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白薔薇魔王物語  作者: 風雷
戦役初年
6/70

第一章「魔王の尖兵」(5)

 アレリィという少女が、実は信仰の化け物であることに、サクラは冬も間近になってようやく気づいた。

 魔種での神職は女であることが前提条件である。しかも、戦士としての女は巫女の資格を剥奪される。だから、サクラの住まう第六魔王宮に住む巫女は、エアの母のように体格に優れるわけではなく、それこそ純粋種の少女のような小ぶりな体つきをしている。アレリィはその典型だ。

 ある日、故郷の村で暮らすエアから手紙が届いたのだが、アレリィはそれがサクラの手に渡る前に焼き捨ててしまった。他の巫女からこの事実を知ったサクラが問い詰めると、


「陛下は神の代行者なのです。汚らわしい俗界と交わってはなりません」


 と、さも当然のことであるかの様に――彼女にとっては当然なのだろう――返されたので、言葉を失ってしまった。アレリィこそ、少し前まで自分と共に俗界に居たではないか。


(この子はずっとここにいたんだ。村にいた時も、今も――)


 それが信仰なのだと、サクラは今になって気づいた。気づくと同時に、男としての自分がこの少女の視界に入ることは決してないのだと、理解せねばならなかった。

 途端に宮殿での生活が苦痛になった。サクラは無意識の内に、狂気じみたアレリィの信仰心を恐れ、嫌悪するようになった。女としての彼女を慕う気持ちは一向に衰えなかったところに、少年の苦悩があった。


「巫女ならば、その身を王に捧げてみればいい。君にそこまでできるのか?」


 伽をしろ――と、寝所で床に就く際に、サクラはアレリィに言い放った。苛立ちが口をついて出たに過ぎないのだが、事実上のジェベの支配者であるドミテアの意に反しないことであれば、彼は自分の望みが何でも叶えられる立場にいた。


「喜んで――」


 アレリィが躊躇いもせず、恥じらいも見せずに衣服を脱ぎ始めたので、サクラは動転した。気付けば透き通る銀色の髪が視界に入り、次いで薄くて柔らかい何かが唇に触れた。

 突然、まばゆい光が視界に満ちた。サクラは何が起こったのか理解できないまま、アレリィの声を聞いた。


「偉大なるサマルの聖王にその身を捧げた巫女は、神の力を享けると聞いております。私の全てを今、陛下に捧げます」


 光が止み、目を開いたサクラは、眼前に現れた光景に戦慄した。

 巨体。室内に辛うじて収まるほどのそれは、銀色の皮膚を持っており、それはわずかに光沢を帯びていて、鋼鉄のような硬さを思わせる。短剣を束ねて逆立てたような尖った頭に、妖しい真紅で満たされた目、口元は蝉のそれのような突起があり、人や獣のような形をしていない。手足には鋭く長い爪が剣刃のようにぎらつき、かつての少女の面影はどこにもなかった。

 何故かわからないが、サクラは目の前の怪物がアレリィだと理解した。怪物は大木のように太い膝を折り曲げ、自らの主の前に跪いた。

 寝所の扉が開いた。異変を知ったドミテアが駆けつけたのだが、彼女も眼前の怪異に我を忘れたことでは同じだった。ただし、神職にあるドミテアはこの現象に心当たりがあった。


「魔王の尖兵……」


 ドミテアの呟きが聞こえたのだろうか。怪異と化したアレリィは立ち上がった。


(偉大なる聖王の名の下に、サマルの盗賊に神の裁きを――)


 声ではない何かが、頭に直接響いてきた。

 耳が壊れそうな轟音が部屋に響いた。アレリィが窓を破壊してその巨体を屋外に移したのだ。壊れたのは窓どころではなく、粉砕された壁の破片がそこら中に散らばった。

 翼だ。蝙蝠こうもりのような夜陰にこそ似合う形状の羽が、アレリィの背中にあった。風が狂って暴れるが如き跳躍でもって、アレリィは瞬く間に夜空の向こうへと消えていった。




 サマル地方に住む純粋種は、ある意味では魔王の作った広大な帝国の継承者でもあった。魔種のほとんどがジェベに追放されてからは文明の変遷を繰り返し、遂には狩猟採集集団のように変貌したのに対し、伝説期にはかつての魔種の文明に圧倒されるだけだった純粋種は、魔種を北方の僻地に追いやった後はサマルという肥沃の地の主となり、共和制の国家へと変容していた。

 商人同士の小競り合いすら見逃さない、時の共和国元首レギスはジェベ遠征を計画し、それを実行に移す時期にまで来ていた。ジェベに近い一都市に、総勢二万に及ぶサマルの軍勢が集結を始めていた。それとは別に、三千の守備兵が国境の守りを固めている。ジェベの魔種には好戦的な部族もおり、サマルで略奪を働くこともあるからだ。

 魔王の尖兵となったアレリィが目をつけたのは、この国境守備兵達だった。

 アレリィは空を舞うのがこんなに楽しいことだとは知らなかった。強風に煽られて平衡を崩しそうになる度に、魔王の棺にとまっていた小鳥達をもっとよく見ておくのだったと後悔した。浮遊大陸は天上にあると聞くが、彼らでも鳥のように飛ぶわけではあるまいと、優越感にひたった。眼下は雪に覆われていて、あと十日ほどで年が変わろうとしていた。

 故郷の村以外は第六魔王宮しか知らず、エア達のように狩りを行うこともなかったアレリィは、地理感覚が壊滅的に悪かった。ジェベ遠征軍を標的にしているつもりの彼女は、サマルの地に入るや否や、付近の集落を襲い始めた。犠牲者の中にはジェベから来た魔種の商人もいたのだが、怪物と化して以後のアレリィは、人間を外見で判断する機能が著しく退化していた。

 鋭い爪でもって空から襲い掛かり、千切りとった内臓をひっかけたまま、また空へ飛び立った。

 遠征軍壊滅という彼女の初志を()むなら不運としか言えないが、第六魔王宮を離れてから五日後に、アレリィはサマル国境守備兵の駐屯地に降り立った。一度は南へ向かい、いくつかの集落を襲撃した後に国境へと戻ったのだから、彼女の方向音痴ぶりがうかがえる。

 集落の傭兵や自警団相手に傷一つつけられなかったアレリィも、正規の軍隊となると流石に手を焼いた。彼らの持つ武器は鋼鉄の皮膚を通すことはなかったが、組織として機能する軍隊と初めて戦うアレリィは、殺しても殺しても、撤退と攻撃を繰り返す彼らに苦戦した。逃げるだけの相手ならば、後ろから首をむしりとるだけで済むのだが、戦いながら撤退を行う敵を、アレリィは蟻を潰すように、そのいちいちに対処しなければならなかった。


「ば……化け物め……」


 鋭い爪で胸を貫いた兵士の口から、夥しい血とともにこぼれた言葉を聞いた時、怒りを超えた何かが、アレリィの胸を轟然と駆け抜けた。気づけば、アレリィはその場を飛び去っていた。何故かはわからないが、この身を捧げた魔王に逢いたかった。

 国境守備兵は、戦力差を考えれば敢闘したものの、ほとんど全滅同然の状態に陥った。魔王の尖兵は正規軍三千以上の戦力というのが、共和国元首レギスにもたらされた報告だった。


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