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白薔薇魔王物語  作者: 風雷
戦役二年目
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第二章「慈悲なき巨人」(5)

 南方では秋を待つことなく、純粋種による反抗が始まりつつあった。元首レギスは大敗を喫したジェイオを即時解任し、名将の誉れ高いアゼルを新たに最高司令官に任命した。かつて東方のキダイ王国との戦役で連戦連勝した老将の登場に、サマル全土がこの度の遠征はただの局地戦ではなく、ジェベの魔種との総力戦となることを予感した。

 慎重な性格のジェイオとは対照的に、アゼルの戦法は速攻の一語に尽きた。首都マラカから徒歩で一ヶ月の旅程にあるキダイ防衛線を発したアゼルは、他地方から行軍を始めた軍団の集結を待たずに、ジェイオの指揮で壊滅を免れた敗軍一万を統合し、指揮下の兵五千を加えて、略奪を終えて北帰を始めていた魔種の部族を痛撃した。


「おやおや、生娘きむすめどもが群れで来おったわ」


 剽悍(ひょうかん)な魔種の女戦士達を一望したアゼルは、部下に二、三の指示を出しただけで、自ら騎乗し前線に立った。少女のような小柄な体に、分厚い鎧を身に纏っている。顔立ちは細く、しかし瞳に宿る峻厳さは、見る者に畏怖を感じさせる。

 果敢にも彼に挑んだ魔種の部族は瞬く間に各個撃破され、死者と捕虜を合わせて一万超という惨敗を喫した。ジェイオの下で泥水を啜る以上の屈辱を受けたサマル正規軍は、ここで名誉を取り戻したのだった。

 元首レギスはこの度のジェベ遠征の目的を魔王討伐であると明言し、士気高揚のために勇者ナナリスとの合流をアゼルに命じたが、ジェイオとは違う理由にしても、アゼルはこれを無視した。齢七十に届こうとも、かつての猛将は速攻こそ必勝の戦法であることに確信を持っていた。

 敗報に接した魔種の戦士達は心身凍りつくか、血涙を流して復讐を誓った。だが、ジェベ全体を見て通して、たった二人だけ、この絶望的な戦況を淡々と見つめている者がいた。一人は事実上のジェベの支配者の地位を確立しようとしているドミテアであり、もう一人は彼女によって担ぎ上げられた魔王本人だった。


蛮族奴ばんぞくめ!)


 村の男達の知的サロンに加わっていたサクラには、彼固有の魔王像というものがあった。彼は伝説にある偉大なるサマルの聖王に対して、口には出さずとも批判的ですらあったのである。それに、アゼルに敗北した魔種は、魔王の名を勝手に借りては付近の村々を略奪して回ったのだ。彼らが説いて回る魔種主義は必要以上に純粋種を貶めるが、それは魔王であるサクラの血筋の半分を否定するも同然だった。少年が少年らしい感情でこれを見た時、感じるのは不快でしかない。

 魔種の各部族はサマル共和国が本気でジェベ制圧に乗り出したことを知り、完全に浮き足立った。彼らは一様に魔王の出陣を請うたが、ドミテアがそのような愚挙に出るはずもなく、魔種の王は第六魔王宮から一歩も外に出ない日々が続いた。

 魔種の中でも強大なクゥン族、ドラカァ族が一撃で粉砕され、アゼルが集結を完了した総勢六万のサマル正規軍でもってジェベの山岳部に侵攻を始めたのは、十月の初めになった頃だった。

 大軍勢である。サクラが魔王の位に就いてからちょうど一年が経っていた。このままでは第六魔王宮がサマルの純粋種に蹂躙されるのは時間の問題といえた。

 さすがのドミテアもこれには焦り、アゼルに対して講和を申し出たが、一蹴された。

 我らが魔王のふがいなさに誰よりも憤っていたのは近衛軍の戦士達だった。魔種最強の女戦士で構成された彼女達は幾度も決戦を主張するも、全てがドミテアに握りつぶされた。

 だが、ある日、彼女達はささやかな反乱を起こした。

 魔王サクラは士気高揚のために近衛軍の閲兵を行った。その席で、今や第一大隊長に任じられていたエアが、演習の最中に奇妙な行動に出た。

 演習とはいえ、実戦に限りなく近い。エアに恐れをなした一人が、彼女と向かいあうや逃走を始めた。追いつかれてエアに取り押さえられた小柄な女戦士は、槍先にくくりつけられ、巨体の女戦士によって高く掲げられた。エアは、声高々に叫んだ。


「弱者はいらない。臆病者もいらない。逃げるなら、死ね! ジェベの戦士なら、敵に貫かれて死ね!」


 エアは手に持った剣で括り付けられた女戦士を刺し貫いた。刃を潰した模造剣でそれを行ったのだから、あの細い体にもこれほどの膂力りょりょくが隠されているのが魔種の女なのだろう。

 サクラは二重の意味で青ざめた。一つはエアの行った残虐に、もう一つは、彼女が自分に対して抱いている激しい憤りに。演習は中止となった。仲間殺しを行ったエアは即刻処刑されるべきだったが、


「弱虫サクラ! いつもひとりぼっちのサクラ!」


 と、取り押さえられた後も狂ったように叫び、その内、彼女の周囲からも、


「弱虫サクラ! ドミテアに全部決めてもらうサクラ!」


 と、声が上がり始めたので、危険を感じたドミテアがエアの処分を放置してサクラを宮殿に戻し、部隊を解散させた。


「顔色が悪うございます。湯浴みをなさったらいかがでしょうか?」


 ドミテアにそう言われて、サクラは顔を真っ青にしたまま頷いた。

 瑪瑙めのう色をした浴槽に湯が注がれた。桜色や薄紫色の花びらが撒かれ、香ばしい臭いが湯気と共にたちこめた。少年魔王は半裸になった巫女に漆黒のローブを脱がされ、恐怖で冷えきった体を湯につけた。

 魔王といっても、サクラには美女を左右に並べて淫楽を貪る贅沢は許されていない。ただ一度口付けただけで、アレリィの華奢な肉体は怪物へと変貌し、純粋種を殺しまくったのだ。これを知ったドミテアは、サクラに巫女達への接吻を求めた。最初こそ少年は激しく拒絶していたが、ジェベ全体の危機が近づくに至って、ようやく彼女の嘆願を聞き入れた。だがサクラが口付けた巫女の誰も、アレリィのように怪物へと変貌することはなく、神の気まぐれのような怪物の出現をドミテアはあてにすることができなくなった。


「下がりなさい! 何を考えているのです!」


 浴槽の周囲にかけられた幕の向こうで、巫女が悲鳴にも似た声を上げた。次いで数人の慌しい足音が聞こえ、白い幕に一人の影が浮かび上がった。


「脱げばいいんでしょ、脱げば! ぎゃあぎゃあうるさいな……」


 声の主は、身に着けていた毛皮や甲冑をその場で脱ぎ始めた。放り投げた手斧が大理石のタイルを砕く音を聞いたとき、サクラは声の主の正体を知った。中々脱げない軍靴が最後に放られ、引き締まった美体が、浴槽の覆いをまくって現れた。


「エア……何を……」

「くぅー! 暖まるぅ……」


 一糸も纏わぬ姿のエアは、浴槽に浮かぶ花びらを掬い取り、そのかぐわしい匂いを嗅いだ。


「ジェベの聖王様も、ローブを脱ぎ捨てたら可愛いものね」


 そう言われて、サクラは慌てて肩まで湯につかった。エアは少年の動揺など意にも介さずに、浴槽の湯を波立たせつつ、近づいた。

 後ろにまとめていた髪を解くと、鮮やかな橙色が日によく焼けた肌にかかった。黄金の光をたたえる瞳は薄っすらと笑みを浮かべながら眼前の少年を見ている。エアの体には、小さな傷痕がいくつもあった。戦闘によるものなのか、あるいは村にいた時からの傷なのか、サクラにはわからない。これまで泉で恥じ入りもせずに水浴びをする女達を遠くから眺めたことはあったが、流石にまじまじと見たことはない。


「へぇ、サクラはちっちゃい娘以外にも興味があるんだ」


 エアを凝視していた自分に気づかされたサクラは、今更ながらに視線を逸らした。


「……エア、何しに来たの?」

「何しにって? サクラに会いに来たのよ」

「きっと今頃、ドミテアがカンカンになって怒ってるよ。さっきの事も、僕が言っておいてあげるから、早く出て行って……」


 少年はわずかにエアから離れる素振りを見せた。だが次の瞬間、この世の一切の音が消えた。黒一色の天井が見え、次いで緑に濁った色で視界が満たされた。水中に浮かぶ自分の体を、何かが覆いかぶさるように沈めようとしていた。息苦しさを感じつつも、サクラはそれに手を伸ばしたい衝動に駆られた。肌に触れたと感じた時、脳裏に眩い銀髪と、ふくよかな少女の唇の感触が甦り、差し出した少年の手は凍りついたように動かなくなった。


「ぷはっ!」


 やっとのことで水面から顔を出すと、エアは既に白幕の前に戻っていた。


「サクラ、自分の好きなようになさい。あなたの決めたことが間違っていても、私が全部正しかったことにしてあげる」


 脱ぎ捨てた鎧を肩に担いだまま、エアは浴場を去った。


「魔王のサクラ。私達の乳が恋しいサクラ! あっはっは――」


 何やら笑いともつかぬ声が宮殿にこだました。サクラは自分が馬鹿にされているようには聞こえず、恐らくこれがエアや他の戦士達の本音なのだろうと思った。


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