42才が大学生活を思い出してみました。
こんにちは、42才主婦です。
今回は、1997〜2001年の大学生がどんなだったか?です。
私の大学生活における話と、他大学に在籍している友人も似たようなものだった事柄を書いていきます。
出席点があるかどうかは、講師次第でした。
必ず2/3出席しなければならない方もいれば、試験やレポート一発勝負に賭けてもOKな方と、逆に出席点さえ満たせば単位をくれる方、様々でした。
故に、サボりが横行していましたし、出席点が必須や加味される授業で休める回数をカウントする学生が多かったです。
理由は分かりませんが、講義を本来の終了時間15分前には終わらせて、休講が妙に多い先生がいらっしゃいました。そして休講し過ぎで学生課から怒られた、とボヤいていたこともありましたが、何故そこまでして休講を多めにしていたか、真相は分かりません。
学校内に喫煙所がありました。
私の通う大学は敷地が小さかったですが、喫煙所というか、灰皿のある場所が2箇所ありました。但し校舎内は防災のために喫煙禁止です。当たり前か。
でも喫煙所まで行くのが面倒で部室でデミタスカップを灰皿代わりにして吸っていたこともあります、すみません。
私の学校は夜間部かあったためか、完全施錠は午後10時で、部室の施錠が9時、学食は7時がラストオーダーでした。解錠が朝7時で、部室を開ける時は校門脇にある守衛室に学生証を提出し、部員名簿と照会して鍵を渡して貰っていました。
国公立に通う同世代だと、校舎も部室も「不夜城」で、徹夜で実験や研究に励んだり、何なら「学校に住む」ことも可能だったそうです。
一度国立地方大に通う友人宅にお邪魔した時には、夕飯を奢ると、夕方6〜7時に学食に連れられました。メニューが豊富なバイキング方式で、定食屋やホテルの朝食のようです。
大学がライフラインであり、インフラのように作られていました。
ところでそこで私が食べた「野菜のオランダ煮」は、高野豆腐入りの刻み野菜の煮物でしたが、どこにオランダ的要素があったか未だわかりません。
私の通う学校は東京にあったので、台風や積雪、つまり自然災害による全体休校は、午前7時のNHKニュースで都内を走る地下鉄を含む路線が3線以上運休か遅延をしていたらば、という条件なのは入学ガイダンスで知りました。
しかし台風シーズンは夏休みだし、雪は群馬や栃木から上野まで走る宇都宮線と高崎線は、時に除雪設備を装備して走るので、4年の後期試験を、降りしきり積もる雪を踏みながら受けに行きました。試験でなかったらサボるところです。
インターネットがそれほど普及していなかったので、学生に向けたインフォメーションは全て学内の掲示板です。
今の大学生がどの程度どの速度で情報を得ているかは分かりませんが、学校に行ったらば講師の事情でいきなり休講だとかはよくある話で。
前々からの休校情報も口頭で伝えられて、掲示板に載るものは僅かでした。
試験の日程と範囲の発表は、授業名と講師、試験の日付と時間、試験内容を講師自らが書いた葉書サイズの紙が発表日に一斉に貼り付けられます。
そこに貼ってない科目は、要は試験の直前に出席しなかったお前が悪いという話です、嗚呼。
あとは何をしたかは知らないし知らない方が幸せな案件の方が多かったでしょうが、学生課や教務課からの呼び出しも掲示板で行われます。
学内行事とその案内、アルバイトの募集、学費滞納や図書館の本の返却を督促する通知なども貼られていました。
個人への呼びかけは学籍番号が使用されていましたが、稀に講師が名指ししていたので、特にルールは制定してなかったかと思います。
学内での飲酒を特に制限されていませんでした、というより常識的な判断で生徒が飲酒していなかったというか。
但し学園祭は無礼講で、各サークルの出店が、ビールなどのアルコール飲料を売っていました。
特にドイツ語講師がどこからか調達してくる現地の樽ビールは毎年の名物で、販売開始から数時間で売り切れました。
ただ、若者のイッキ飲みや強制飲酒による死亡や救急搬送などが社会問題になり、4年生の時には学園祭でも酒類が販売禁止になりました。
今と事情が違うであろう、と私が思って書いた当時の学生生活はこのあたりです。
今・つい最近まで・やがて大学生の方にどう見えますか?
おおらかなのか蛮行に見えるのか、どうなんでしょうか。
私からすると、現在20代中盤の方々の学生当時の生活を聞いて、は出席に縛られるのは大変だけれど、ある程度の情報が登校せずとも得られるのは便利だな、と感じていました。
もし、こういうのはどうだったの?
と疑問に思うことがあれば、感想欄で質問して頂ければ、分かる範囲でお答えします。
良く考えれば、というか考えなくとも。
今の大学生って、私の子でもおかしくない年の差なのですよね…
いきなり自分の年齢を感じ、今うわぁ!となりました。
それでは、また何か書いた際、お会いできれば嬉しいです。