パパ活貞子
「え? あ……え? 調査?」
「うん。明里のことなんだけど」
「明里……?」
「金髪貞子って君があだ名をつけた宮村明里! まさか本名知らないの!?」
ああ、そういえばそんな名前だった。
『お主、攻略対象の女の本名すら覚えてなかったのか!? ああ、妾はとんでもない阿呆に取り憑いてしまったのじゃあ』
くるくると回転しながら失礼なことをほざく空中幼女をとっちめてやりたいが、今動けば変人認定は免れない。自重の時である。
「ね、ねえ。なんでこのタイミングで明後日の方向を睨んでるの? ちょっと怖いんだけど……やっぱ変だよ……」
あかん、すでに認定されてもうてる。
「い、いや何でもない」
「……もう。ほら、貞子ちゃんの本名は宮村明里。名前なんていくらで知る機会あったでしょ」
「あ、いや……それは、ほら私と話してくれる者がいなかったから……」
「それは花凪君がいつも明里のこと怒らせているからでしょ!」
「む、むう……」
「花凪君が明里のこと怒らせるから、みんなちょっと敬遠しているんだよ。それにいつも一人でブツブツ言っていてちょっと怖いし……最近はそこに動作まで加わって変さが加速してるし……」
それは空中幼女のせいである。
こいつは本当にただの疫病神でしかない。
「なんと、そうだったのか。私としては怒らせるつもりなんてなかったんだが……」
「まあ、あそこまで相性が悪いのもすごいと思うけどね。てか自覚ないの? 貞子呼びしたと思ったら、美人って平気で口にしたり……意外とあの子は恥ずかしがり屋なんだよ?」
「別に美人は褒め言葉だろう。それに貞子が恥ずかしがり屋?」
威風堂々と私を睨みつけることがデフォルトの彼女が恥ずかしがり屋とは、あまりにもイメージがわかなさすぎる。
「ふふ、サークルのみんなの前で平気で美人って言うんだから。恥ずかしさを覚えなさい。明里だって女の子なんだから」
「ぬう……」
「あと、貞子ってもう呼んじゃダメだよ。親しくもないのに、ただの嫌がらせでしかないんだから」
「そ、そんなつもりは……」
「あなたにそんなつもりがなくても、受け取る方は違うの。言う側の気持ちじゃなくて、言われる側の気持ちを大事にしなさい」
そう言って、有栖川は私の鼻を指で軽く押して微笑んだ。
なんだか、恥ずかしい。
こんなちんまりした美少女に、まるで大人の女性のような振る舞いで諭されるなど、なかなかない経験だ。
なるほど、彼女の言うことは正しい。これは私に非があった。
しかしそれはそれとして、顔が熱くなってしまい落ち着かなくなってしまうと、有栖川がニヤニヤと嫌な予感がする笑みを浮かべていた。
「ほんと、花凪君って女の子に免疫がないんだねぇ」
「べ、別にそういう訳じゃない! それに男か女かは関係ない。この大学で私が会話を交わした回数は両性とも一緒くらいだ」
「あ、そうだったね……花凪君だもんねぇ」
どういうことか。唐突な低評価に驚きを禁じ得ない。
「そ、それで、調査とは何のことなんだ?」
まだニヤニヤしている有栖川に気まずさを覚え、本題を促す。
親友を調査しろなど、変な話だ。
「うん、実はね……最近の明里って様子がおかしいんだ」
「おかしい?」
「急に付き合いが悪くなったり……それならまだいいんだけど、なんだかずっとイライラしているというか……ちょっと余裕がない感じなんだよね」
私にはいつもイライラしている姿しか見せないのでよくわからないが、女帝に最近変化が訪れたようだ。
「お土産の時も花凪くんに突っかかったでしょ? ごめんね、あの子って本当はあそこまで酷いことを言う子じゃないんだよ」
「酷いこと? 何かあったか?」
「ほら、ガトーショコラに何か仕込んだとか」
「ああ、そのことか」
そういえば、そんなこともあった。
あれには憤慨したが、ずっと怒っていた訳でもない。
目の前の有栖川は、自分のことでもないのに申し訳なさげな表情で私に謝ってきた。
「ごめんね、花凪くん」
「有栖川が謝ることじゃないだろうに……まあいい、別に気にしていない」
「……ほんと? 埴太郎が止めに入るくらい、あれは酷かったと思うけど」
「え? あ、いや、何なら今まで忘れていた」
そんな深刻そうな雰囲気を出されてもこちらが困惑してしまう。
それに私のメンタルを舐めるなと言いたい。
祖母に母親に幼馴染に、京都では隙あらば私を貶めようと頑張る人間に揉まれて育った私があの程度の言葉を気にするなど、あり得ない。
最近では自分の所業は棚に上げて、こちらに文句しか言わない人外幼女にまで付き纏われている。
……もしかして女難の星の元に生まれたのだろうか。
この名古屋で出会った女性も、金髪貞子にラブデビル先輩に空中幼女……三者三様でハズレではないか。
そもそも出会った異性の母数が圧倒的に少ないはずなのに……あれ?
「な、なんで泣いてるの?」
「ちょっと己の人生を悲嘆して」
「うわあ……」
唯一の例外は山田花子のみ。
ああ、やっぱり私には彼女しかいない!
彼女ともう一度出会うためなら、私はなんだってするつもりだ。
「よし、協力しよう!」
「えっ……いいの?」
「いいに決まっている!」
「でも……明里は花凪くんには感じ悪かったよね? 本当にいいの? てっきり断られると思ってたんだけど。何ならやっぱり断ってくれてもいいけど」
「何、構わんよ。私も宮村のことは知りたかった、可能なら近づきたかった。私に任せなさ──え? 今、断ってもいいって言ったか?」
「え、ちょっと待って! 花凪くん、そんな風に明里のことを!?」
「あ、ああ……なあ有栖川、なぜ一瞬、私への依頼を引っ込め……」
「そんなことより! は、花凪くん、もしかして──」
何やら驚く有栖川だが、別に私にもちゃんとした理由がある。
花子へ続く鍵を握るのはイケメン天狗よりも金髪貞子なのだ。
人間とはいうのは実に愚かな生き物である。
優れたモノでも、権威ある人間がちょっと否定するとたちまち低評価を与えてしまう。
本当の価値を測れないのは凡人の宿命といえよう。
しかしこの天才、今はそんな凡人どもにも認められなければならない。
そのためには金髪貞子の承認が必要不可欠だ。
権威ある金髪貞子の役に立ち、関係改善のきっかけになれることならどんなことでもウェルカムである。
「それで、確か機嫌が悪いだったか。いやしかし、そんなこと普通にあるのではないか?」
誰だってただ日常を送るだけの中でも嫌なことの一つや二つはあるだろう。
特に大きな問題を抱えているというには、想像力が豊かすぎる気がしないでもない。
「そうだけど……でもそうじゃないんだよね」
親友である有栖川がこう言うなら、つまり心当たりがあるのだろう。
「なら具体的に思うところがあるんだろう? 君の考えはなんだ?」
「え?」
有栖川に続きを、核心を話すように促すと不思議そうにこちらを見た。
「調査と言ったが、その口ぶりからして見当がついているのではないか? おおかた、自分が想像していることが本当かどうか裏付けをとってほしいという意味での調査依頼とみた」
「そ、そうだけど……何でわかったの?」
「聞かれたくないことである上に、断られるかもしれない相手にわざわざお願いするんだ。それも人気者の埴太郎ではなくサークルで浮いているこの私に。君は本当に宮村を心配しているにも関わらずな。つまり、有栖川の見当とは皆に知られれば宮村の評判を下げるような、あまり良くないものだったんだろう」
「そ、その通りだけど……よくわかったね」
「天才だからな。どうだ、すごいだろう」
「ちょっと気持ち悪い……」
「なんでやねん」
ここは、凄い! 天才! と、褒めて見直してくれていい場面だろうに。
ラブデビル先輩に続き、有栖川までこの才能にケチをつけるとはこれいかに。
「君のネチョっとした視線は相手を見透かすんだね! だから気持ち悪かったんだね!」
「おい気づいてないなら教えるが、すでに宮村より有栖川の方が酷いこと言ってるからな。爽やかな笑顔では誤魔化しきれないぞ」
「そんなことないよ花凪くん! 大丈夫、私にそんなつもりはないの!」
「ついさっき言われた側の気持ちが大事とか言ってただろうが!」
くだらないツッコミ合いに発展した会話を、有栖川が笑い声で終わらせた。
「あはは、やっぱ花凪くんていい人そうだね。うん、君に決めてよかった」
「左様か。気が済んだら、本題を言ってくれ」
「もうちょっと続けたい!」
「私のライフを考えよう、君は着実に削っている」
何が楽しいのか有栖川はひとしきり笑った後、今度は気落ちしたような表情で話した。
落差の激しい女である。
「実はね、この前見ちゃったんだ。明里が……その……」
「宮村がなんだ?」
「……三十代くらいの、髭がダンディなおじさんと手を繋いでいたの」
「え?」
結構、大きな爆弾を渡された気がした。
「最近、付き合い悪くなったんだけど、どうやらそのおじさんと一緒にいるらしいの」
「……父親では?」
「明里のお父さんは、髭のない爽やかおじさんだよ。どっちかというと、埴太郎の系列だね」
私でも知っている印象のよくない巷で有名なフレーズが脳裏に浮かんだ。
「……まあ、年上の彼氏でもできたんじゃないか?」
「明里ね、最近ずっとお金が無いって言ってたんだ」
どうやら私の予想と、有栖川の言わんとしていることは一致しているらしい。
「それって……」
「うん……」
私が察したことを察した有栖川との気まずい沈黙が続く。
そう、つまり。
「パパ活貞子!?」
「だから貞子って言っちゃダメ!」
パパ活もじゃろうと、空中幼女が呆れて言った。