一章幕間 其之参 焼失(前編)
その男はロンドニアの将校をしていた。そして、その肩書きこそが彼の価値を現していると言っても良かった。何故ならロンドニアという国は国民全てが軍事関係者と言う傭兵国家だからである。彼は戦場では無敗を誇り、そして数々の功績を残してきた。実際それらはこの国の英雄たる者として、上の者達が多少誇張したものではあったが割りかし間違いでもない。
ただ付け加えるなら、その男は万能型であった。
猛将でも知将でも無く、戦場に出てどこへ配属されてもそつなくこなす。そうなると手薄になった所から声がかかるので後方支援や、場合によってはは糧秣、兵站部隊に駆り出される事もあり、それがこの男に不敗神話を確立させた。
また男の妻も優秀な兵士だった。
男の妻は美しく、透き通るような肌に、ブルーダイヤモンドのような青い目を持つ女性で、顔だけ見れば誰しもが羨望する程の美貌であった。
だが、その顔は常に夫である男を眺める目線にある。巨人と称してもおかしくはないその強靭な肉体はもは性別の領域すら遥かに超えていた。
男が不敗であるならば、妻は百戦錬磨、もっと酷く言えば鬼妻とも呼ばれていた。その鍛え上げられた屈強な体が示すように、その妻も負けを知らない勇敢な兵士であった。
どちら似たわけでも無く、娘の方は普通に育ってくれた事に男は陰ながら安堵していた。だが、いつかは母のように前線に立つか、もしくは自分のような指揮官になるなどと夢見ている。今は軍病院で衛生看護助手として仕事をしているが、男としてはそのまま優秀な女医になる事を望んでいた。
その当時のロンドニアはアーレ・ブランドン共和国から独立したばかりであり、大いに活気づいていた。各国で起きる様々な紛争や内戦に参加し、大きな成果を収めつつあった。そこには確かな正義があったとさえ思える。裏を返せば誰もが勢い付き、調子に乗り、驕れていたと言え、それは男にとっても例外ではなかった。
目がまわるような忙しさではあったが、同時に生きがいも感じていた。その万能さ故に、自分ならば何処へ行こうが、どの配属になろうがそれなりにやれると自負していた。そんな時、男に意外な辞令が下った。
それは若き下士官達の教育指南であった。
流石の男も、その辞令には参った。まだ教鞭を振るう側ではない。他にいないのか?と聞いたが戦術では実際に数々の戦果を収めた君こそ相応しいとして半ば強引に推し進められてしまった。
妻に愚痴れば、逆にそれを鼻で笑われた。
「上の連中はきっとアンタがホイホイ手柄を奪っていくのが気に食わなかったんだろうさ」
「まぁ良いじゃないか、たまにはこれから活躍する未来の指揮官を育てるってのもね、その時だけはアンタもヘマ打って死ぬなんて事はないんだからさ」
妻は最後に「私は全く心配なんざしてないけどね」と付け加えた。彼は同意は得られなかったが、そんな彼女らしい一面が見れて少し嬉しかった。娘に至っては私も参加したいなどと騒がれ、結局誰の味方も得られぬまま、その辞令を受ける事にした。
受け持つ下士官は全部で6名、皆不敗の英雄を前に、緊張気味に直立している。
ただ一人を除いては。
皆がまっすぐに自分を見つめる中、その少年だけはどこか遠くを見るように上の空であった。無論、やる気のやの字も感じられない。
気になるのはそれだけじゃない。ロンドニアに居る殆どの人種は北から伝来したとされる北方種と呼ばれ、肌は白く髪は明るい。だがその少年が色白ではあるがその髪も目も、吸い込まれるような黒であった。彼が知る限り、そのような一族が住まうなんて話は聞いた事がない。
そんな態度や容姿も相まって男はその少年に興味を持った。少なくとも、少年の生い立ちぐらいは調べようと思った。
少年は戦災孤児だった。
一緒だった人間とは逸れ、荒れた戦場で立ち尽くしている所を上官が拾い上げ、そのまま戦災孤児院へ預けた。当然彼には下士官になれる程の身分はない。彼がこの場にいるのは他ならぬ、彼を拾った上官の推薦があったからだ。
「その時の記憶が曖昧でね、一緒にいた人が自分の家族かどうかすらも覚えてなかった。だがそれ以外は至って普通の子だった。あの紛争に関しては我々に義はあったが、思うところはある」
「罪滅ぼしとは言わぬが、少しでも可能性があるならと思ってね」
説明を聞いた上官の話に男は思わず曖昧な返事を返すだけだった。とは言え、男はその少年に同情しつつも、あくまでも公平に下士官達を育てる事にした。
結果で言うなら少年の評価は最低であった。基礎体力も劣り、剣すらろくに振るう事すらできない。それにどこを見てるか分からないのは、単純な視力低下によるものだと言う事が分かった。男はため息をしつつ、自腹で少年に眼鏡を買い与えた。
男の得意分野でもあった戦術についても、少年は問題ありであった。過去に起きた大きな戦争を参考にした模擬戦術において、少年は一度も白星を付けたことは無かった。
だが同時に黒を付けることも無かった。
彼の戦術は戦を一切せずに、相手の消耗を狙い長期戦に持ち込んだ末、兵糧不足によって続戦不可にする戦法を取ったからである。
それは勝利とも言えず、さりとて負けともできない為、男はその評価に頭を悩ませる事になる。
男はまだその少年の才能に気づかないでいた。
あれから数ヶ月ほど経った。
訓練中の下士官達は少年と、それ以外で分かれていた。少年以外は皆身分の高い家の出で、実技、学術共に申し分ない成績を残していたから仕方ないのかもしれない。彼らがエリートであるが故に虐めにならなかった事だけが幸いであったが、言葉にしないまでも少年を憐れむような感じはあった。だがそれも些細な事である。
少年の方は相変わらずぼうっとするのが好きなのか、何もない平原とその向こうに広がる海をずっと見ていた。
ある時、男は生徒達が過去に行った模試戦を記録した用紙に目を通す。遡る事でそれぞれの成長が分かるからだ。少年以外は全員及第点を超えている。だが逆に言えばそれは先人が行った道を辿っているだけに過ぎず、こう言う言い方は悪いが面白みに欠けていた。何よりこれでは容易に敵に動きを読まれ、実戦なら最悪敗北を期すだろう。男は学術による限界を感じていた。ただ、少年だけは何故か常に実戦を意識するかのような動きを見せていた。まるで彼だけは何かが見えているようにも感じる。単に兵を動かすだけに留まらず、天候や地域の情報までも視野に入れ、そしてそのどれもが戦わずして勝利を収めていた。
そして男ははっと息を呑んだ。少年が考えた戦術は全くと言って良いほど前例が無かったのである。何の犠牲の出さずに勝利する事などあり得ない。だが少年が生み出した兵法、奇策はその全てを可能にしていた。
男は苛立った。なんだか馬鹿にされている気になったのだ。言葉に出さずとも少年が出した答えは男が今まで培ってきたそれを見事に瓦解させた。それだけじゃない。少年はこれまでに繰り広げられた全ての戦の歴史を完全に否定したのだ。
「ふざけるな!!!」
男は勢いよく用紙を破り捨てた。
そこで男は我に帰る。何をムキになっているんだ。まだ年端もいかない子供相手に...。まるで自分が子供みたいに思え情けなくなった。
そんな時であった。
いや、そんな時だからこそかもしれない。
男はロンドニアに籍をおけなくなる程の重大なミスを犯した。




