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白薔薇魔王物語  作者: 風雷
戦役二年目
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第二章「慈悲なき巨人」(7)

 大規模の会戦だけを数えれば、魔王戦役の第二戦はアルダイの決戦と呼ばれる。サマル正規軍側は強行軍による疲弊を、ジェベの魔王軍側は最高司令官の地盤のゆるさを、互いに隠しながらの戦いになった。

 最初に行動を起こしたのはドミテアである。敵の後方部隊が到着すれば、魔王軍の不利は動かしがたい事実になることから、布陣が終わり次第、攻撃を仕掛けた。フェレ平原の戦いでは優れた戦術眼を示したドミテアだったが、あの時は主力の近衛軍を全て投入したからこそ勝利を得ることが出来たのだ。それを温存したまま、名将率いるサマル正規軍を倒すほどには、ドミテアは優れた指揮官ではなかった。

 サマル正規軍の擬態に気づかなかったドミテアとは対照的に、老将アゼルはジェベ陣営の不和を熟知していた。指揮下の兵全てを騎乗させたアゼルは、迷うことなく魔王のいる本陣目掛けて突撃した。頭さえ潰せば自壊すると踏んだのだ。


「血迷ったか、老いぼれ!」


 本陣目掛けて突進してくる敵兵を見たジェベの魔種たちは、口々にそう罵ってはサマルのニンゲン達に襲い掛かった。

 アルダイ渓谷を自分達の庭と自負する魔種の戦士たちだったが、地形を利用して戦うことが戦法の常道であり極意でもあるという普遍的な事実――つまりは、相手もそれを用いうるということまで頭が回らなかった。阿呆であるのではない。今までのジェベ遠征軍の指揮官は、大軍をもってジェベに侵攻してきた。だからこそ兵力を分散させても大して不利に陥らなかったのだが、現状において劣勢に立つアゼルはそれを行った。

 ドミテアでなくとも、戦術眼のある他の部族長達でさえ、眼前の八千兵を殲滅すれば自分達の勝利であると信じて疑わなかった。後方でのろのろと行軍を続ける敵本隊は、どう考えても間に合わない。だからアゼルが強行軍の途中で捨ててきたニ千兵に注目した者は、魔王側の幕僚では一人としていなかった。いや、実際はいたのだろうが、ドミテアが他の部族の有力者に口出しされることを嫌ったがために、優秀な幕僚は軍議から遠ざけられていた。

 ここは地表滑らかなサマルの平原とは違う。魔王軍に深々と突き刺さったサマルの騎兵部隊は徐々に勢いを失い、包囲されようとしていた。ドミテアが勝利を確信し、魔王サクラに戦勝が間近に迫ったことを報告したのと同じ頃、左右にそびえる崖の上に、次々とサマル正規軍の青い軍旗が立てられた。

 兵士に自分達が不利になるような情報は一切あたえないというのは、指揮官であれば誰でも行うようなことだが、魔王軍の場合、未だに個々の部族が独立して戦う以上、彼らは自分達で斥候せっこうを送り出すなどして情報を得ていた。中にはドミテアでさえ知りえない詳細な情報を得ている部族もあったが、彼女に加えて半分は純粋種の血を引くサクラの不人気もあってか、本陣にまでそれが知らされることはなかった。

 どこの部族がその情報を手にしたのかわからない。アゼルが間者を用いて誤情報を流したという説が有力であるが、『魔王戦記』や『浮遊大陸千年紀』を始め、その真偽については沈黙している史書が多数派である。それが誤報であった事はかなり後になって判明するが、とにかく敵騎兵後方の崖上にサマル正規軍五万が陣取っているという噂が魔王軍側に流れた。実際は、ドミテアが己の保身のために陣形を変えるなどしてもたもたしている間に、強行軍の際に脱落したサマル正規軍の二千兵がアゼル率いる先行部隊に追いつき、アゼルの指示を受けて両の絶壁に旗を立てまくったに過ぎない。

 最初は些細な混乱だった。だが、小波にも似たそれは徐々に広がるにつれて大きな波濤(はとう)となって魔王軍全体を覆った。魔王が全軍に命令を発しても収まらぬ規模に至ったのは、クゥン族やドラカァ族などの大族が、アゼルに大敗を喫していたショックが魔王軍の根底でくすぶっていたことにもよるだろう。

 元来からして独立した個々の部族が参戦しているのだから、彼らは自分達の判断のもとに、勝手に撤退を開始した。指揮系統が徹底して統一された魔王近衛軍が敵に対していたならば、まず起こり得ない事態であり、戦場でとるべき選択としては最悪であった。

 壊走を始めた敵軍に向かって、アゼルは猛反撃を行った。逃げる敵に矢を射かけ、斬りつけるだけで首級が転がってきた。結果、瞬く間に数百の戦士が死体へと変わった。

 サマル騎兵による追撃は実に効果的だった。後方で待機していた近衛軍は、敵ではなく逃げてくる同胞たちによって陣形を滅茶苦茶にされた。撤退命令が未だに出ていない以上、彼女らは魔王を守るために前進を始め、遠目で見れば魔王側の布陣が水を含んだ綿のように丸まり、その端をちぎるようにしてアゼル率いるサマル正規軍が襲い掛かった。

 混乱が大きくなるにつれて、魔王のいる本陣は全く身動きが取れなくなった。ドミテアが犯した最大の失態は、敵援軍の出現に疑問を持ち、かつそれが虚報であると看破し、その場に留まっての戦闘を選んだことだった。結果、魔王の名で発した軍令は既に退却を始めた部族長に届くはずもなく、本陣が敵の攻撃にさらされる事態に陥った。この時ドミテアは、近衛軍を率いて誰よりも早く逃げるべきであった。

 自軍の壊乱とサクラの危機を知ったエアは、自らの手勢を従えただけで魔王救出に向かった。正面から戦えば、いかにサマルの精鋭といえども、ジェベの女達の敵ではない。


「突き進め! 殺せぇ!」


 エアは自ら陣頭に立ち、自慢の戦斧を振り回した。彼女の前に立ちはだかった敵兵は斧で頭を叩き割られるか、首を飛ばされた。


「何だ、あの悪魔のような娘は?」


 戦場の一角で嵐のように本陣へ向かって突き進むエアを見たアゼルは、騎乗で姿勢を正したまま、口元を歪めた。


「魔種の戦士は強いが、ただそれだけだ」


 アゼルはそういい捨てると、眼前に迫った魔王の本陣を見た。ここで彼は決断を迫られていた。魔王軍の敗退はすでに決定的になった。ここで追撃をやめれば、魔王を討ち取ることはできないが、後方から来る本軍との合流は果たせる。だがアゼルの迷いは、敵の混乱が思ったよりも大きく、大した危険を冒さずにこのまま魔王を討ち取れそうだと思ったことだ。猛将の名に相応しく、彼が選んだのは後者だった。


「全軍前進、魔王の首を獲れ!」


 指揮杖が振りかざされ、猛獣が如きサマル正規軍が魔王のいる本陣へと襲い掛かった。




「ドミテア、どうした。何故、味方がこちらに向かってくる?」


 名目上は最高司令官でありながら、実際には指揮とは無縁であるサクラは、輿から飛び降りると、青ざめた顔で部下に指示を出すドミテアに向かって怒鳴った。


「陛下、我々は敗北しました。今から撤退を開始します」


 つい先頃戦勝確実という報告を受けたばかりのサクラは、急すぎる戦況の変化に頭がついてゆかない。


「ドミテア、何がどうなってる?」

「申し訳ございません。他の部族の戦士たちは、敵の流した虚報に踊らされ勝手に背走を始めました」

「近衛軍は……彼女らを前面に出してもだめか?」

「一度勢いが決してしまえば、それを覆すのは難しゅうございます」


 言いながら、ドミテアは口の中に堪えがたい苦みが広がるのを感じた。劣勢に逆らい踏みとどまったことを後悔していた。

 ドミテアは配下の屈強な戦士を引きつれ、自ら魔王とともに前線を後にするつもりだった。だが、彼女はアゼルが優秀な指揮官であるという事実には目を向けても、彼の果断につけいって反撃を狙うほどの知略までは持ち合わせていなかった。司令官としてのドミテアの、これが限界と言えた。

 戦場という過密な空間では、一分一秒で状況が一変する。この頃にはエアの率いる近衛軍の一部隊と、サマル騎兵がほぼ同時に魔王軍本陣に至ろうとしていた。距離で見ればエアの方がより近く、敵はより遠くにあったが、逃げ惑う味方の群れに逆流し、それを猛追する敵兵を蹴散らしながら進むエアに対し、進めば敵の方が勝手に道をあけるアゼルは、凄まじい勢いで魔王の喉元に喰らいつこうとしていた。

 ドミテアと幕僚を引き連れた魔王サクラが撤退を開始して間もなく、その後尾がサマル騎兵に襲われた。ドミテアは目算より遥かに早い敵の到達に動転し、慌ててサクラを軍馬に乗せた。君主としてこれ以上にない無様な逃走である。ジェイオ相手では主導権を相手から奪い取ったドミテアだが、この戦いの現時点においては、主導権は終始アゼルにあった。


「見えたぞ。あの黒衣の小僧の首を刈り取れ!」


 アゼルは兵を叱咤した。いくら背走しているとはいえ、自分達の総大将を守るために護衛の兵が自ら肉の壁となって立ちはだかる。この戦いが始まって以来、最大の激戦が魔王の眼前で繰り広げられた。


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