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私の話

作者: 律稀

 大学生になって、何となく焦っている自分がいるのには気付いていた。このままではいけない気がする。でも何をどうすればいいのかは分からない。追いつかなきゃいけない気がするのに、足が動かない。進まなきゃ、なんて思っているうちに数人に抜かされてるような、そんな感覚。


 五月、世間ではゴールデンウィーク。数日前から何もやる気が起きない。五月病だろうか、なんて思いながら何もせず椅子に座る。大学生になったらやりたいと思っていたことが沢山あったはずなのに。結局、サークルに入る決断も、バイトを始めることも出来ないままこんな時期になってしまった。課題も溜めてしまっているし、良くない状況だ。それなのにため息のひとつも出ない。重症かもな、なんて思っていたらふと鏡が目に入った。

「大学生になって、化粧することもあるだろうから」

 と言って母親が渡してくれた置鏡。二つ上の姉や母親が顔を作る時に見るものと同じもの。一度も役目を果たしていない、それ。

「そうか、これか」

 思わず声が出るほど腑に落ちた。化粧だ。自分が劣っているように思えたのは、これのせいだ。高校時代の友人も、大学に入ってから知り合った子も化粧をするけど、私はしたことがない。やり方を知らないのもあるけど、自分なんかが化粧していいのかなんて考えてしまう。どうせ私が着飾ったところで誰も気にしないんだろうけど、手を伸ばそうかと思うだけで胸のどこかがじり、と焼け焦げるような感覚がする。お前が化粧か、と嘲笑う私と、じっと何も言わずに私を見ている私がいる。それだけでもう、私は手を伸ばすことが出来なくなる。頭の中で私を殺しかけた声がする。汚い、臭い、ブスだって、私を蝕む声は、きっと一生消えない。




 私は生まれつきアトピー性皮膚炎で、他の人よりも肌が弱かった。手なんかはすぐに荒れて血だらけになるから、石油由来成分が入ってる石鹸や柔軟剤なんか使えなかった。私にとって化粧品をはじめ、人口香料を使った柔軟剤のCMやシャンプーの宣伝は、いつも実感の無いものだ。花の匂いだとか、所謂女の子の匂いから遠いところにいたんだろう。


 化学製品の匂いは慣れてない私には小学校っていう世界は強烈だった。例えるならビビッドカラー極彩色の蛍光色ばっかりを見せられて、目がチカチカし続けてるみたいな感覚。色んな家の柔軟剤の匂いを吸った給食当番の白衣なんて、触るのすら躊躇った。いつも頭がくらくらしたり、酷い時は起きてるのが辛いくらい調子が悪かった。

 でも、「友達」と一緒にいたかったから大量の布のそばに行った。他の「みんな」と同じようなものを使いたかったけど、それは自殺行為だと母親に怒られた。事実だし仕方ない。止められて当然だったのは分かってる。けどその事実が異常だ、変だって指さされる原因だった。市販の洗剤使えないって言った瞬間、汚物扱いだもんな。なあ、あんた達のせいだよ。こんな歳になった今だって臭い、汚いって言葉を向けられるのが怖いのは。


 アトピー性皮膚炎は生まれつきだから私のせいじゃない。じゃあなんで私は私のせいじゃない、罪なんてどこにもないことで責められてひとりぼっちになってるの? 何を恨めばいいの? ひとりぼっちになりたくなくて、「みんな」はいい匂いだって言う匂いを嗅いで、頭が痛くなっても必死で隠して笑ってた私はいつ報われるの? ずっと胸の底で燻ってる問い。発していないから、伝えてないから誰からのアンサーが無いのは当然だけど。……誰かに、答えて欲しかったのかな。


 私のせいじゃない。私のせいじゃない。じゃあ何が私のせいなんだよ。自分に原因があったんだったら、もっと気持ちに整理がついたのに。私が悪かったんだったら、それで自分を責めて終わりだったのに。何も悪くないんだったら、何も責められないんだったらこの感情をどこにぶつければいいんだよ。何に責任転嫁すればいいんだよ。あの時からあんた達を恨めれば良かったんだ。仲良くなりたい、とか思ってたせいで憎めなかったあんた達を、責められたら良かったのに。


 なあ、あんただよ。


 恨めれば良かったんだ。中途半端に、適当に私に優しく接したあんた達を、今みたいに恨めれば良かったんだ。恨んで、憎んで、許さないって決めて。そうすればもっと楽だったのに……すぐに嫌いになっちゃえば、あんなに傷付かなかったのに。自分から出向いて殺そうなんて思わないよ。でもね、私が死ぬ時にはあんた達全員道連れにしてやりたい。


 こんなに時間が経ったのに、何も変わってない気がする。後ろを振り返れば、誰もいないはずの家の中で、誰かに見られてるような錯覚がして、今も誰かに笑われているような気がして膝を抱えてうずくまって、ただじっとしていることしか出来なかった私がいる気がする。怖い。もう何年も前の話なのに、未だに体が覚えている。思い出すだけで胸がじっとりと湿っていく。辛い。悲しい。何で。どうして。もう嫌だ。笑えるくらい覚えてる。ああ、満たされない。いつだってこの記憶に伴って生じるのは虚無感だ。


 腹立たしいと思う。きっとあの人達は私のことなんて忘れてるだろう。私に植え付けられた劣等感や閉塞感なんて存在しなかったみたいに、あんた達が生きてることに我慢ならないくらい腸が煮えくり返る日がある。でも私を覚えてて欲しいなんて思ってない。むしろもう関わりを断った人間には、私の記憶を抹消して欲しいと思うのに。覚えてて欲しいなんて思ってないけど、私はあの苦い記憶は私以外には何の意味も無かったんだと、そんなこと認めたくないんだ。笑い話にもならないような、酷い矛盾だ。


 あの人達に何か一つ言うならば、こうだと思う。

「一生私に恨まれててね」


 一生知らないままで、声も人柄も知らない人間に恨まれたまま死んでね。ああ、可哀想だね。自分が何をしたのかも分からないまま死ぬんだね。私はそれを肴にクスクス笑わせてもらうよ。人格形成期に嘲笑われるよりも百倍マシでしょ? 忘れてるんだから思わないだろうけど、万が一許されたいと思ってもそれは叶わない。こんなねちっこい人間と関わっちゃって可哀想だね。

 でも、それもあんた達のせいだよ。一生許さない。少なくとも一人の人間に、最悪の人種として記憶され続けてね。




 別にこれで何かが満たされるとか、そんなことは無いけど。あんた達のせいで怖くなった──恋愛だとか、オシャレだとか、友達と遊んだ記憶だとか、色んなことを拾っていける訳でもないけど。急に嘲笑われた私が、嘘みたいに可愛い女の子になって迷いも悩みも吹っ飛ぶ、みたいな御伽噺めいたことが起こるはずもないし。


 結局私はないない数えしか出来ない。立派な人間にはなれない。内心じゃ人を見下してるくせに、努力することだって、壊滅的に下手だ。それなのにプライド高いもんだから、人を見る度に自分の劣っているところを見つけて、自分で勝手に自分を削ぎ落としてただけだろう。分かってるのになぁ……変わらない。変えられないなあ。私は変わりたいのかなあ。普通の、可愛いものを自分のものにすることを躊躇わない女の子になりたかったのかなぁ…………もう、忘れちゃったなぁ。


 目の奥がツンと刺激された。同じ部屋にいる姉に不審に思われないように、自然に装って机に突っ伏す。涙が滲んだ、大学用にと母親が買ってくれた可愛すぎる服は、やっぱり私には分不相応のように思えて、余計に虚しい。……そんなこと、今は思い知らされたくなかったよ。

 隣からタイピング音がする。気がはやるのに、体は動かない。課題も、私も何も進んでなくて、また劣等感に陥るんだ。結局、私は私のことも憎いんだって。わかっていることを反芻しているだけなのに、それなのに涙がまた出てきて、それが私は腹立たしい。涙が止まるまで、袖が乾くまで。誰にも吐かない呪詛の言葉を頭の中で巡らせたあとは、少しでいいから、次こそは動いて。

本当は投稿しないつもりだったんですけど、これを読んで一人でも傷付いた人がいたらいいなと思いました。もしいたら私の勝ちです(何)

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