2-2.少年の家族
フラフラ家に帰りついたのはいつもより大分遅い時間だった。
俺を最初に見付けたのは母だった。
「帰ったんなら声くらいかけなさい!……ってどうしたの?」
「……………。」
何も答える気力なんてなくて黙っていた。
「…これは重症だわ。…ちょっと!正樹!輔が玄関に踞って動かないから、居間に運んで頂戴!」
母が兄貴に何かを頼んでる…。俺は荷物じゃない…。
「…今度は何があったワケ?」
兄貴が俺を見てそう言ってるけど、母はお手上げをしただけだ。
「…全く。…どうせまた、“妖精ちゃん”絡みだろ。」
「まぁ、輔がおかしくなるのはいつも“妖精ちゃん”の事だものね。」
兄貴と母が同時にため息を吐く。
………あぁぁぁぁ……………………
この家では、彼女は“妖精ちゃん”と呼ばれている。
小5で初めて彼女を見た後、俺は家に帰ってからぶっ倒れて、熱を出した。うわ言でずっと妖精と呟いていたらしい……。
それ以来、家族には、ずっと俺が彼女を好きなのはバレバレとなっている……。恥ずかし過ぎる…。
「何だ?また輔は落ち込んで、玉砕でもしてきたのか?」
…………なんで、痛い所を突くんだ!
「……うぅっ」
「…あー、父さん図星だよ。…こりゃ明日は輔ぶっ倒れるんじゃね?」
「まぁ、長かったからねぇ。もう、6年?7年かしら?本当にいつかストーカーになっちゃうんじゃないかってヒヤヒヤしてたものね…。」
「“妖精ちゃん”は輔を知らないんだから、ストーカーにはならないよ、母さん。」
「執着ぶりは怖かったわよ。…後でおばあちゃんに報告しておかなきゃ…。」
もう、ヤダこの家族……。
「…それじゃ輔は夕飯食べられなさそうね。おにぎりでも作っておくから、夜中にでも食べなさいね。」
……こういうのはありがたいけど。
「輔、玄関でいじけてないで風呂にでも入ってこい。少しはさっぱりするぞ。」
…風呂は確かに今は魅力的……。
「…どうせまた、遠くから眺める日々に戻るだけだろ?…ちょっと前と何も変わらないだけじゃんか。そんなに落ち込むなって、それより、玉砕できるほど会話できたんじゃないのか?」
ニヤニヤしながら肩を叩く兄貴は慰めようとしてるのか、からかってんのか、どっちだ?
まぁ、でも、兄貴の言う通りになるだろう……。
認めたくない。
ノロノロと風呂へと移動しながら、彼女の事をとりとめもなく想った。
居間に輔以外の家族が難しい顔で揃っていた。
父の雅司、母の結、兄の正樹、弟の大河、祖母のフミ。
音瀨家の全員。
「……輔の様子は?」
フミが訊ねる。年の割に話し方にも、声にも張りがある。
「今は部屋に籠ってる。落ち込みようは半端ないよ。どういういきさつがあったかは知らないけど、本当に告白はしたっぽい。」
「…知らないヤツにいきなり好きですとか言われて頷く子なんていないだろ。」
正樹がフミの問いに答えれば、大河は呆れた顔をするだけだ。
「“妖精ちゃん”が少し前から向こう側を見えるようになってるみたいだったから、声もかけてみたけど…。…何かの前触れなのかもしれないわね。」
フミがそう口にした。
「だけど、前の結論だと“妖精ちゃん”は向こう側が見えないみたいだから、大丈夫じゃないかって、ばあちゃん言ってたじゃんか。」
正樹がそう言う。
「そうは言ってもねぇ。…どうやら“妖精ちゃん”の事情が変わってしまったみたいだし…。」
「……いつかはお返ししなきゃいけない子だったから……覚悟はできてます。」
結はやけにきっぱりと言うがその顔は俯いていた。
「…それって輔兄が、2度とこっちに戻らない覚悟ってヤツだよね…。」
大河の一言に居間に沈黙が落ちる。
この家族には秘密がある。
とても古くから続いている家系図の最初は、この国のどの歴史書にも無い言語で書かれている。
向こう側。
もう、行き来をする術は失われてしまったけれど、この世界とは違う、お伽噺の世界があって、この家族の先祖はそこからこっちに来たと書いてあるのだ。
向こう側の血が混じっているせいなのか、他の理由でなのか、この国の言語でない家系図はこの家族であれば読める。
唯一読めない筈の外から嫁いできた結も長男を産んだ後からは読めるようになったのだ。
この家族の先祖は白蛇だ。そうはっきりと明記してある。
先祖の時代がお伽噺のような現代においても未だに白蛇の不思議な加護のようなモノを受けている。
その1つが絶対の生活の保障だったりするのだからその力は否めない。
戦時下ですら白米が手に入り、徴兵すら免れ、それなのにどこからも差別も受けなかったと言うのだからある意味物凄い事になる。
もう1つ、向こう側と交信ができる。
ただ、向こう側にいる白蛇が一方的に話しかけてくるだけではあるのだが、その間ならこちらからの質問にも答えてもらえたりする。
それで、危機を伝えられたりもするのだから馬鹿にもできない。
問題を最初に戻すと、この家の次男の輔は、その交信先の白蛇からもたらされた。
と、言ってもちゃんと結が腹を痛め、雅司の血筋のれっきとしたこの家の次男だ。
白蛇がもたらした、と言うのは結の懐妊と同時に交信があったからだ。
どうにもならない事情により向こう側の魂の1つを結の腹の子に宿したというのだ。
時期が来るまでは預かっていてほしい、と。
それを聞いて結は当時かなり取り乱した。
時期は明示されなかった。
もしかしたら、それはこちらで天寿を全うする事かもしれないし、或いは、幼い内に返さなければいけない時が来るのかもしれない。
兎に角、紆余曲折ありはしたが産む頃には結も覚悟を決め、無事に輔を産んだ。
その時も白蛇から交信があり、音瀨家へ感謝と輔への言祝ぎを給わった。
その時に返す時期は直ぐではなく、最低でも10年は先で、もしかしたら、本人が帰る事を拒めばこちらに留まる可能性も示唆された。
家族は輔については腹を括った。
いつかは顔も見れなくなる世界に帰る子だと。
なら、せめてこちらにいる間の思い出は良い物にしてあげたい。それがもしかしたら、輔をこちら側に留める手段になるかもしれない、と。
だからと言っても輔だけを贔屓しすぎて子ども達がギスギスするのも良くない、甘やかし過ぎて、いざお伽噺の世界の向こう側で生きていけなくなっても困る。
この家族の取った手段はちょっと常識の斜め上に向かった。
兄弟達全員をどこでも1人で生きていけるようにする。…それも10才までに。
かなり過酷な目標ではあったけれど、最低だと10年で輔を返してしまう事になる。
10年だ。白蛇から得られる話を総合すると、向こう側の文化レベルは恐らくこちらの江戸時代頃。そこに魔法文化とか言う未知の力が存在している。
そんな世界にこっちの世界の現代っ子の10才児をいきなり放り込んで生き抜けるのか?
もし、輔が放り出された所が山や森の奥深くだったら…。
すぐに誰かが助けてくれる環境で無かったら…。
考え方として最悪になる可能性を考慮しなければならない。
どんな場所に引き戻されるのかなんて白蛇にも分からないと言うのだから、家族として出来ることなんて、それまでに生き残る術を身に付けさせていく事だ。
この家系が古くから続く、かなり特殊な家で良かったと言うべきなのかもしれない。
家に伝わる向こう側の物と思われる古書を集め、紐解き、向こう側の知識を多く取り入れ、寝物語は向こう側の話を沢山した。
剣道場であるこの家は子ども達に竹刀の剣道ではなく、木刀を早い内から持たせて、真剣すら扱えるようにした。
当たり前のように山籠りだって毎年季節を問わずに行った。その内の何日間は1人で(遠くでしっかり見守ったけれど。)過ごさせた。
だから、音瀨家の子ども達が他所の子と少しズレているのは致し方ない。
それでも家族仲は良く一致団結してここまできた。
だがしかし、長男と三男に次男が向こう側に帰る可能性を話せても、次男の輔には帰られてしまうのが怖くて、その事だけは未だに伝えられてはいなかった。
それも、そうだ。
輔が10才になり、小学校卒業までには伝えた方がいいのかと話し合っていたその最中に『妖精に会った』なんて言ってぶっ倒れたのだから…。
それはもう、大変だった。最低でも10年先と言われていたけれど、家族としてはまだまだ輔を手放す気なんて更々なかったのだから。
輔の言う『妖精』が何なのか、家族は徹底的に調べた。
結果的に言ってしまえば、輔の言うところの『妖精』は輔と同じ年の少女だった。
しかし、家族は少女が向こう側の存在である事を疑った。
いつも少女の隣に控えるように守るように寄り添う隙の無い青年についても調べた。
2人共身寄りの無い子どもだった。…そして2人の周りの怪談現象も確認した。
それらに因って、家族はこの2人は向こう側の存在であると結論付けた。
輔があの2人に接触するのは早すぎると判断した家族は輔が少女と接触しないように、色々な場面で先回りをした。予定を入れてみたり、兄弟が不自然にならないように遊びに連れ回してみたり…。
同時に輔への生活術への指導もそれまでより力が入る事になった。
結果を言えばこれらは功をそうした。
小学校時代はそれ以上少女と接触しなかった。
家族もそれでちょっと油断した。輔が生活術をそれなりに身に付けたという安心も少しあった。
中学に入学してすぐに、再び輔が夢見心地で帰ってきた。
家族は再び輔が『妖精』に会ってしまった事を知る。
…しかしながら、それが輔の運命なら下手にねじ曲げ続けるのも得策ではないだろう。
ここまでできる事は全てしてきた。
家族はここからは見守る姿勢と輔への心身を鍛える事に重きを置いた。
ここで、家族は輔のヘタレ具合を知る事になる。
輔は中学の3年間『妖精』を遠くから見る事だけに始終してしまった。
再会したら仲良くなってしまうのはあっという間で、そのまま連れ帰られてしまうと覚悟していた家族はほっとしていいのか、尻を叩くべきなのかで悩む羽目になる。
輔がその日『妖精』に会えたかどうかなんて家での様子を見ていればすぐに分かった。
輔の意外すぎるヘタレ具合とは逆で真剣の扱いに関しては、この頃にはすっかり板についていた。
真剣は使いはしなかったが狩りもお手の物でジビエを自分で調理もできる。
『妖精』と進展しないまま高校に上がり、このまま淡い初恋に変わるのでは無いかと思われた頃、『妖精』が例の青年がいるコンビニで働き始めた。
輔が通う高校のすぐ近くの店になる。
フミは直ぐ様、茶飲み友達を誘ってそのコンビニにせっせと毎日通う事に決めた。
他の家族も時間を見つけてはバラバラにこの店に通いつめている。
輔がモダモダしてる間に家族は既にこの店の常連と化していたのだ。
この特殊な家族がこの店の特異性に気付かない筈もなく、いよいよその時が近くなってきた事を実感していた。
そして、今日だ。
まさかあのヘタレの塊となっていた輔が、レジで対応してもらう事を会話だ、と言い張っていた輔が、『妖精』に告白して帰ってきたのだから、会議にもなる。
でも、この家族だけではこの後何が起こるのかは予想することはできなかった…。




