していた。
イケメン天狗こと大河内埴太郎は当然、このサークルでも屈指の人気者である。
やつの買ってきたレモンケーキとかいう、コンビニで買うのとパッケージが違うだけで値段がアホみたいに跳ね上がった中身もセンスもない能無し菓子に皆が群がっている。
私だってみんなが喜ぶと思って自然薯のポタージュを用意したというのに。
イケメン天狗と同じ「香嵐渓」で自然薯を買ったというのに!
付きまとう空中幼女に紅葉を見せろと頭に齧り付かれ、もはや冬と言ってもいい気温の十一月の秋に、愛知県が誇る有数の紅葉の名所、香嵐渓に訪れた私を待っていたのは、サークルのみんなで紅葉狩りに来たという、私以外のサークルメンバーだった。
こんなことは日常茶飯事、精神侵食なんのその。
そもそも私の目的はこんな凡人と群れることではない。未だ行方を知らぬ山田花子(仮)を探すためなのだ。
だがしかし、彼女を探すにはまずサークルの人間と良好な関係を築き情報を集める必要がある。
だからこそサークル内で壊滅的な自身の地位の向上を目指し、逆転必勝のお土産『自然薯のポタージュ』という兵器を用意したのだ。
だが現在、金髪貞子の呪いによってポタージュまでもが壊滅した。
貞子の評価を聞いた男女どもが、ポタージュを飲まずに紙コップをどこに置こうかキョロキョロし始めたのだ。
ちょっと飲んで「うまっ」とか言っていたやつも、「や、やっぱこんなのないよな?」みたいな顔でキョロキョロと周囲の目をうかがいながら一瞬前の自分を全否定し始めた。
自信をもてよ、そこの君。
しかし、なぜ埴太郎──もといこのイケメン天狗が、なんの面白みもない菓子を買っただけのようなヤツが、かようにチヤホヤされるのか!
自然薯の方が希少性も高くて絶対美味しいじゃないか。ついでに栄養価も高い。
これも全てが顔面偏差値の差だとでもいうのか。
あまりの理不尽に耐えられず、気づけば私はみんなの前で吠えていた。
「おのれ、イケメン天狗! そんな無難な物を選ぶなんてお土産に誇りはないのか!?」
「お土産に誇りを抱くのは君だけだ、この変人。あとイケメン天狗ってなんだ」
「お前は鼻がスラッと高くて顔がいいから侮蔑を込めて天狗と呼んでいる。貞子のように美しい彼女とは意味が違うから勘違いするなよ?」
「……あのさ、貞子呼ばわりの方が侮蔑だろうに。僕の方が褒め言葉で彼女の方が侮蔑になっていることに気付けバカ」
「ぬううう!?」
早々に論破されて唸ることしかできなくなってしまった。
これだからイケメンは嫌なのだ。
私が努力して考え抜いたことを、何も考えず当たり前かのように動いて、あっという間に私以上の結果を出してしまう。まるで持って生まれた差を突きつけるように。
ここに宣言する。
「神は死んだ!」
『死んでいるのはお主のセンスであろう! 神のせいにするではない! めいわくじゃ!』
私の絶望に反応したのは、ふわふわと空中を浮いている栗色の髪をした見た目、四歳程度の幼女だ。神を自称するこの穀潰しに取り憑かれて以降、私の運気は急行直下の勢いを見せている。
「喋りかけるな。お前が他の人に見えないせいで、反応したら皆に変人だと思われる」
『このきゅーとな神たる妾の姿が皆に見えたらこの世が大混乱に陥ってしまうので仕方ない。あとすでに変人だから気にするな。手遅れじゃ』
こいつは相変わらず訳のわからないことを言う。
変人だと? 違う、神を自称するこの幼女は何もわかっていない。
だがそれも仕方ないこと。
天才とはいつの世も変人扱いされるものなのだ。
地動説を唱えたガリレオも。
卵と時計を間違えて茹でたニュートンも。
自分の名前と妻の名前を忘れるエジソンも。
毎回人の輪からハブられるハナナギも。
凡人には理解し難い存在、それがこの私だ。
幼女の神でさえも理解できないこの才能に己自身も怯える始末。
さあ早く芽を出せ我が才能、そろそろ凡人共にわからせる時が来た。
私はいつでも待っている。
『あきらめろ、おぬしは変なだけじゃ。変人の才能であるな!』
「黙れ幼女」
「あっ? ねえ花凪、今私に黙れって言った?」
空中幼女への言葉を己に向いたと勘違いした金髪貞子が呪い殺す勢いで私を睨む。
毅然として否と伝えるべきだがあまりの恐怖に声が震えてしまった。
「え、あ、いや、な、なんでもない……ひ、独り言です」
「あんた、ほんといつも一人でぶつぶつ言うのやめなさいよ。気味悪いから」
金髪貞子に怯えていると、空中幼女がケタケタ笑いながら、イケメン天狗のレモンケーキに手を伸ばしていた。
とっちめてやりたいが、今動けば一人でプロレスを始める変人だと認定されてしまうだろう。
全くもって不本意であり不幸なことだが、天才である私は神を自称する空中幼女のせいで、ただでさえ思うようにいかない人生が更に袋小路に追い込まれていた。