第一章 出(4)
「やられたらやり返せといつも言っておろうが」
鼻に無理やり脱脂綿を詰め込まれ、おえ、と声が出た。
ふん、と言いながらロドフ神父は立ち上がり、壁伝いに歩きながら古い棚に救急箱を片付ける。
二脚の椅子とテーブル、そして古い棚しかない質素なリビングのそばに小さなキッチン。
そして窓辺にはベッドがひとつ。ロドフ神父の寝床だ。
僕は2階の屋根裏を部屋にもらった。
2人で住むには十分なほどの家だ。
「やり返せないですよ」
椅子に座り俯きながらそう言えば、杖で足の先を突かれる。
弱きになるな、と言われているようで顔を上げられない。
だって、半端者なのは間違ってない。僕を忌み嫌うのは仕方のないことだ。
気持ち悪いと思うのも、それを排除しようとする気持ちも、間違ってないと思う。
間違っているのは僕の方だってことは、新暦書にだって書かれているのだから。
ロドフ神父は杖をテーブルに立てかけ、僕の手を握る。
「イル、大切なのは自分だ。他人じゃない。自分があるからこそ他人があるのだ。神は我々を見守っておられるが、いざという時に自分を救ってくれるのは自身の心の強さだ。神は必ずしも救ってくれるわけではない」
「……」
「はっきりいうとな、あのガキどもにお前は心の強さで負けてるんだ。だから私はやり返せと言っておろうに」
「やり返して心は勝てるんですか」
「勝てる、少なくとも肉体でな」
ふふん、と鼻を鳴らしながら僕の手をぎゅっと握る。
こんな暴力推奨なことをいうのはロドフ神父だけじゃないのか。他の神父に会ったことがないのでなんとも言えないが、少なくとも新暦書にはやられたらやり返せなんて書いてなかった。
「こんなに立派な拳があるんだ、あの丸々太ったクソガキの腹にぶち込まんでどうする」
シワシワの手で僕の手を撫でる。
本当に、神父らしからぬことばかり言ってくる。
おかしくて、ふふふ、と笑ってしまった。
「新暦書にも書かれてないのに」
そういえばロドフ神父は神妙な顔をした。
「イル、この世には新暦書に書かれていない大切なことがたくさんある。もちろん新暦書は大切かもしれんがな、全てを信じればいいというものではない。もちろん私も全てを信じていない」
「じゃあ何を信じればいいのですか」
「自分自身だ、そして自分の目に映るものだ。自分で見たものしか信じるな」
真っ直ぐと目を見て言われる。
ロドフ神父の緑色の目が西日が反射して輝いている。僕の灰色の瞳とは似ても似つかない綺麗な色。
「わかったら洗濯物をしまってこい」
指さされた窓の向こうには洗濯物がはためいている。
わかりました、と立ち上がり僕は外に出た。
洗濯物をカゴに入れながら、夕日を眺める。
遠い向こう側に月が見え隠れしていて、今日は満月なのだな、と思う。
新暦聖書では三神はまず太陽と月と星を創ったとされている。
真直を司るセシーヌ神が生命の源を創り、彎曲を司るパドラマ神は姿形を創り、そしてナイア神が生命の流れを創ったとされている。
三神はそうして男と女を創った、と記されている。
どの種族にも男と女があり、そうでないものは生命の輪から外れているという認識になる。
つまり僕は、男性器も女性器も持たない僕は、生命の輪から外れた神の失敗作ということだ。




