16.少女の転機その③
諷が2人に説明を求めると、2人はあっさりと承諾して、自分達の家に招待すると言ってきた。
それはどうなんだろう?とは思ったけれど、シュシュが特に反応しないし、よく考えてみればこの2人はシュシュから出てきた。
危ない事にはならない気がして、付いていく事にした。
2人の転移術で、諷は家と言うより少し小さなお城という風情の建物の前に連れてこられていた。
「…これが、家?…お城なんじゃ…。」
白で統一された外観にガラスが嵌め込まれたアーチの窓、バルコニーのように張り出している部分も何ヵ所か見える。外観からは3階建て位に見えるが、尖塔も付いているので、そこが何階まであるのかは検討もつかない。
「城だなんて物ではないです。ここは、あ…邸ですよ。」
獣耳の女の人…さっき紹介を受けて名前はオベールと言うそうだ…が微笑んで答えてくれた。一瞬だけ何かを言うのをためらっていた気がしたけれど、諷はそんな事に構っていられないくらいには目の前の城のような邸に圧倒されていた。
「私が急に来たりして、ここの持ち主に怒られたりしないですか?」
2人の態度からここに住んではいるのだろう事は分かるが、主、という雰囲気はなかった。
ここにお邪魔するには主の許可とか必要そうだ。心配になって2人を交互に見るが、2人は心配など微塵もしているように見えない。
「大丈夫です。…この邸の主は長く不在です。管理は完全に私共が任されています。…それに貴女はここに来るべき方ですから。」
そう答えてくるのは、さっきオベールと一緒に紹介を受けたディーフェ。
2人とも明らかに諷より年上に見えるのに、諷に対しての態度は不自然なほどの丁寧さだ。
「そう、なんですね…。」
そうは言われても、この建物の中に入るのはとても気が引けてしまう。諷は立派な庭園を見渡して、洋風の東屋を見つけた。
「あそこまで行ってもいいですか?」
諷が洋風東屋を指差すと、オベールは頷いた。
「それではあのガゼボにお茶の用意をさせますね。」
「あ、はい。お願いします。」
諷は少しほっとしながら答える。建物の中に案内されたら、場違い過ぎてどうしていいのか分からなくなりそうだった。外なら公園みたいな雰囲気があるし、そこまで緊張しなくてすみそうだ。
大体、説明を求めただけなのに何故にこんなところまで連れて来られてしまったのか。
あのままじゃ埒があかなそうだっからこの2人が落ち着ける場所ならとにかくどこでも良かった。家、と言っていたし、2人に馴染みある場所ならゆっくりと話せそうと思ったが、これは大誤算だ。これじゃ、諷の方が落ち着かない。
なんだか凄く身分の高い人と勘違いされている気がするから、早くその誤解を解かなきゃいけないな、と考えながらも庭をゆっくりと眺めながら歩いていく。
ガゼボに着くと、既にメイドの格好をした人がお茶の用意をしていた。これで自分がドレスでも着ていたら貴族のお茶会みたいに見えてしまうかもしれない、と思いながら諷は席に座る。それを待ってました、と言うように、目の前に紅茶とお菓子が並べられる。
「ありがとうございます。」
諷が用意をしてくれたメイドに声をかけると、一瞬驚いた顔を向けられ、それから少し顔を赤らめてお辞儀を返されてしまった。
その態度に戸惑うが、そういえば、高貴な何かに勘違いされていた事を思い出す。
側に控えるかのように立つオベールとディーフェに諷は声をかける。
「なんで、そんなところに立っているんですか?お願いだから、座ってください。」
「ですが…」
何かを言いかけるオベールの言葉を諷は遮る。
「本当にお願いだから、座ってください!同じ目線になってくれなきゃ説明を求められないです!…それに、絶対、勘違いしてると思うんです…。」
諷は2人に向かって必死に訴える。
2人は少し戸惑った顔をしながらも分かってくれたのか、諷の前と右側の席に座ってくれた。
メイドは気を効かせたように2人の前にも紅茶を置く。
「説明をお願いします。」
諷が2人に訊ねる。主語も何もあったものではないのに、オベールが口を開いた。
「ふう様は…」
「様はつけないで!」
諷は悲鳴に近い声をあげてしまう。そろそろこのどこかのお嬢様みたいな扱いに疲れはじめていた。絶対に勘違いだし、それが分かった時にこの2人をがっかりさせたくない、と思ってしまう。
「…で、では、ふうさんは…」
「それもイヤです!」
諷は自分がすごい我儘を言うお嬢様になった気分に陥っていた。
「………ふうちゃん」
物凄く遠慮をして、言い難そうにオベールがそう呼んだ。
その瞬間に諷は道護を思い出す。そして、同時にその呼ばれ方はストンと納得いくものになった。
「うん。そう呼んでほしい、かも。」
諷は少し落ち着いて、初めて紅茶に口を付けて飲んだ。砂糖が既に少し入れてあるようで、諷の好みの甘さに花のいい香りが体をリラックスさせてくれるようだ。
「…美味しい。」
そういえば、道護は諷が家から出られた事に気付いただろうか…。
「…ふう、ちゃんは、この世界についてどれほどミッチーから聞かされていますか?」
オベールのその台詞に諷は目を丸くして驚いてしまう。
「ミッチーってミチくんの事?」
「はい。…ふうちゃん、にそう呼ばれていると以前ミッチーから聞いた事がありますから。」
オベールが諷を少し呼び難そうに間を空けるのはこの際気にしてはだめだろう。
ディーフェは頷いて続ける。
「ふうさ…、…ふうちゃん、は勘違いと考えているようですが、何度も言いますが、私とオベール、悔しいですがミッチーも貴女を間違える事だけはあり得ません。…それにシュシュも従えていますし…。」
「シュシュの事も知ってるんだ…。でも、私、こんな風に…お姫様か何かみたいに扱われる覚えは無いんだけど…。」
正直、居心地が悪いと思ってしまう。どう見ても落ち着いたしっかりした2人にお姫様のように扱われるのはどうしたって気が引ける。
「…そう、でしたね。…一生貴女に会えない事も覚悟していたので、突然目の前に現れてもらえて、確かに私共は舞い上がり過ぎたとは思っています。」
まるでこの世界に存在しない筈の諷をずっと待っていたかのような発言だ。そう、最初から2人は少しも迷う事なくそう発言しているのだ。
「…どうして私を知っているの?」
諷は初めてアランドに足を踏み入れた。それまでずっとコランドで生きてきた。2つの世界は重なっているのかもしれないけれど、全くの別物だ。認識だってできないと道護は言っていた。
「…私達はずっと、貴女が生まれてくるのを待っていました。」
「…どうして?…だって、そんなのおかしい、と思う…。」
諷は混乱しながらも声を振り絞る。生まれてくるのを待っていた、とか、そんないつになるかも分からない事を、しかも諷はこの世界では無いところで生まれている。
「…そう思うのは無理もないと思います。…ふうちゃん、の育った世界では星見は無いと聞いています。」
「星見?」
聞き慣れない単語ではあるけれど、占いみたいな事だろうか。
「はい。…分かりやすく言えば、星見は生まれた子どもの運命を視る、ということです。」
「運命って視えるの?」
「…はっきりと見えるものではありませんが、言葉や文字、文言、紋様…形は様々ではありますが、その子の一生に関わる重要な要素を垣間見るのです。…地域によっては授かり物、ギフトなどと呼ぶこともあります。」
「剣士になるような人物なら“剣”と文字が浮かぶようなものだと思ってください。」
「私共の場合、その時に……貴女と会う、と言うような意味合いの言葉が出たとでも思っておいてください。」
ディーフェが真っ直ぐと諷を見ている。オベールも。
「だから、私を知っていて、待っていて、会いたかった、っていうこと…?」
2人は強く頷く。
諷は何と答えていいのか分からず2人を見たまま黙ってしまう。
それは、どれほど長く感じる事だったのだろう?
道護を知っているという事は少なくても彼らの待ち人たる諷がこの世界では無い所に居ることは知っていた筈だ。
「私達は、ふうちゃん、が見る事もできない場所に居ることは知ってました。…それでも、もしかしたら、万が一でもいつかこの日が来ると信じていたんです。」
「…なんで、そんなに会いたいと思えるの?」
「…もう、本能のようなものだと思ってください。…ところで、ミッチーを連れていないのには訳でもありましたか?」
ディーフェが少し不思議そうな顔で訊ねてくる。諷は少しだけ肩を竦めてみせる。
「…ミチくんはちょっと過保護すぎるから…。こっちに来て、私の感覚だけで何を思うのか、興味があったの…。…こっちに来れる薬くれた人も自分で考えた方がいい、みたいな事言ってたし…。」
「カーリーですね。…確かに彼も、ふうちゃん、の事は気にしてましたから…。」
「カーリー?確か、オーナーの名前は仮居だったような…。…偽名?」
「恐らく。あちらの世界の事は詳しくは知りませんが、色々と向こうに合わせて変えてあるような事を聞いています。」
「そ、う、だよね、…ミチくんも偽名なのかな…。」
「ミッチーが向こうで何と名乗っているのかは興味がありませんが、こちらの世界では名前を全て正しく名乗る者の方が少ないです。省略したり、愛称のみ名乗る事も珍しくありません。」
「そうらしいね…。私、この世界の事、何も知らないから。」
諷は、少し恥ずかしい気持ちで俯いて呟く。
ディーフェがそんな様子の諷に静かな声で問いかけてきた。
「…知りたいですか?」
問いに対して諷は顔を上げていた。
知るのは怖い気がする。でも、それは心のどこかに道護のあの苦そうな顔を思い浮かべてしまうから。諷だけの素直な気持ちは…。
「はい。…知らないと、多分私はずっと決められないから。」
諷はディーフェのまっすぐな眼差しに頷いてみせた。