序言
「ジェベの聖王」をご存知だろうか。歴史上の通称「二代魔王」と言えば理解されよう。
あるいは、彼に抗した英雄達――二代勇者ナナリス、名将アゼル、壮士ハルカニーユ、シアンソス大帝などについては、子供の頃に御伽噺で聴かされた人も多いだろう。
極寒のジェベに突如として現れ、悪魔の軍隊を率いてこの世に地獄をもたらした暴虐の王。だが、これは歴史的勝者である帝国側の記録に過ぎない。断片的な伝承でしか存在を知られていない初代魔王と違って、二代魔王や先の者達は垂名の英傑である。実在した人物には、史書にはあらわれない歴史の裏面が存在する。
浮遊人シル=ダリアの書き記した『魔王戦記』は、彼が二代魔王と同時代人であるが故に、一級史料としては貴重な文献である。ただし史料としての評価は、これより百年後に編まれた『浮遊大陸千年紀』に遥かに及ばない。我らが祖語である南サマル語で書かれた歴史書より、古代セス語の歴史書の方が重宝されるのは一つの皮肉である。
以下は二代魔王と同時代人である皇帝オクソスの側近であったシル=ダリアが、ガルミラという名の魔種の占い師から教わった童歌である。
その髪は漆よりも黒く、目は蓮華の花よりも紅い
瞳に宿る光は春風と、氷河と、爆炎の色に煌めくも
そのいずれにも染まっていない
威光はまさに白薔薇の花咲く棺より出で
怨嗟に満ちた世界を照らす
寵愛を受けし百の魔獣は、鋼鉄の牙で万軍を引き千切る
ああ、懐かしきサマルは我らが故郷
銀の子らも、黒の子らも魔王の前では皆、斉しい
暴君。破壊者。殺戮の王。現存するあらゆる史書が、二代魔王に対して最大級の嫌悪とともに彼の行跡を記している。その、唯ひとつの例外が『魔王戦記』である。
では、これから辿ることにしよう。暗黒と呼ばれる魔王の時代を――
序言了
第一章「魔王の尖兵」へ続く