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好きだった人

 谷崎汐(たにざきうしお)神戸梓(かんべあずさ)は居酒屋にいた。


「すみませーん、生2つください」


 片手を上げて店員を呼ぶと、梓は快活な声でそう告げた。了承の返事を笑顔で受けると、テーブルの上に早速メニューを広げ、何食べるー? と視線は上げずに汐に問う。


「……あ。聞かずに頼んじゃったけど、生で良かった?」


 突然パっと梓の茶色の大きな瞳が汐へと向いた。バチっと合った視線の先の、あまりにもあの頃と変わっていない梓を汐は思わず眩しそうに目を細めて笑う。


「生でいいよ。あと、梓が食べたいの頼めばいいから」

「えー、でもどうせなら汐も食べたいものの方が良くない? 嫌いなものってなんだっけ」


 梓はまたすぐにメニューに視線を落とし、顎に手を掛けて考えるように呟きながらパラパラとメニューをめくっていく。あの頃も奔放な発言にイメージを持っていかれがちだったが、実は梓は誰よりも周りを気遣っていたなと汐は思い出す。


(ああ、懐かしいな)


「梓ほんと変わんないよな。なんか、懐かしくて安心する」


 無意識に緩む頬を隠さずにそう言うと、梓がきょとんとしたように目を丸くし、すぐにムッとしたように唇を尖らせる。


「……ほんと? って、自分がちょーっと変わったからって、なんかムカつくー。そうだ、これお詫びも兼ねてるの忘れてた! じゃあ汐の嫌いなナス入ってるの頼んじゃおーっと。私は好きだしっ」

「いやいやいや、そういう意味じゃないし……それにほんと、梓が好きなの食べればいいから」

「言われなくてもそうしますー」


 梓がちらっと汐を見て手を上げようとした時、お待たせしましたー! と先程頼んだ生ビールが店員の元気な声と共に運ばれてきた。入れ替わるように食べ物を注文すると、届いたジョッキを片手に持って梓が満面の笑みを向ける。その笑顔に釣られ、汐も思わず笑顔になる。


(ああ)


やっぱり好きだなあ、と汐は思った。飲む時は楽しくなきゃ、と梓はいつだって笑っていた。汐はその笑顔が好きだった。汐は、梓のことが好きだった。


「じゃあ、お久しぶりー」


 そして、と梓が一度言葉を切ったところで、汐ははっとあの頃へタイムスリップしていた意識を取り戻す。梓と視線が交わると梓は更に笑みを深め、


「汐、結婚おめでとうーっ!」


と、右手に持ったままになっていた汐のジョッキにカチンと自分のジョッキを当て、かんぱーい、と楽しそうに言ってビールを飲んだ。


「……」


 汐はゴクゴクとビールが流れていく梓の喉を見ながら、ああそうだった、と今日の会合の目的を思い出した。

 汐は先日結婚した。相手は、在学期間は被っていないが同じ大学の子だった。後輩が開いた飲み会で知り合った、そんなありふれた出会いだった。


「ありがとう」


 祝いの言葉に笑顔で返すと、梓はうんうんと満足気に頷く。


「じゃあ、お祝いもしたし、ここからは不満ねっ!」

「ええー……早くない?」


 梓はグビっともう一口ビールを流し込むと、ジョッキを静かにテーブルに置いて汐を責めるように目を細める。


「どうして結婚のお祝いと報告を居酒屋でしないといけないわけ?」

「……」


 しごく最もな梓の不満に汐は自らもほんとになと思いながら、拗ねたように少し頬を膨らませて抗議する梓に困ったように眉を下げる。


「それはほんとにごめんって。だけど、言ったけど、奥さんが」

「知ってる。ヤキモチ妬きだから、女の子を呼びたくないって言ったんでしょ? 同じ学校の人は特にって」

「うん」

「だから汐側の友人席には女の子誰もいなかったって」

「うん……」


 梓の言う通り、汐の奥さんになった子は嫉妬深く、女友達、特にいつも楽しく話す学生時代の繋がりを嫌がった。だから汐の結婚式の友人席に、女友達の姿は一人もなかった。


「わかる。わかるよ、奥さんになった子の気持ち。たまにいるもんね、そういう子。それに、奥さんを一番に考えてあげなきゃいけないしそうすべきだってのは全然わかってる。でもさあ」


 梓の言葉ではっと意識を取り戻す。今日はこんなことが多いな、と汐は溜息を誤魔化すようにビールで流し込むと、梓がジョッキを持ったまま、悲しそうな、悔しそうな複雑な表情で汐を見ていた。


「あず」

「私は違くないっ?! 私と汐は、そういうの関係なくて、女だから呼ばれないって、そんなことにとらわれるようなそういう付き合いじゃないでしょ?! 汐の結婚式に私がいないのって絶対おかしいと思うっ!! 確かにさ、わかるんだよ? 女友達見たくない~とか、そういう気持ちっ。でもさ、そういうの通り越して、そこに私がいないってのは絶対に違うと思う~! だって、私と汐だよ? 汐のこと一番お祝いできるの、絶対私だもんっ!!」


 捲し立てられた梓の言葉に、汐は面食らったように言葉を失くし、パチパチと瞬いた。本気で悔しそうな姿を嬉しく思う反面、恋愛感情の欠片もないその発言に、自分の中の奥底にいる過去の自分が、複雑な表情をした。


「…………あははっ。ほんとそう。梓の言う通りだよ。梓がいないなんて、ほんとありえないよな」

「そうだよっ。だから、ほんとはちょっと怒ってるんだからね」

「え?」

「私だって、幸雄たちと一緒に、おめでとうってお祝いしたかったよ」

「うん……」


 汐自身も本当はそれを望んでいた。結婚式当日、幸雄たちが祝ってくれる中に梓の姿がなかったことは、汐にとっても違和感だった。それくらいお互い近い存在だったのだ。


「……」


 それに、決定的な場面に梓がいてくれた方が過去の自分との決別には都合が良かったのにと思っていたことは、墓場まで持っていく秘密だ。


「それにさ、もう一つ怒ってるんだからね?」

「え? もう一つ?」


 これ以上心当たりのない汐は焦ったように梓を見ると、梓は悪戯っぽく笑った。


「そう。二人ともいい年になって結婚してなかったら結婚しようーって約束だったのにさ、汐こんなに早く結婚しちゃうんだもんっ」

「へ?」


 思いもよらない梓の言葉に、汐はお通しの野菜スティックを味噌につけたところでポキっと折ってしまった。あらら、という梓の声に折れた大根を摘まみ上げながら、汐は恐る恐るといった感じで視線を上げる。


「……覚えてたんだ」


 心の底から絞り出したような感想に、梓は、当然っ、となぜか胸を張って笑った。汐も釣られるように口角を上げると、ゆっくりと鼓動が早くなっていくのが分かった。随分前に封印した想いが、そういうつもりで言っていないことを分かりながらも、反応してしまうのは仕方がないことだと思う。


「そんな約束までしてたのにさ、汐は私に連絡もなく勝手に結婚しちゃってさ、おまけに事後報告って、そんな悲しいことあるっ?! そんなことされた私の気持ちがわかる? 汐の一番の友達は私なのにっ!」


ほんと悲しいっ、と言って梓はジョッキに残っていたビールを煽った。ちょうど料理を運んできた店員に、汐の分も一緒にお代わり頼んでいた。


「……」


 ノスタルジックに速くなった鼓動が、梓の言葉で少しだけ冷静さを取り戻した。確かに、梓にとって汐はずっと一番の友達だったと思う。だからこそ学生時代は梓の恋愛相談をずっと聞き、汐は自分の気持ちに蓋をしてきたのだ。だから今の梓の発言に今更ショックを受けてしまったことも、決して梓のせいではないのだ。それを事実にしていたのは自分なのだから。


「……ほんとはさ、先にちゃんと報告するつもりだったんだ」


 少しぬるくなったビールを流し込みながら、汐がぽつりとそう呟いた。梓の瞳がまあるく大きく見開かれる。


「え、うそ」

「ほんと。サッカーの試合一緒に行って、そこで伝えようと思って……」

 梓の目を見ないように、汐は届いた厚揚げを箸でつつきながら相槌を打つ。これだって、本当は言うつもりもなかった、墓場まで持っていく秘密だった。

「いつ?」


 梓の真剣な声に、汐はゆっくりと視線を上げた。思っていた反応と違うそれに戸惑う汐の瞳に、梓の真っ直ぐな視線が刺さった。


「いつって、GW頃」

「え? なにそれ、知らないっ!!」

「知らないって、メッセージ送ったけど返事こなかったじゃん」

「うそっ! そんなの届いてないっ! だって、汐の連絡私が無視するわけないもんっ!!」

「……」


 きっぱりと言い切った梓に汐ははっと息を飲み込んだ。確かに、梓から返事がこなかったのは後にも先にもその時一回きりだった。だからこそ、汐はその時きっぱりと過去の自分の気持ちと決別したのだ。本当だったら、サッカーの試合を見終わった後に告げようと思っていた告白を、永遠に封じたのだ。もちろんそれでどうこうしようと考えていたわけではないが、何かを感じ取った梓があえて返事をしてこないのだと、告げることすら叶わなかった想いを汐はそれもまた運命として受け止めたのだ。なのに。


「……」


 スマホを片手に一生懸命画面をスクロールする梓の姿に、汐はじっと目を留める。そういう意味じゃないと分かっていても、汐のことで必死になる梓の姿を、心の奥底にいる過去の自分がじっと見つめている。


「……」

「あ! わかったっ!!」

「?!」


 スマホの画面から視線を外した梓が、なんとも言えない表情で汐を見た。汐は自分が今どんな顔をしているか分からず、咄嗟にジョッキに口をつけた。


「さっきGWって言ったよね? その時海外旅行しててさ、なんかWi-Fiの調子悪くてメッセージちゃんと受信できなかったとかあったの思い出した。多分その時じゃない? じゃなかったら汐の連絡気づかないとか絶対ないし……」

「……まあ、だとしても。梓海外いたならどっちみち行けなかったし、仕方なかったよ」

「そうだけどー……」


 残念そうに梓が言葉を濁らせる。


「あーあ。行きたかったなー、サッカー」

「……そんなに?」


 確かにお互いサッカーが好きなので、サッカーの試合なら、二人きりではないが行ったことがある。そこまで珍しいことではないのにどうしてかと汐が不思議に思って梓を見ると、梓は悪戯っぽく、ふふ、と笑ってみせた。


「だって、それってなんか汐とデートするみたいじゃない?」

「え」


 思わず声が掠れてしまった。唐突にあの暑い夏の日がフラッシュバックする。梓の意図が分からず汐が戸惑うような表情をしてみせると、梓は笑みを深くする。


「汐覚えてる? 学生の時さ、幸雄と電話してきたことあったでしょ? 汐とデートしてくれーって幸雄が騒いでて良くわかんなかったやつ」

「……ああ、そんなこともあったっけ。梓、良く覚えてたなー」


 嘘だった。あの記憶は、汐の心の奥深くにトゲのように刺さってずっとそこにある。突然触れられた柔らかな部分に落ち着かなくなった気持ちを誤魔化す為に、汐はビールを一口飲んだ。


「覚えてるよ。なんかあれ良くわかんなくて結局いわゆるデートなんてしなかったじゃない? 良く遊んではいたけどさ」

「……」

「だからさ、サッカー行ってたら、ようやくデートできたのかなって思って」


でも、と梓が一度言葉を切った。


「結局最後までデートできなかったね」


ざんねーん、と梓は不満気に呟いた後、ふふ、とまた楽しそうに笑った。


「……」


 それは梓の気持ち次第だよ、と汐は思った。学生の時だって、今この瞬間だって、多分隣の席のサラリーマンやさっきビールを持ってきたバイトの店員からしてみたら、自分達のこれはデートだと思われている可能性の方が高い。


「……はは。ほんとだな」


 だが、それを事実にしなかったのは、今も昔も梓なのだ。


「……」


 心の奥底で今にも泣きそうな表情で笑っている過去の自分を飲み込むように、汐はすっかりぬるくなったビールを一気に流し込んだ。


ありがとうございました。

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