お土産戦争 敗北の危機
私が用意したのは、最近、名古屋界隈で超有名なパティシエのダン・アナベル氏が作ったカドーショコラ『名古屋ショコラ』だ。
彗星のごとく名古屋に現れ、口コミで爆発的な人気をかっさらったとんでもない店である。
名古屋土産の代名詞になる日もそう遠くない逸品だろう。
場所は名古屋駅地下サンロードを歩いて歩いて歩き抜いた先にあるこぢんまりした奥の細道に存在している。
穴場感を演出しているが、長蛇の人の列が毎回発生してその趣は粉砕されていた。
原料にはベルギー産の高級チョコレートのみが使われ、大量生産すれば煩雑になって味が落ちると言う理由でオンラインでの販売はしておらず、全てその日の朝にパティシエ・ダンが作った分のみが売り出されるので毎回売り切れる幻のガトーショコラだ。
お土産戦争当日である月曜日の朝四時から、シャッターのしまった店舗の前で待った甲斐あって、なんとか購入できた逸品である。
開店準備に店から出てきたパティシエからは、サインをねだるファンかと迷惑がられたが、お土産戦争の趣旨を説明し、是非ともここのお土産で勝利したいと言う私の熱意に心を打たれたダン氏が「ユーのパッションにはアメイジングでごわす」と、とんでも言語と共に買わせてくれた。
対してこの日にイケメン天狗が用意したのは、奇しくも同じくチョコケーキであった。
そのケーキも名古屋出身の有名パティシエ騎士塚氏が手がけているが、すでに量産化に成功し全国のデパートで売られている、シェフの名がただのブランドと化したような既製品だ。
部室に会した私とイケメン天狗は、桶狭間の合戦に赴く今川義元と織田信長のように睨み合っていた。
用意された私のガトーショコラと、イケメン天狗のチョコケーキ。
なかなか買えないと話題のダン・アナベル氏のスイーツということもあり、当初はサークルの面々も浮き足だっていた。
「アナベルのショコラじゃん! 花凪くん、すごい!」
自然薯のポタージュのことを好評してくれた有栖川姫花も目を輝かせて、私のガトーショコラを眺めている。
「まさか、あのダン・アナベルの名古屋ショコラを買ってくるなんて……予約できないから僕でもなかなか買えないんだよ」
かのイケメン天狗もこのお土産兵器の威力には慄いたようだ。
──これで、勝てる!
初黒星の確信を胸に、堂々と皆にケーキの箱を開けた私だったが……。
「これ、昨日も食べたのよね。美味しかったけど二日連続はちょっとねえ……」
金髪貞子の放った一言にまたもや散ることとなった。
「え、そうなの明里? 羨ましい!」
「姫花、期待ほどじゃないわよ。美味しいけど結構チョコが重かったのよね、それ。最初の一口は美味しいけど……。あ、でも埴太郎のって騎士塚シェフのチョコケーキじゃない? しかもこれって予約完売した東海地区限定品よね!」
「よく知ってるね明里。彼とは親が古くからの知り合いで特別に作ってくたんだ……さあ、みんな食べてみてくれ」
金髪貞子の感想が決め手となった。
予約完売してもう食べられない逸品が、今日限定で復活した。
そんな魔法の言葉に吸い寄せられたサークルの面々は次々にイケメン天狗の用意したチョコケーキへと群がっていった。
私のガトーショコラも食べてはもらえたのだが、名古屋にいれば買える可能性のあるアナベル氏のケーキ、予約完売で二度と手に入らないチョコケーキと比較されれば、軍配が上がるのは騎士塚シェフのケーキだった。
「ああ、すまぬアナベル……すまぬ、すまぬ……」
ヘンテコ言語で送り出してくれたダン・アナベルのサムズアップした笑顔が脳裏に浮かび、私は悔恨と共に手を合わせた。
意気消沈、合掌する私をサークルの皆は当然のようにスルーして、部室に持ち込んだたチョコレートを取り出し、挙句にホットココアまで用意してチョコ尽くしのカカオの宴を始めている。
『美味いのじゃあ! 美味いのじゃあ!』
カカオの宴に最も興奮していたのは空中幼女であろう。
堂々と皆のチョコを簒奪し、両頬一杯に頬張りながら満面の笑みを浮かべていた。
しかし当然、弊害もある。
人外である空中幼女はともかくとして、大量のカカオ摂取という暴虐に耐えられる人の体ではない。
私の名古屋ショコラを食べた瞬間、イケメン天狗が自慢の鼻から鼻血を吹いた。
「こら花凪! アンタ埴太郎に何食べさせたのよ!?」
「勝手にそいつがカカオを摂りすぎただろうが!」
「はあ? どうせアンタのことだからさっきのガトーショコラに変なモノでも入れたんじゃないの!?」
「そ、そんなことする訳がないだろう!?」
とんでもない言いがかりである。
もとよりお土産に誇りのある私、そんな卑怯な真似をすると思われるのは心外だ。
「アンタならやっててもおかしくない!」
「私のイメージが悪すぎる!?」
「まあまあ、落ち着いて二人とも。明里も、流石にそれは悪いよ?」
鼻血を吹いた当の本人がティッシュで鼻を抑えながら仲裁に入ってきた。鼻を抑える姿など滑稽に他ならないが、なぜかイケメン天狗はそのイケメン性を保っていた。
「埴太郎、別に私は……」
「こら。めっ、だよ?」
「も、もう、わかったわよ」
これいかに。
私の目の前には鼻血を拭きながら優しく諭すイケメン天狗と、顔を赤めて顔を逸らす金髪貞子がいた。
こんな風に彼女を宥められるのはこのイケメン天狗だけだ。
私が同じことをしたら暴言がガトリングガンのように飛んでくることだろう。
というか付き合っているんだろうか、この二人は。
カカオの宴に似合う甘い雰囲気を醸し出していた二人だったので、あまり邪魔するのも憚られるが、伝えるべきことは伝えないといけない。
「おいイケメン天狗、とりあえ礼を言っておく」
「はいはい。それはいいけど──君、わかってる? 次が最後だよ?」
「それは……」
カカオの宴にそぐわないピリッとした辛い指摘が飛んできた。
彼のいう通り、次に負ければ退部が決定する。
それにこんな話もなんだが……財布の中身にもあとがないのだ。
最近は戦費と空中幼女のおやつ代にと、何かにかけて出費が激しかった。
貧乏学生である私の生活費を切り詰めても、次にお土産を用意する軍資金は底を突いた。
しかし、次の勝負は絶対に勝たなければならない。
であれば、少し遠征してでも京都の最終お土産兵器を持参するべきであろうが、その旅費がない。実家には頼れないので、これはなかなか八方塞がりになってきた。
「ぬううう……」
床に座り唸る私を、イケメン天狗は冷たく見下していた。