一章幕間 其之参 焼失(後編)
この頃の問題は専らハビンガム国境付近で起きた。両国とも国境付近ともなると治安維持がほとんど機能していなかったからだ。それに国境ともなればその境界線も曖昧である。
そうなると村が強盗団などに襲われた場合、どちらの国も原因を確かめる為に軍を派遣する。そしてロクに調査もしないまま双方の言いがかり合戦が繰り広げられるのだ。強盗団はそっちに国の者達だろうとか、そもそもここは自分たちの領土だ、などである。
それらの睨み合いが実際の斬り合いにまで発展する事などはまず無いが、襲われた村からすれば、そんな無用な睨み合いが何の解決にもならない事を嘆いていた。そして、そんな状態が続いて何も起こらないはずもない。村人達がハビンガムの兵士に強く抗議した時、村人の一人がその場で斬り捨てられたのだ。
それを見逃すわけにはいかず、村を守る形で両者は互いに剣を交える事になった。それが切欠となり、気がつけばその小さな縺れが、大きなひびとなって国境の殆んどを埋め尽くしていた。ただ互いに本気で争おうと言う意思はなく、ハビンガムにしても今勢いづく新興国に手を出して、大きな損害が出るのを躊躇い、またロンドニアとしても防衛の為に貴重な戦力を欠く事を嫌った。言うまでもないが防衛では金は稼げない。
だがこの状況はまだ戦を知らない兵士や下士官達の実戦訓練にもってこいでもあった。
男が担当する下士官達もさっそく哨戒活動や、現状把握などで借り出される事になった。襲われた村の状況や、ハビンガム軍の動き、そして野盗などのいた場合の殲滅作戦などである。勿論彼らが実際に戦う事などない。男の監視下の元で兵達を動かして貰うだけである。
最初に襲われた村の視察に出た時、彼らの殆どはその悲惨さに圧倒されていた。略奪を受けて生き残れる人間などまずいない。殺された村人の残骸は血糊をべったりと付けてあちこちに転がっていた。だが女の遺体だけは丁寧に家の中で仰向けに置かれているのが目立った。服は脱がされ、腹は縦に割れている。目は見開き、苦悶の表情のまま宙を見つめていた。似たような格好で少女の遺体もあった。こちらは腹の代わりに膣が大きく裂け、その周りが血だらけになっていた。少女は気絶したよう白目を剥き、口から流した血がべっとりと口周り汚していた。
「酷い...」
それらを初めて見たものは思わず口に手を当て目を背ける。中には口を押さえて走り出し、嘔吐するものさえいた。欲望が食い散らかした後は、それが排泄される何千倍をも異臭と汚物だけが残される。戦に参加すれば嫌でも見る光景だけに、慣れさせる意味でも現状を知っておく必要があるだろうと男は思った。
蛆がたかる遺体を焼却する中でも哨戒から慌ただしく報が舞い込んでくる。どうやら野盗の拠点らしきものを発見したとの事だった。
男達は早速その情報を元に軍議を開いた。
肩書きの上では男が最司令官だが作戦には口出ししない。これまで培った経験を活かすべく、訓練生である下士官達に意見を出し合わせるのだ。
「敵はどれくらいなんだっけ?」
「確か、100あるかないかぐらいって言ってなかった?」
「武装は?」
「大した事ないみたいだけど、やっぱり足りないな」
それから、応援をどれくらい呼ぼうかと言う話になった時、少年は不意に言葉を出した。
「何故あの村だったんだろう?」
全員が少年の方を振り抜いた。
「拠点からは、ここにも、そしてここにも村はあるし、襲うならこの村が最も近いんだ。なのに襲った村はここ」
少年は指で襲われた村を指した。
「そりゃあ、あれだろ。その村が一番裕福そうに見えたとか」
「仮にそうだとしてもまず最初に襲うべきは拠点から近い所にならないかな?どのみち、全ての村を襲うつもりだったはずだし」
「そうとも限らないんじゃないか?」
口出ししないはずなのに男はうっかり口が出てしまっていた。だが、もう遅い。男は話を続ける。
「順に襲っていけば、それだけこっちも対応する時間が出来てくる。数が有利なうちに一番おいしい所を狙いたかったのかもしれん」
少年はその考えに頷いくも、まだ地図を睨みながら何かを考えていた。
そして皆が納得し、再び援軍を要請する話に戻ろうとしたその時だった。
例によって少年が応援を呼ばずに拠点を落とす事を提言したのだ。当然、皆難色を示した。少なくとも男と下士官達は少年の戦術が天才的なのは知っている。だが実戦で果たしてそれが本当に通用するのかどうか、この時点では判断出来ない。しかし同時に少年の提言に反論できるほどの攻略法もまた無かった。
強盗団の拠点は国境付近を警備する為に建てられた支城跡だった。戦略的に守る必要が無くなり放置されてたものを強盗団が占拠したのだろう。厄介なのが元が支城なだけあってその城壁は未だに頑丈さを保ち、攻略を難しくしている。籠城でもされ持久戦になると状況はさらに悪化する。それに一概に強盗団と言ってもそれが一個党によるものか、はたまた各方面に勢力を伸ばしている一門族あるかどうかも不明である。下手に援軍でも呼ばれれば最悪数においての優位性さえ失う恐れもあるのだ。
つまり、あまり時間をかけられない。
こうして不安が残りつつも、男は少年の案を通した。他も甘んじてそれを受け入れる。早くしなければと言う心理的な焦燥感も反論を封じた。少年がそこまで考えてたと言うなら、などと考えた男はその思慮に戦慄したがそれ以上は考える事をやめた。
準備は着々と進められ、全ての準備が終わる頃には日は暮れ、辺りは真っ暗になっていた。決行に移すには絶好のタイミングでもあった。そして、いよいよ作戦を開始する時、少年が言った。
「逃げようとする人は追わない事にしませんか?」
それに対して、真っ先に喰いかかってきたのは、下士官達、彼の同僚達だった。
「全く、あんなもの見せられてよくそんな事が言えるな?敵は全て皆殺しだ!当たり前だろ?」
彼らの頭の中には体に無理やりねじ込められて裂かれた少女の顔が脳裏に浮かんだのかもしれない。特に性を知らない子供の目には、大人が思う以上のショックがあったに違いない。少年はそれ以上何も言わなかった。
夜は更け込み、拠点の周りは篝火がぽつぽつと灯る。辺りを周回する見張りの松明だけが魂のようにゆらゆらと漂っていた。
「よし!始めるぞ!!!」
男の掛け声と共に、兵士たちは行動を開始した。
拠点にいる見張りが大声で何か叫んでいた。無理もない、男の声と共に拠点の周りを取り囲む形で灯火が現れたのだ。こちらの数は総数にして三十も満たないが、敵は一夜にして何百と言う大群が押し寄せたと思い、さぞ驚いただろう。実際は大小様々な木の枝に火を付けそれを立たせただけだが、この配置がまた見事だった。拠点から見れば先陣から後方まで途方もない数の何かに囲まれていると思っただろう。これらは全て少年自らが配置している。この火を利用しただけの立体錯覚陣の効果は、拠点の騒がしさを見れば一目瞭然だった。
拠点は少年が言う通り、極力なまでに外部からの侵入を拒んでいた。正門は頑丈な木門で閉ざされ、窓も頑なに全て閉じられている。外を覗けるのは弓を射る時に使う小さな穴だけだった。まずは城門でもある正門を動かせなくする為、事前に用意した巨大な樹木を数人がかりで正門の前で横倒しにした。次に用意した木板を窓を塞ぐ形で釘で固定し、貼り付ける。これで一時的にでも敵を中に封じ込める事に成功した。
そして見張りを斬り捨て、城壁の上から火を入れた枯葉が詰まった布袋を、等間隔で城下へ投下する。たちまちもくもくと白い煙が立ち込め、辺りの視界が不明瞭になる。百余の怒号が混乱と共に地響きを挙げるもお構いなしに袋を次々と投下していく。そのうちこちらも顔を片手で覆わなければ息ができないまでに煙は城中に溢れかえっていた。梯子を登りこちらに向かってきた数も少なく、充分に対処可能だった。そして、あの耳を劈くような怒号や悲鳴は驚くほどに静まり返っていた。男は意を決する。
「火矢を放て!!」
兵士達が一斉に放った火矢は瞬時に燃え広がり、
煉獄の如く拠点を焼き尽くして行く。最後の火矢はとどめですらない。言うなればそれは火葬であった。勝敗は城内に煙が充満した時点でもうすでに決していたのだ。
それは火攻めならぬ、煙攻めとも言える戦法だった。数々の戦乱に巻き込まれた少年は人が火に巻かれて死ぬのではなく、大量の煙を吸って肺が焼かれ、口を覆うようにして死んでゆく様を何度も見て思いついたと言った。
だが、それだけの事で果たして百をも超える人間を殲滅させるなど出来ようものか、誰もがそれを見るまでそう思っていたに違いない。結果はそれこそ敵からすれば火を見るより明らかだったに違いなかった。全員がその場で伏して倒れていた。少年はわずか三十余の兵で、百の屍を作り上げたのである。後はそれが燃え朽ちるのを見守るだけ、だが誰もが痛快笑みを漏らす事なく静かに全てが灰と化す様を見つめていた。
肉に焼ける中、屍の形が赤子のように縮まって行く。誰しもが最後はあの形となって燃え崩れて逝くのだ。その光景を見ながら男はふと自分の娘が生まれた時を思い出していた。
その時だった。
少し遠くから、長く貝笛の音が吹き上がった。振り向くとそこには長蛇の列を帯びた灯りが漂っている。先陣に掲げられた旗は馴染みのある紋章を翳していた。
万が一作戦が失敗した時の為の保険がやってきたのだ。
「ザイロ隊三百、援軍承り馳せ参じました」
初老の将軍は男の前に跪き口上を述べた。
男は将軍をに労いの言葉ををかける。作戦はうまくいったがその後の処理に人手がいる。それに協力して貰うつもりだ。その時、誰かが足早に駆け寄ってくる音が聞こえた。不測の事態かと顔をこわばらせたがそれが少年のものと分かって安堵した。
だが少年の顔は逆にどんどん険しくなっていく。
それは手柄を立て、勝利を勝ち取った顔ではなかった。
「援軍を....呼んだのですか?」
少年は静かに、何かを口に押し込むように言った。
「ああ...何か不味かったのか?」
男はそう返した。少年が一体何を恐れているのかさっぱり分からない、ましてや援軍まで来たのだ、何も憂う事など無いはずである。
「....いえ」
少年は短くそう答え、ゆっくりと後ろを振り返り、その場を後にした。その背中はとても小さく、まるで敗軍の将のように弱々しかった。
援軍のおかげでそれ程時間をかけずに、事後処理は完了した。殆どが燃えて焼失したが、それでも僅かにに残っていた盗品や食料は残っている村々に返却した。男は今回の短い遠征に概ね満足していた。下士官達の経験としてこれ以上にない結果が得られ、またその時には少年に対しての心の燻りも消えていた。自分の愛弟子から後世に残るであろう天才的な用兵家が生まれた事を誇りにさえ思っていた。自分としてはそれを支え、全力で見守っていくのだと心に誓った。
そして、男達の軍は無事に凱旋する...。
「あれ?」
男は思わず口に出していた。
道を間違えたとさえ思っていた。
そこにあるべきはずの町が、ぽっかりと無くなっていたからである。所々で煙が燻り、家であった残骸は瓦礫の山となって綺麗に集められている。
(なんだこれは?俺の町は...みんなは?)
隣にいた少年が膝から崩れ、頭を抱えていた。
まさか、本当に、そんな事を呟いていたような気がする。
男は未だに状況を掴みかねていた。
呆然と立ち尽くす男の前に、かつての部下であった若い将兵が顔を下に向けて膝づいた。
「駆けつけた時には最早手遅れでした!雄々しくもライラ殿は生き残った者を集め、籠城に徹しようと、だが賊はそれを嘲笑うが如く、火を放ち....」
最後の言葉は鳴き声になっていた。
この辺りの大きい建物といえば、軍病院しかない。そして、それは木造で頑丈に作られたものであった。
後の話になるが、この町、男が拠点としたこの町は元々長い間、賊達によって狙われていたのだ。男が根絶やしにしてきた数多の徒党がその怨恨を晴らすべく、ずっとその時がくるのを伏して待っていたのだ。
それは、その町が手薄になる時、つまり....
(俺が...援軍を.......)
まるで後ろから蹴られたように男の膝は崩れた。何もかもを悟ったその時、男は目の前が暗くなっていた。
だが、男はあの時を思い出だす。
少年があの時言った言葉、その絶望した顔を。
男は隣にいた少年に振り向いた。その顔は驚くほど無表情だった。
「....知っていたのか?」
その問いかけに少年はしばらく黙ったままだった。そして、少年は涙を流しながらそれでも声を濁らせる事なく話した。
「いえ、ただすごく嫌な予感がしたんです。誰かが裏で何かを操っているようなそんな感じが...」
これらの騒動が最初から仕組まれていたものかなど誰にも分からない。ただ確実だった事は男がこの場から出た事、そして目的地へ着いた時には何かの動きがあったのだろうと言う事、少年が鮮やかに葬ったあの強盗団もまた、その何某によって利用されていたと言う事。
そして、男が援軍さえ要請しなければ、この惨劇が起こる事は無かったと言う事実であった。
その時の記憶は大分曖昧になっている。ただ脳裏に焼き付き、今でも戒めのように覚えているものもあった。それは軍病院の焼け跡、そこから運び出された遺体の列であった。
皆、あの時と同じように、同じ姿勢になって並んでいる。あの拠点で見た赤子に回帰するような姿勢である。身元など分かりようもない、その中で自分の妻や娘がどれであるかなど.........
それは見事なまでに自らを主張していた。
大きな巨体が炭化して真っ黒になりながらも、その風貌を晒していたのだ。そしてそれが何かを守るように、小さくなった遺体を抱いていた。
それがかつて何であったなどと思うより先に、男の口から、止めどなく血が溢れていた。ガチガチに硬直した奥歯がその肉を千切った事に男は気づいてなかった。同時に握り込められた手からも滲むように血が溢れていた。
男は泣かなかった。
だがそにかわりに、何かを言おうとした。
すまなかった
それは言葉になる事なく、口から流れる血溜まりにかき消された。誰も男に声をかける事は出来なかった。
それから、男は自らの任を退いた。そしてそのまま軍も辞めた。ロンドニアにおいてそれは浪人になる事を意味していた。
男は酒に溺れるようになった。
そんな無様な男に周りは怒りと罵声をぶつけた。
やり場のない悲しみや怒りの矛先がそこにはあった。
ただ、少年だけが男を庇うように、矛先の前に立った。
男は優しく、少年の肩に手を置いた。
そしてそのまま、何処かへと消えた。
その背中はとても小さく、まるで敗軍の将のように弱々しく見えた。
次から帝国編に入りますが色々設定を練り込む必要があるのでしばらく休止します。




