第一筆
予感はしていた。世界はやがて崩れ落ちる。苦痛の日々と感じていたが、終わりを憂いれば寂しさも過った。
彼は光届かぬ場所の中一人、人形を作っていた。大柄な人形と小柄な人形、彼は二人を師匠と呼んで話しかける。今日の調子や行きたい場所、向こうから返る言葉は無くとも毎日欠かさず語りかけた。彼らと話すひと時が彼にとってかけがえのない安らぎであったから。しかし彼の安らぎは得体の知れぬ化け物共に踏みつぶされる。
黒いカゲの群れ。大きさも形もそれぞれでいつも周りを取り囲むように現れ紙人形をぐしゃぐしゃに踏み荒らす。その度に彼は力の限り戦い、傷つき、逃げ延びた。そしてまた紙人形を作っては語りかけるのだ。黒いカゲはどこに逃げても必ず現れ人形を潰す。それが分かっていても彼は二人を作り続けた。
人形、黒いカゲとの日々は一か月を迎えた。今日も黒いカゲから逃げ延びた僅かな時間で人形へ語りかける。予感がする。何もかも壊れていくような気配。黒いカゲの足音に白法紙を握りしめる。
また一年が過ぎ去った。今日も人形へ語りかける。救いなんていらない。ただ傍にいてくれるだけでよかった。
さらに幾年の時が流れた。とうに時間の感覚など失ってしまったがそれくらい気の遠くなる年月が過ぎ去ったように感じる。彼は今日も人形へ語りかける。黒いカゲが迫る束の間、二人の師匠へ自分の思いを綴った。予感がする。世界が変わってしまうような、自分が変わってしまうような。けれど今日も師匠は黒いカゲに踏みつぶされ彼は白法紙を構える。
「よくやった」
どこかから声が聞こえた。遥か前から予感はしていた。世界は塗り潰される。その変化の起こりは突然光となって目の前に現れた。
光は二対あり、一片は黒いカゲを退けもう一片は彼を柔らかに包み込んだ。光からは恐れるような哀しむような怒るような慈しむような形容しがたい様々な気持ちが伝わり彼は一身に受け止めた。
「忘れないで。苦しくても悲しくても、道を見失わないように」
予感はしていた。世界はやがて崩れ落ちる。彼はそのときが来たのだと悟った。
光は広がっていく。黒いカゲも紙人形も彼も包み込んで際限なく遠くへと。白の光景はじきに彩りを得て彼の眼前には少女の姿が飛び込んできた。透き通る白髪とは対照的な深紅の瞳。何層にも覆い深奥を閉ざす紅い眼に意識が吸い込まれる。
「くたばれ」
一刹那、少女の殺意を受け、次に映るは森の光景であった。揺れ動く景色に意識が保てず、彼は木々の傍らで独り静かに横たわった。