3,少女の世界は一変する
その日、諷は珍しく閉店までバイトに入っていた。諷の大体の勤務は休憩を入れて7時から16時まで。常にというわけではなかったが、諷のシフトは19時前には終わるように組まれている事がほとんどだった。
ただ、その日ラストまで入る予定だった筒井から連絡が入ったのが11時すぎ。電話するのがやっとだいう声で体調が悪いから行けないと連絡があった。その連絡は登子さんというパートの人が受けたのだが、相談する相手の道護は外せない予定とやらがあり連絡が付かなかった。
このコンビニで働くのは体調不良で行けないと連絡してきた筒井とその連絡を受けた登子、そして諷と道護4人だ。そこで諷と登子は話し合い、その日は10時から入っていた諷が13時に一旦上がって、その後、登子と交替で16時から道護が帰るまで入る事にした。そして閉店まで大きな問題も起きず、諷はきっちり21時に店を閉めた。その時間になっても道護が帰ってこなかったから、諷は帰るか道護を待つかどちらにしようかと考えている間に事務所の椅子で居眠りしてしまった。
目が覚めたのは、なんだか店内から人の話し声のようなものが聞こえてきたから。それも1人や2人ではなく、もっとたくさんの。そして、店内の商品の袋を開けて食べているのではないかと思うような音もする。
諷は強盗だと思い震え上がった。事務所はレジの後ろの扉の中だ。狭い部屋にポストみたいな金庫とパソコンとプリンター、タバコのストックや何だか分からない書類の山、そこにカーテン1枚で仕切られた小さな更衣室があるのみ。隠れられるような場所はない。このコンビニで一番の金目の物は金庫の中身で、ダイヤルを回して、鍵で開けるタイプのその金庫の番号は諷が知るわけもなく、鍵だって持っていない。しかも今日はレジも完全に閉めてしまったから、売り上げのうち入れられるお札はみんな金庫のポストみたいな口から中に放り込んでしまっている。辛うじて鍵のかかる机の引き出しに小銭類がケースにまとめて入れてある程度。
どれくらい諷が眠ってしまったかは分からないが起こされなかったということは、道護が戻らなかったという事でもある。 かなり危機的な状況だ。いつ店内で騒いでいる者達が事務所の中に入ってくるか分からない。
諷の心臓はバクバクと音を立て全身から冷や汗が出て、全身でカタカタと震えているのに体は完全に硬直していて指1本自分の意思で動かせない。その時、諷の目の前で唐突にぽわんっと小さく音を立て何かが現れた。白くてふわふわのマリモに目と口がついていて諷をまっすぐに見てきゅるるっと小さく鳴く。諷は混乱しすぎてそのまま思考停止に陥る。
(あ、もうダメだ…怖すぎて現実にあり得ないモノ見えだした…。……あー、でもなんかかわいいからいっか…)
諷が完全に現実から逃げ出そうとし時、聞き慣れた声が店内の方から聞こえてきた。
「お前ら!店内で騒ぐなって言ってるだろっ!大体、会計する前に食いはじめるな!つか、店内で食うんじゃねぇよ!」
その声は諷にとって聞き覚えがある。だけど、言葉使いはいつももう少し丁寧だった気がするけれど。
諷はその声が聞こえたと同時に体が急に動くようになった。そして、ぱっと立ち上がると、慌てて店内へのドアを開けた。
そこで再び諷は固まる。
最初に目に飛び込んできたのはよく知っている道護の驚いた顔。
でも、それよりも店内にはいくつものふわふわと浮いている存在がいた。よく見れば背中の羽が優雅に動いてそれで飛んでいると分かる。大きさも色々だが一番大きくて、幼稚園児くらいの大きさ、小さいのは掌くらいのサイズではないだろうか。妖精という言葉がぴったりのそれらの存在は店内のお菓子を取り合うようにして食べていたり、棚に並んでいた商品をポイポイと投げたりとなんだか好き放題にして遊んでいる。
それらの存在が呆然として動けなくなった諷に気付いた瞬間、一斉にわぁっーと声を上げて諷の周りに集まってきた。諷は扉を開けた体勢のまま周囲を光る妖精達に囲まれてどうすることもできずにいた。妖精達もきゃいきゃいと諷の周りで何か言っているが、諷には聞き取れない。
「…え、…あ、あぅ……」
諷の口からは既に意味不明の音しか出てこずこの状況をどうしていいのかも分からずだんだんと涙目になってきてしまう。
一体自分は今、どこにいるのだろう?夢でも見ているのだろうか…。それにしては、さっきから妖精に引っ張られる髪が痛い気がする……。
「ふうちゃん!大丈夫?!」
道護が焦ったような声を出しながら、諷に近付き、そしてそのまま腕を掴まれ引き寄せられる。
ふわりと優しい道護のぬくもりに触れて諷は正気を取り戻す事ができたが、だからと言って諷の直面している出来事は変わらないようだった。
道護のその動きに周りを飛んでいた妖精達は諷から離れていたが、なんだか不満気な気配を漂わせていた。
「物珍しいからって、人で遊ぶのは駄目だろう?…大体鍵のかかってる店に入るのは禁止だ、と言ってあるだろう?」
道護が妖精達を睨み付けてそう言うと、妖精達は口々に諷の分からない言葉でひとしきり何かを言った後、皆で自動ドアから外へと出て行った。
「……な、なんだったの…??」
諷はその場にへたりこみそうになるのをどうにか堪えながらそう呟いて、妖精達を目で追っていた。
その時、外の風景がいつもと違うことに諷は気付き、驚きでコンビニの自動ドアの前までよろよろと吸い寄せられるように近付いていた。
いつも見える風景はのんびりとした住宅街なのに、今はそんな家は1件も見当たらず、紺の夜空を背景に見たこともない木々が折り重なるように広がり、所々に虹色に光る花のようなものを咲かせている。その間を先程の妖精達が幻想的に飛び交っていた。
諷はその風景に魅入られたように、ドアの外へ足を踏み出そうとして、道護に後ろから腕を引っ張られ、ドアから離れた所までひきずられていた。




