13.少女の初?仕事
諷は目の前の存在に意識を全部持っていかれていた。
恐らくだが、これがエルフとかいうファンタジー定番の存在なんだろう。
長い金髪に綺麗な緑の瞳、目鼻立ちだって整っているし、肌は本当に透き通った白。しかもなんだかキラキラと光を纏っている。ただ、あまりに綺麗すぎて性別は全く分からない。その美しさは現実離れしすぎていて、夢を見ている気分になる。
「あ、あの、ここで使えるお金は持ってますか?」
諷はやっとの事で尋ねる。
「あー、ここのお金とはどういったものですか?」
少し間延びしている声すらもずっと聞いていたいと思うほど透き通っている。
「あ、えーと、も、もし無ければ、何か交換できる物とかでも大丈夫です。」
「それなら、これはどうですか?」
そう言ってエルフが差し出してきたのは手の平くらいの大きさの葉っぱ。
そう、葉っぱ。
諷は、それを見て戸惑う。タヌキの買い物じゃないんだから!と思わず出てしまいそうになるのをぐっとどうにか堪えると、使い方を聞いていた白い台座を取り出す。
これは等価交換器とかいう名前の魔法道具で、アランドでは広く普及していて信頼度は高いのだとか。
「それでは、こちらに置いてみてください。」
エルフは言われた通りに台座に葉っぱを置くと、台座がフォンっと音を立て、葉っぱと3500円が重なって見える。
諷は自分の目を疑った。どこからどう見ても葉っぱなのに…3500円?
「…そうですね。…こちらの葉は、3500円相当ですので、炭酸水2本だと釣り合いませんね。…ですから、差額をここで使えるお金で渡すことになりますが…」
「って事は他にも何か買えるのね?」
諷が最後まで言い終わる前に被せるようにエルフが聞いてきたので、諷は思わず頷きながら答える。
「そ、そうです。」
「それじゃ、他にも選んで来るからこれはちょっと置いていくわ。」
そう言うと、エルフはウキウキとした様子で売り場へ戻っていった。
「ふうちゃん、大分緊張してたね。」
隣で静かに見守ってくれていた道護が声をかけてきた。
「慣れない事をしてるから…。」
諷は等価交換器を指差して道護を見る。
「そうだね。でも、分かりやすいでしょ?」
「…確かに。あの葉っぱの価値なんて私が見ても分からないよ。」
そう、あまりにも何も知らない。ここまでも何人かお客が来たけれど、余程の常連でも無い限り、諷の知っているお金は出してくれない。大抵出されるのは、諷の見たことも無い物ばかり。
鉱石や植物といった物を持ち込むお客が多い。それらだって手に持ってみたいのに、台座に乗せて交換が成立してしまうと、普通のお金に化けてしまう。交換に持って来たものはどこに行くのかと道護に聞けば、そういう物をしまう倉庫のようなところに入って、代わりに同じくらいの価値のお金が出てくるようになっていると説明された。
いつかその倉庫とやらも見てみたい。
「あれは、妖精樹の葉だからね。薬、魔法道具、って感じで結構使い道があるんだよ。それなのに一定数しか外に出てこないからね。葉っぱ1枚だけど、馬鹿にはできないってこと。」
「妖精樹…。そんなのもあるんだね。ちょっと見てみたい。」
諷はそう言いながら外へと目を向ける。諷がアランド側へ片寄っているせいなのか、外は見慣れた景色ではなかった。
森の中にあるちょっとした広場という感じだ。
もちろん外に見える景色の中に諷の見知った植物は少ない。肉厚でクルンとした植物や地面近くに花のようなものを咲かせているのに、花の中央から木の幹が生えているように見える植物だってある。その間を蝶の様に舞っているのは妖精だ。空だって青よりも緑に近い色合いに見える。
外に出てそれらを間近で見てみたいという欲求は当たり前な気もするが、諷はただ店の中でそれらの風景に見惚れる事しかできない。
「…ふうちゃん、そろそろリューマも来るだろうし、コランドに戻る?」
「戻るも何も私はここから出れないよ。暇だからこのままでいいかな。」
諷は道護の問いかけに対して外から目をそらさないまま答える。
「時間外になるし、僕もいるからふうちゃんは好きな時に上がっていいからね。」
穏やかに声をかけてくる道護の声に頷いて諷は外に見える花畑のようなところを指差す。
「分かった。…ねぇ、ミチくん、あの花って本当に光ってるの?」
キラキラしているように見えるが、光が反射しているようにも思えるし、花自体が光っているようにも見える。さっきから気になって仕方がなくなっていた。
「…あれは、少しだけ花自体が光ってるんだ。」
「へぇ、やっぱり。近くで見てみたいなぁ。」
諷が呟く。その時さっきのエルフがウキウキという様子で戻ってきた。
手にはミックスナッツとカカオ90%のチョコを持っていた。
「決まりましたか?…そのチョコは少し苦いですけど大丈夫ですか?」
カカオの苦い味を思い出すと少し震える。甘いチョコに慣れた諷の口には合わなかった。その事をエルフが知らないのなら教えておいた方がいい気がしてそう言うと、エルフは首を傾げる。
「薬が苦いのは仕方無いことでしょ?」
おやつとかではなく、薬ときたか。それなら、きっと問題はないのだろう。
「そ、そうでしたね。」
諷は曖昧な表情を浮かべてそれらをレジに通す。それでも妖精樹の葉とは微妙に釣り合わない。主にこっちが得をする方に。
どうしたものかな、と諷が考えていると、道護が隣から入ってきた。
「こちらの商品全部でも妖精樹の葉との価値は微妙に釣り合わないですね。…ですから、そのチョコをもう1つつけるので、今後も贔屓にしてもらえます?」
諷は隣でいやいやいや、と思ってしまう。チョコをもう1つ渡したところでこっちが100円ほどは多くもらうことになる。
「分かった。それで。」
エルフは機嫌よくそう答える。
いいのか、と思わなくも無いがエルフがそう答えると同時に取引成立の証として台座の上の妖精樹の葉が消えて、3500円が出てくる。それらでレジで会計を済ませれば、107円のお釣りと表示される。が、道護はエルフにお釣りを渡さなかった。エルフの方も気にした様子もなく外へと出ていく。
「…罪悪感が半端ないんだけど。」
諷が道護に訴える。物々交換をしていく客は大抵こっちが微妙に得をする形で取引が成立していた。商売をする以上損をしては意味が無いが、こうやってあからさまに数字で出てくるとどうにもいたたまれない。
道護はお釣りとして表示された107円をレジから出すと、レジ横に置いてある貯金箱に入れてしまう。
「物々交換みたいな時に、価値を完全に釣り合わせるのは難しいよ。だから、こういうのは常識で向こうだって納得の上だよ。」
「そうは言われても、ね。」
コランドでは1円単位で数字が出てくるし、その出てきた数字に対してきっちりと金銭のやり取りを行う。当然そういうものだと思っていたけれど、アランドだと事情が変わってしまう。
そもそもまず換金しなければならない。これは等価交換器を信じるしかないが、もしかしたらそれだってこっちが得をするように設定されている可能性も否定できない。
大体、商品の殆どは10円以下を四捨五入した額に設定されているし、炭酸水のように著しく値段が釣り上がっていたりもする。諷もレジに通してみないと見慣れた商品の値段が分からないのだ。
何をしてもアランドで損はしない仕組みになっている。というよりボロ儲けもいいところでは無いだろうか…。どんなにコランドの客が少なくても潰れないはずだ。アランド側は物珍しさもあって次々に買い物客が来るのだから。
「ふうちゃんは優しいなぁ。」
道護が目を細めて嬉しそうに呟いたのを見て諷は呆れてしまう。
「…それは優しいとは違うと思うけど。」
「だってお客が損をするのを申し訳無いって思ってるんでしょ?」
「そうだけど。」
「それって優しいよね。公平であってほしいって事なんだから。僕はそうは思わないからね…。一番大切な事を守る為にはある程度は自分に有利に事を進めるし。…ここの商売もいつまでできるか分からないから、できる限りの力を尽くして儲けを出しておきたい。1円だって損はできないんだよ。…って言ってもちゃんとお客さんも納得してくれてるでしょ?それに、従業員も抱えてるし、下手はできないよ。」
「まぁ、確かに。」
不満そうにしていたお客は1人もいなかったから、いいのかもしれない。アランド側はなんというかお客がおおらかな心を持っている気がする。お弁当の箸を入れ忘れたくらいで苦情の電話をかけてきそうな人はいなかった。商品を袋に入れて渡しただけで感謝すらしそうな雰囲気がある。
それはそうと、道護の言っていた事に引っ掛かるものがあった。
「ミ…店長は何を守りたいの?」
「今はアランドだし、ふうちゃんは手伝いに来てるだけだからいつもの呼び方でもいいのに…。…何を守りたいか、だっけ。…今の生活かな。従業員も抱えてるしね。」
「そうだね。生活は大事だもんね。」
諷はそう言って頷く。仕事は大切だ。少なくても生きていくにはお金がかかる。諷にとってこの店が無くなるというのは死活問題に直結する。身寄りの無い立場で未成年。これだけで働き口はぐっと狭まる。それだけでなく、学歴だって中卒だ。
そう考えてしまうと今の状態はかなり危うい。この先とか考えるとちょっと暗くなりそうだ。
だから唐突に、あれ?と思ってしまった。
筒井は確か実家暮らしで、就活をしていた。いずれ遠くない未来に辞めるのが分かっている。登子はパートで旦那さんもいるし、子ども達はもう自立したと言っていた。リューマとリョーマは材料費の為に働いてるだけと言っていた気がする。
完全に生活するという意味でこの店に依存しているのはオーナーである道護を除けば諷だけになる。現在、衣食住、働き先の全てが道護無しでは成り立たない。
つまり道護に放り出されたら諷は明日を生き残れるか分からなくなってしまうのだ。
「…ふうちゃん、凄く難しい顔してるけど、どうかした?」
「…ミチくん、見捨てないでね。」
諷はそう言うしかない。今は。いつかは、完全に自立したいと思うが、そんな目処が立つはずもなかった。と、言うより、諷は今まで自立していると思っていたのだから。
当たり前のように保護されてきたが、それらは当たり前ではない。
びっくりするほどの自分の立場の弱さに震えすら感じてしまう。
「ふうちゃんを見捨てることは絶対に無いから、安心して、ね?」
優しく道護は諷に声をかけてくる。
諷は頷く。
そう、道護は多分絶対に諷を見捨てない。さっきまでの諷はそれを当然として受け取り、それが、どういう事なのか考えてきた事もなかった。
小さい時から道護は近くにいた。それが当たり前だった。表立って守ってくれなくても、諷が虐められたりしないように手を回してくれていた事も知っている。ずっとそうだった。
でも、これからもそうでいいのだろうか?
道護はずっと諷に縛られる事になる。
それで本当にいいのだろうか?
諷は心配そうに自分を見る道護を見ていられなくなってしまった。
「ちょっと、上がるね。」
「それがいいね。…ゆっくり休んでね。」
諷は頷く。気付いてしまうと分かる。道護はぐすぐすに諷に甘い。
今はそれが何故か苦しかった。




