14.少女の転機
諷は道護に甘やかされていると気付いてしまった。だからと言っても何かが変わることはない。
諷は相変わらず外へは出られないし、いつでも道護と顔を合わせる。道護に心配をかける、という事が今は道護の負担になる。
申し訳ない気持ちもあるが、それを道護に悟らせるのは良くないだろう。なるべく平静を保っている。それでもふとした時に考えてしまう。
何故、道護は諷の為にここまでしてくれているのか?
小さい時から一緒にいたから、という理由だけだと説明ができない気もしていた。なら、理由を道護に聞いてみればいいのかもしれないが、それを知るのはとても怖い。
諷は、はぁーっとため息を吐き出していた。
「あらら、諷ちゃん、ため息が漏れてる。店長の事でも考えてた?」
隣でタバコの数を確認していた登子がからかうように諷を見る。
「別に、そういう訳じゃないですけど…。」
何故、分かったんだろうと諷は思うが、それを顔には出ないようにして登子に答える。
「そうなの?それじゃ、どうしたの?」
「なんか、私の生活って自立とは言えないな、って思ってたんです。」
諷はこのところ頭を悩ませていた事を白状してみた。
「あら?そう?諷ちゃんはちゃんと1人で生活してるじゃない。その歳ではしっかりしてると思うけど?」
「…そうですかね?…でも店長がいなきゃ衣食住、全部できませんからね…。今は家ですらここですもん。」
「ふふ、なんだか可愛い。」
登子が微笑ましそうにそう言うので、諷は口を尖らせてしまう。
「ちょっと、登子さんからかってますよね?」
「そんな事ないわよ?…そうね、諷ちゃんにとって店長が身近すぎるのね。…それが問題なのかしら?…だって会社に衣食住を依存するのって案外当たり前でしょ?」
「え?そうなんですか?」
諷は驚く。早い段階で社会に出たと諷は自分でも思ってはいるが、それでも諷の視野は極端に狭い。
「そうよ?着る物と食べ物は会社で働いたお金で買うでしょ?使い道は個人の自由とは言っても働いてなきゃ保証もされないのよ?それに、住むところ、これはまぁ働き口にも寄るでしょうけど、家賃補助とかもあるし、寮って形をとるところもあるでしょう?完全なほったらかし状態は珍しいんじゃないかしら?ブラック、とか言われちゃう所はどうなってるのかは分からないけどね。…ほら、働き先に依存してるでしょ?」
「な、なるほど…。」
そう言われてしまうとそういうモノのような気がしてくる。それなら、自分も気にする必要はないのだろうか?
「諷ちゃんの場合、その勤め先の責任者が幼馴染みだから余計な事を考えちゃうのね。…でも、そんなに気になるなら、いっそのこと店長の所に永久就職するのだってアリだと思うわよ。」
片目を瞑ってそう言われても諷は意味が分からなかった。
永久就職ってそれって一生、道護を縛るという事だろうか?それってどうなんだろう?今まで聞いたことはないけれど、道護だっていつか誰かと付き合って、結婚して、家庭を持ちたいと思っているのかもしれない。その時、諷はどうするのだろう?そもそもそんな事になる前に諷はここから出られるようになるのだろうか?
「…あら?もしかして意味が分からなかったのかしら?」
諷の反応が思っていたよりも薄かったので登子は首を傾げる。
「…でも、そんなにミ…店長を縛るのは嫌だなって思うんですけど。」
諷の顔は深刻だ。
「あら?そう?」
諷のその横顔に登子は苦笑してしまう。
登子が思うに店長は、そうなる事を望んでいるんじゃないかと見ている。そうなるように遠くから少しずつ諷の周りを囲ってきたんだろうとも思う。
それこそ衣食住、働き口、身元保証人。諷のありとあらゆる部分に置いて決して誰にも触らせないという強い意思すら感じる囲い方。そして、それを最近まで全く本人に悟らせないというその徹底ぶり。
諷は気付いた様だけど、ちょっと手遅れな気もする。
ここ以外に働きに出たいと諷が思ったところで、それを尊重するようで制限をかけてくる芸当をあの店長ならしそうだ。
諷は店長を縛りたくないと言っているが、実のところがんじがらめで選択肢が少ないのは諷の方だと思う。
ちょっといびつだとは思うけれど、苦ではないのなら、幸せな事だとも思う。感情がついてきてないのはとても大きな問題だとも思えるが…。
「ところで、登子さんは今日は夜までで時間平気なんですか?」
諷はいつも午前から働いている登子が夕方からラストまで勤務に入っている事を尋ねた。
「大丈夫よ。別に世話をしなきゃいけない人がいるわけでもないし。」
「でも、旦那さんはいるんですよね?」
「いるけど、子どもじゃないんだから自分の事くらい自分でしてもらわないと。」
きっぱりと言い切る登子に諷はなんだかこれ以上は聞いてはいけない感情がある気がしてしまう。
「そういうもの、なんですね…。それじゃ、私は上がりますけど、上にいるので何かあったら呼んでください。」
「大丈夫よ?あんまり諷ちゃんをこき使うとこわーい人が出そうだから。何かあったらいつも通り店長に報告するから、ね。」
「はい。分かりました。お先に失礼します。」
そう言うと諷は店内を出てバックルームから部屋へと戻っていく。
部屋の戸を開けてリビングへと入ると、そこには前オーナーの仮居がいた。
「オーナー、こんにちは。来ていたんですね。」
諷はこのオーナーを知っている。とは言っても諷がここで働きはじめると案外あっさりと引退して各地を巡っていると聞いていた。
「おう、諷ちゃん、久しぶりだな。道護から聞いたぞ。出らんなくなったんだってな。」
「そうなんですよね…。」
諷は顔を曇らせて答える。
「ふむ。で、道護にもどうする事もできなかった、と。」
諷がちらりと道護を見ると、むっつりと黙り込んで難しい顔をしているだけだ。
だから諷は頷いてみせる。
「…結論から言うとな、…その、俺にもどうしようもないな。」
「そうなんですね…。」
何となくそんな気はしていたから諷はそこまで落胆しなかった。
「…ただ…」
オーナーはそこで言葉を切ってちらりと道護を見る。さっきよりもずっと難しい顔をしているが、何も言おうとはしない。
「ただな、…諷ちゃんは帰りたいと思っているか?」
「え?」
言われて諷はオーナーを見返す。何て答えるのが正解なんだろう、と思ってしまう。
それはあまりにも的確な質問だった。
諷は本当に帰りたいと思った事がない。それが事実だ。
「…はぁー。言ってしまえば、それが原因の1つになるんじゃないか、と俺は思ってるよ。」
諷は押し黙る。
窓から見えるいつもの風景に帰りたいのか?と自分に問いかけてみた事はある。答えはそこまででもない、だった。
帰れるなら帰ってもいいかな、位の気持ちじゃもう帰れないという事だろうか。
「…僕はふうちゃんには帰ってほしいと思ってる。」
唐突に道護が口を開く。道護にしては珍しく諷の事について言い切る。その事に諷は何だかチクリとした痛みを感じた。
「…私もできれば帰りたいけど…。」
道護に拒絶されてまでここに居たい訳じゃない。諷は道護の負担になる事は望みたくなんてなかった。
「ふうちゃん、そういう意味じゃないよ?ここに居てくれるのは少しも負担じゃないからね。…ただ、ふうちゃんには元の世界の中で笑っててほしいな、って意味だよ?」
道護が声に出してもいない諷の気持ちを読んだかのように諷に向き直る。
「う、ん。」
負担になりたくないのに、諷の何もかもが道護任せな事に歯痒くもある。
「…お前らは相変わらず、か。…もし、諷ちゃんの気持ちで行き来できるのだとしたら、帰れない事も無いんじゃねぇかと思う。」
「そ、うなんですか?」
諷は期待に満ちてオーナーを見る。
「ちょっと考えてみれば行き着くだろう?諷ちゃんが本当に居たいと思う場所が諷ちゃんの世界になる。それだけだ。」
「…ちょっと意味が分からない…。」
諷は軽く頭を押さえる。解決したようで何も解決できていないような…。
「つまり、ふうちゃんに本当に帰りたいって思わせれば帰せる、という事か…。」
「…そうなるが、…ただ、諷ちゃんがアランドの世界で生きたいと思ったら2度とコランドには戻れねぇだろうな…。」
「え?何で?オーナーもミチくんも行き来できるんですよね?」
諷の疑問に明らかに、しまった!という顔をするオーナーとそれを咎めるように鋭く睨む道護に諷は困惑する。
「…俺らには条件が色々あってだな、…その、まぁ、なんだ、…道護に聞いてくれよ。」
オーナーは歯切れ悪くそう言うが、さっきからそんなオーナーを睨んでいる道護にはちょっと聞き難い。
黙って2人を見ていると降参、とばかりにオーナーが席を立ちつつ一言残す。
「つまり、諷ちゃんがどこで生きていたいか、それだけだ。」




