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垢バレ。
その単語が脳裏をよぎる。
まだだ。まだ慌てる時間じゃない。
そう思いたいところだが、さっきの女の子の発言は、俺のポストに沿った文脈でしか出てきようがないものだ。じわりと、いやな感覚が立ち上ってくる。
脳内でいままでのポストを高速サーチする。自分の内面を吐露しているという意味では充分に恥ずかしい内容ではあるが、ギリで公序良俗には違反していないはずだ。さっきのポストを除いては。
なぜよりによって。
頭を抱えたくなったが、とにかく現状に対応しなければならない。方針は。どうする。とぼけて逃げる。一択だろう。認めさえしなければ、俺とアカウントを結びつけるものはなにもないばずだ。よって俺の反応としてはこうなる。
「人違いでは?」
「この写真を見てもまだそう言えますか?」
片手に持ったスマホを突き出した女の子。その手からスマホがぽろっと落ちる。
「ああっ」
「だいじょうぶ?」
「あの、下が草だからだいじょぶ……」
拾ったスマホの画面を確認しつつほっと息をつく女の子。画面は無事だったらしい。ただ、猫耳とおぼしきものがついたカバーには土がついている。
「このあいだ新しいの買ってもらったんですけど、わたし、手がちっちゃいから片手だとうまく……ああっ」
また落ちた。大丈夫かこの子。
確かにこの体格なら手も小さいだろう。この制服を着ていなければまちがいなく中学生と判断していたくらいに小さい。
さっき俺は制服からこの子の通う高校を特定できたわけだが、それは俺が制服マニアだからではなく、単に、沿線では、この制服と高校が有名だからだ。やたら高い学費と偏差値。そして明治時代からビタイチ変化してないと噂のダサい制服。
なんかこう、女の子がわたわたしてるうちに物理的に逃げられそうな気がしてきたが、女の子とはいえ、現役の高校生と追いかけっこになったら勝てる自信まったくない。勝てたとしても翌日以降の人生が肉体的な意味できつくなりそうだ。ジム通おうかな……。
話しているうちに少しは落ち着いてきた。
「で、写真がどうしたの?」
「あ、そうでした、これです!」
一歩近づいてきて、俺が視認できる距離にスマホを突き出してする女の子。両手でしっかり支えている。画面に写っているのは、アイコンから俺のアカウントでまちがいない。そしてその写真は、さっきここに座ってから撮ったものだ。
「確かにここから撮影したものっぽく見えるね」
「はい。そして撮影したのはおじさんです!」
「断言できるんだ?」
「はい、ここをこう……拡大して……これを……あ、隣に座っていいですか?」
「え」
断るひまもなく、女の子がすとんと横に座る。
「ここ、見てください」
無防備極まりない。そして小さい。反射的に口にしていた。
「君、身長いくつ?」
「えっ、あの、ひゃくよんじゅうさん……145センチです!」
35センチ差。圧巻の大人と子供だ。
「……なんで身長聞いたんですか?」
「なんとなく」
「おじさんはなんとなくで身長聞いちゃう人なんですか?」
「え、聞かない? はじめまして靴のサイズはいくつですか?」
「21.5です」
「ちっさ」
「ううぅ……」
ジト目で見られた。
いかん。調子に乗りすぎた。聞くほうもアレだが、答えるほうもたいがいだ。悪い大人に騙されそうで不安だ。
「とにかく! この写真です! ここにちっさくラッピングの電車が写ってますよね」
「あーうん。確かに」
この場所からは肉眼でも線路が見えるが、カメラ性能に惚れて買った中華メーカーのスマホは、肉眼よりもはるかに精密に景色を捉えていた。
「このアニメの電車って1両しかなくて、1日に1回しかここを通らないんです。その時間にこの公園にいたのはおじさんだけ……つまり!」
「いて」
びしっと突きつけた指が俺の頬に刺さった。
「ごっ、ごめんなさい!」
もちろん言うほど痛くない。むしろぷにっとしてた。なんの害意もなく純粋に指をはむっとくわえたくなったが、実行したら防犯ベル鳴らされる。高校生防犯ベル持ってんのかな。似合いそうだけど。ワンチャンランドセル行けそうな雰囲気ある。
「つまり、この写真を撮れたのは俺だけだ、と。君はそう言いたいわけだ」
「そうです!」
自信満々だ。
というように見えたのだが、しばらくじっと目を合わせていると、そわそわと落ち着かなくなり「そうですよね……?」などと呟きはじめた。
そんな女の子を眺めつつ、俺は自分の内心が少し変化しているのを感じていた。
どうすべきか、ということなら答えは明白だ。ごまかして立ち去ればいい。きっとこの女の子は騙されてくれる。15年も運営したアカウントに愛着がないといえば嘘になるが、削除してしまえば、俺とこの子をつなぐものはなにもなくなる。
ではどうしたいのか、と問われると話は少し変わってくる。
もし今日が有給でなければ。土日ですらなく、取引先に行った帰りだったとしたら。
婚活のお断りメールがなければ。
もし今日が母親の命日でなければ。
こんなにも空が青くなければ。
俺はきっと迷うことなくすべきことをしていただろう。もともとリスクを侵すタイプじゃない。女子高生に興味があるわけでもない。
しかし。
ああそうだ。俺はあらためて空をあおぐ。きっとこんな日はあるのだ。なにもかもが揃っている。少し気温が上がってきた。湿度は60%といったところ。風は弱く、世界はどこまでも穏やかだ。こんな日があってもいい。
「あ、あの……?」
急に黙り込んだ俺に女の子がおずおずと声をかけてくる。
よく見るとこの子、えらいかわいい。この制服を着ているくらいだから育ちもいいのだろう。なにを好きこのんでこんなおっさんに声をかけてきたのか。なんだかすべてがアホらしくなってきて、出所のわからない笑いが出そうになる。
「な、なんで笑ってるんですか?」
「いやなんでも。それよりだ。してくれるんだろ?」
「なにをですか?」
「どうでもいい話とやら」
「……はい!」
女の子は元気よく立ち上がり、その反動でスマホが手から落ちた。
「ああっ」
「それ、首からストラップしといたほうがよくない?」
「そうですね……」
こんなふうにして、俺の奇妙な1日が始まったのだった。




