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堂島きらら

 堂島きらら。

 名前のきららは漢字にすると「雲母」と書くらしく、キラキラネームなのか奥ゆかしい日本特有の厳かな意味の込められた名前なのか真意不明な名前である。


 彼女との関係は、サークル入会初期に渡された会員名簿に記載された「堂島雲母」の文字に私が「キララか……」と全く意味のない呟きをしたとき、「よく読めたな!」といきなり肩を組まれたことから始まる。


 彼女はサークル内でも一際目を引く美女だ。そんな彼女に急接近されて石像と化した私だったが、平気で他の男性とも同じスキンシップを繰り返す姿を見て石化が解けた。


 勘違いをせずに済んだのは僥倖といえる。


 ていうかあんな振る舞いをして女性から嫌われないだろうかと勝手に心配する私をよそに「インフルエンサー」らしい彼女には人が群がり、彼女がこのサークルの中心人物なのだということを突きつけられた。

 なかなかサークルの会合に参加しない彼女だが、本人は真面目に名友会の活動をしているようで、一人バイク旅で愛知の様々なスポットに行ってはインスタグラムやツイッターでその魅力を伝えているらしい。

 本人曰く、それなりに有名でお金を稼げるほどらしいのだが、私は繋がっている友人というものがいないのでネットSNSの世界は未開領域であり、ちんぷんかんである。


『私の名を初見で読める君が天才を自称する変人の花凪か! 噂は聞いているよ』

『変人扱いを受ける天才の花凪です。噂を修正して流し直してください。あなたはインフルエンサーなんでしょう』

『何?』


 彼女は一瞬、きょとんとした後、『面白い男だ!』と爆笑しながら私の頭をヘッドロックした。

 突如として頭部を襲った感触、その女性特有の幸せな暴力に、花子が私の脳裏から消し飛びかけた。

 なんとか気を強く保ち、急いで彼女を脳裏に連れ戻した私だったが、ふと現実に帰ってきた時に今度はサークルメンバーの射殺さんばかりの視線が集まっていた。


 男子からは「なんであいつがっ!?」と。

 女子からは「なんであいつとっ!?」と。

 私も「なんで私にっ!?」と理不尽な嫉妬の炎に燃えやされまいと睨み返していた。


 ちなみにそれがまた私の孤独を促進させることになるのだから、ままならないものである。

 ていうか、勘違いするな凡人ども、彼女にとって決して私は特別ではない。

 天才だからこそ、その人のコミュニケーションの意味を正確に理解できるのだ。

 しかし暗黒青春時代を送り女性という存在に慣れていない凡夫たちにとってはそうではない。


 そして彼女は、そんな凡夫にとっては天使でもあり悪魔にもなる。

 おお、マイ天使! と思って接すれば、切り捨て御免とばかりに容赦無く斬られるのだから。

 彼女の距離の近さに勘違いして、一大決心を胸に抱き彼女へと挑戦していった男たちが悉く斬られたのを三回は見た。

 凡夫にはその好意がラブではなくライクであると気付けなかったのだ。

 漆黒のライク・エンジェル/ラブ・デビルに慈悲はない。


              ◇


「君が面白そうな催しを開いていると貞子ちゃんから聞いたよ」

「せめてインターホンを鳴らしてください」

「いや中から君の騒ぐ声が聞こえたから、てっきりあの圭太が女を連れ込んだのかと思って覗いてやろうかと。鍵もかかってなかったし」

「性格が悪い!」


 勝手知ったる我が家のように、胸元までジッパーをおろしてライダースーツを開く堂島先輩だが、この人は夜に男の部屋に上がり込んでいるという自覚がないのだろうか。


「ちょ、せ、先輩……!」

「おや、君には目に毒だったかな? だが安心してくれ。ちゃんと下着は着ているから」

「そ、そういう問題ではありません!」


 ボヨンと効果音を伴う勢いで、タイトなライダースーツの呪縛から解き放たれた二つの果実がこれみよがしに揺れている。

 直視しないように視線を逸らす私とは正反対に、空中幼女が彼女を睨みつけていた。


『かー! なんじゃこいつは。ちょっと胸があるくらいで調子に乗りおって……見せつけか? 妾に見せつけておるのか? しゅっ! しゅっ!』


 無い物ねだりとはこのことを言うのだろう。

 己には発生し得ない女体の神秘に向け、空中幼女がボクシングよろしく嫉妬の拳を叩き込んでいる。


「うん? なんか胸元に風が?」


 どうやらこの神は自分の姿が見えない相手には触れないようだ。

 己を襲う神風に堂島先輩は不思議そうにキョロキョロと部屋の中を見回していた。


「──所で、だ。圭太くうん?」


 甘い声で私を呼ぶキララ先輩の目は、まるで獲物を見つけた猫そのものだった。

 そして両手を地面について、四つん這いの姿勢で胸元をあえて強調するように私に這い寄ってきた。あまりの猫らしさに、猫耳と尻尾の幻覚まで見える。


「君が今日ダン・アナベルのガトーショコラを買ったと聞いたけど……当然、私の分も残してくれているよねえ?」

「別にあなたのために残してはいませんが、結果として残っているので先輩の分はあります。ですのでそんな誘惑はやめてください」


 誘惑と聞いた瞬間、たまらないとばかりにニヤッとした先輩がぐいっと胸元を両腕で締め付けた。

 そのせいで強大なボヨヨンがボヨヨンとしている。

 真正面からその爆弾果実を見せつけられた空中幼女が、しばしの硬直の後に振り向いた。

 その顔には今にも消え入りそうな笑みと涙が浮かんでいる。


『のう、お主や。妾も成長したらこんな風になれるのかのう……?』


 残念だがそれはないだろう。だって成長しないのだから。

 あまりにいたたまれないその姿、直視してはいけないものを二つも見てしまったので、そっと視線を逸らすと意外そうな声で先輩が尋ねた。


「おや? お気に召さなかったのか?」

「お気には召しますが、手に入らないものに無駄な執着は抱かないようにしているのです」

「おっと、私を手に入れようと頑張ってくれてもいいのだよ?」

「私が頑張った瞬間、あんたバッサリ斬るだろうが!」

「それもやむなし」

「なら誘惑するな! 男の純情を弄ぶな!」


 彼女が告白を断る時の言葉は全て「無駄なことはやめさない」だ。

 それは彼女の好意が永遠に相手に向かないことの証であり、ルビコンの対岸並みに隔絶した彼我の感情の差を示していた。

 私好みのグラマラスで妖艶な黒髪女性ではあるのだが、この人は自分の武器を武器と認識して面白がって人に振るう癖がある。

 それは私の望む乙女ではない。

 蝶のように美しいモノが実は蜘蛛であったといえばわかりやすいかもしれない。

 妖怪女郎蜘蛛とはまさに彼女のような──。


「あだだだだ! な、なぜ私の頭を掴むのです!?」

「君ぃ、今不埒なことを考えただろう?」

「証拠を要求します!」

「乙女の勘」

「異議あり! あなたは乙女ではな──」

「私は乙女だ!」

「あだだだだだ!?」


 抗議した私を万力のような締め付けが襲う。

 いやそれは無理があるだろう。

 こんな暴力とエロスを振りかざす乙女がいてなるものか。

 乙女の再定義を要求したい。


「ああ、私の心は傷ついた。さあ、早くガトーショコラを振る舞いたまえ」

「傷ついたのは主に私の頭なのですが……」

「何か言ったかい?」

「いえ」


 ズキズキとするこめかみをさすりながら、冷蔵庫へと向かう。


『お主! 妾のモノをこんな人間にやるつもりか!?』

「消費期限が今日までなのでちょうどよかった。食べきれないので持て余していたところです。食べてくれるアテの子供がいたのですが、飽きたといって食べてくれなかったので」

「なるほど、私はいいタイミングできたようだな」

『妾は食べるつもりだったのじゃあ! それは妾のモノなのじゃあ!』


 先輩と空中幼女の両者に向けての言葉だったがうまく伝わってくれて何よりだ。

 というか、貴様さっきまでポテチよこせとほざいていただろうに。

 背中にしがみついて喚く空中幼女を無視して、先輩にまるまる残っていたワンホールを渡す。


「おや? こんなにもらっていいのかい?」

「彼氏と二人なら食べ切れるでしょう。一日くらい、期限を過ぎても問題ないはずです」


 私の言葉に、先輩の表情が硬直した。


「──彼氏? いや、君は一体なんのことを……」

「失礼しました。まあ、友人とお食べください」

「……」


 黙ってじっと私を見つめる先輩だが、そんなに警戒しなくてもいいだろうに。

 この人のインスタグラムとやらを一度見たことがあるが、なんとなく恋人かそれに近い存在の気配を感じるような写りだった。

 彼女が一人で自撮りっぽく写っている写真も多々あるが、バイクの側に佇み海岸線を見るような、一枚絵見たいな写真はきっと一人で撮れるモノでもないだろう。


 もちろん、ゆきずりの誰かに撮ってもらった可能性もある。


 だがその誰かに撮ってもらった彼女の写真は、彼女の魅力をこれ以上なく引き出していた。

 まるで愛情でも存在するように、彼女のことを大切にしているのが伝わるような写真だったのだ。

 カメラに向かって微笑む先輩も、自撮りっぽくしているが、どう見てもその表情から溢れる感情は恋する乙女だ。

 そんな彼女の姿がインフルエンサーとして有名になるほど、皆の心を捉えたのだろうと私は推測している。

 だから堂々としていればいいと思うのだが、孤高な女性の魅力に男の影が混ざると途端に色褪せてしまう事例は多い。

 女性のブランディングというのもなかなかに大変なものである。


「君は、本当に……」

「天才なので」


 私からケーキのホールを受け取った先輩がため息まじりに言った。


「その才能はきっと誰にも好かれないよ?」

「──余計なお世話です」


 そんなことは私が一番よく知っている。

 この才能で、数年前に私は一番側にいて欲しかった人を失ったのだから。

 いや、才能のせいではなく私のせいか。


「それでも皆に好かれる。そのためのお土産戦争です」


 胸の痛みを誤魔化そうと、おどけて掛けていないメガネをクイっと上げる仕草で告げる。

 勘のいい人だからこそ、ちょっとした雰囲気の違いで勘繰られるかもしれない。

 あまりあのことを、京都のことを話したくはない。


「カッコつけているつもりかもしれないけど、めちゃくちゃ負けてるでしょ」

「ぬううう!」


 うまく誤魔化したら今度は頭が痛くなる一言が返ってきた。


「まあいい、ガトーショコラのお礼だ。君にひとつ助言をしよう」

「助言ですか?」

「お土産戦争に勝ちたいなら、彼女をちゃんと味方に引き入れなさい」

「彼女?」


 子供を見るように、先輩が優しい目をして教えてくれた。


「宮村明里。君が金髪貞子と不名誉なあだ名をつけた女性だよ」

「異議あり! この上なく名誉なあだ名です!」

「どこがよ!?」


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