12.あるバイトのひとりごと
俺は、ことなっちゃんこと、言無諷が仕事を上がったのにも関わらず、バックルームに行くのを不思議に思った。
「あれ?なんで帰んないんだ?」
独り言だったのだが、声に出てしまった以上、隣にいた店長には聞こえてしまっていたらしい。
「あー、色々とトラブルが重なってね。今、ここの上の部屋の1つを貸してるんだ。」
「へっ?!」
驚いてしまう。それは、大丈夫なのだろうか?
主に店長が。まぁ、ことなっちゃんも心配だけど…。
この店長、普段からやる気と言うものを 全く感じない。この店はやる気があれば1人で回せるだけの規模にまで縮小されているように感じるのに、バイトを3人も雇っている。その間この店長がどこで何してるのかは知らない。
この店長は、ことなっちゃんの前では決してそんな態度を取らない。やる気に満ちあふれる事はなくても、そつなく仕事をこなす大人の仮面でも付けたかのように振る舞うのだ。
ことなっちゃんへの執着ぶりも端から見ていて引くほどだ。
「何?そんなに驚いて。」
「え、あー、いや、それって大丈夫なんすか?」
「何?俺がふうちゃんの許可なく手を出すとでも思ってるわけ?」
ほら、一人称が変わっちゃったよ。不機嫌な証拠だよ。自分で気付いてないのかね?こんなの絶対ことなっちゃんの前じゃ無いだろうに…。
「い、いや、それは無いと思ってますよ。…俺が言いたいのは主に店長の精神の方が、ですかね?」
ことなっちゃんは女の子の中でもかなりかわいい部類に入ると思う。ふわふわした雰囲気にぱちっとした黒目はお茶目そうにも見えるのに、どこか気だるげな憂いを帯びていて、もしかしたら本人はクールを装いたいのかもしれないけど、どこか間も抜けてる。ぱっと見は、少し近付きがたいのかとも思うけど、話せば結構言葉は砕けているし、にこにこと相槌も打ってくるので、親しみは感じる。背も160に届かないぐらいだし、男ならこんな子を守ってみたくなる気持ちはあると思う。
この店長を知らなければ、だが。
「あー、まー、少し参ってる。」
はぁーとため息をつきつつ店長はタバコの棚に寄りかかる。こういう態度を店長がとるべきじゃないのは知っている。が、あまりこの店長の機嫌を逆撫でするのは得策ではない。
「…珍しいですね。そこまでなるの。」
この店長、実は高校の先輩だった。特にその頃関わりが強かった訳では無いが、一方的に付いて回っていた。と言うのも、人には見えていないモノに付きまとわれ疲弊しきっていた時に会って、それまで誰にも相談できなかった事が解決したから。
最初は偶然だった。いつも自分に纏わりついている黒い影が居なくなった事があった。不思議に思って回りを見たとき高校生だった店長が隣を通りすぎていった。それが何回か続けば、気が付く。
話しかけたのはこっちからで、それに対して返ってきたのは、はぁ?って態度ではあったけど。自分が楽だったから何となく寄っていく事が多かった。高校生の頃の店長は人を寄せ付けないオーラを出していたから、近付く物好きは俺くらいだった。ただ、邪険にはされるけど、一緒にいることに文句は言われなかったから、何となく休み時間や放課後はこっちが探し出して付いて回っていた。
それだけでなくいつだったか店長は、左肩に乗っかってる蛇の影をくれた。それからは、あれほど思い悩んでいた得体のしれない影に纏わりつかれなくなった。蛇はそれまでの影と違って嫌な感じも無いし、重たくもないから本当に助かった。…もしかしたらもっと厄介なモノに取り憑かれてるのかもしれないけど…。楽なら文句はない。まぁ、もしかしたら悩みを解決したから俺が店長に纏わりつくな、という意味で蛇をくれたのかもしれないけれど…。
まぁ、そんな頃に初めてことなっちゃんに会った。ことなっちゃんは覚えていないみたいだけど、ランドセルを背負ったことなっちゃんを見付けた店長の態度の変わりようには正直引いた。
普段は人を寄せ付けない態度も口調も無くなり、小さい子を優しく見守るお兄さんが現れたから。
最初はそれでも妹なのかと思っていた。そうでなくても妹に近い存在なのでは、と思っていたが、それにしては、態度もことなっちゃんに向ける視線も何かが違う。強いて言ってしまえば一方通行に想いを寄せている、は、かわいい言い方で、強い執着みたいな何かを感じさせた。
一回だけ冗談で、それ犯罪になっちゃうんじゃないっすか、と言ったことがある。すごい目で睨まれながら、そんなんじゃねぇと低い声で返されたっけ。
「正直、いつでも無事が分かるからいいんだけど、このままじゃあの子の為にはならないからな。…早いとこ対処しないと、本当にこんな仕事してる場合じゃ無いんだけどな。」
ぼやくように呟く内容は突っ込み満載だ。
1人の女の子の無事をいつでも確認したいという気持ちは最早異常に近いと思うし、その子の為には店長という名のオーナーの責任すら投げ出すと言い出してしまうのもおかしい。
「いやいや、本職なんすから、ちゃんとしましょうよ?…そんな事言ってるのバレたら、ことなっちゃんに嫌われますよ。」
「そんなヘマすると思ってんのかよ。」
渋面の顔で店長が答えてくる。
それもそうだ。この人の彼女への執着は異常の域にある。執着対象に怖がられたらおしまいだ。あくまでも彼女の前では1人の立派な大人として振る舞っているのを知っている。それも無理なく。かといって今、目の前で難しい顔でため息をついているのも店長の自然の顔の1つだ。一見相反してるようなこの両面だが、行動基準が全部彼女にある、ということだけは変わらない。だから、絶対に彼女を傷付けたり、嫌われたりする行為はしない。
「思えないっす。」
ことなっちゃんが関わる事になると腹黒いですもんね。とは言わない。
だけど、だからこそ店長の精神は保つのか心配になる。
店長は執着していることなっちゃんの事を物凄く大事にしている。
ここのオーナーの立場だって施設から出たことなっちゃんを引き取る為だったんじゃないかと思っている。まぁ、店長の異常に気付いていた施設の人がそれを良しとしなかったんだろうから、旅館の中居みたいな所に1度は行ったんだろうけど…。結果としては店長の思惑通りなんじゃないかと思う。
ここの店の2階が住居になっているのは知っているけど、ことなっちゃんがここで働く事が決まってから、独立した個室を作ったみたいだし、ここで働くことなっちゃんの為に成人向け雑誌が店頭から消えたという事実もある。そこまでするか、と正直思ったけれど、店長はそこまでしてしまうのだ。
結局、施設の人とことなっちゃんが希望したのもあって、ここから近い防犯に力を入れているアパートに住んでいた筈だけど…。
現在、店長が用意していた部屋をことなっちゃんが使っているんだな、とか思うとやっぱり薄ら寒いものを感じるのは当然だと思う。
そこまでして手に入れたいと思っている存在が常に家にいるとか、ヤバいと思う。精神的にも身体的にも。どこかで限界がきてそれが崩れたりしたら、何が起こるのか…。
ぶるりと寒気が起きたから、店長から離れて店の商品を整理しにいく。ことなっちゃんがやってくれたのか、商品は綺麗に並んでるけど、今の店長の隣に立つのはちょっと遠慮したい。
店の入口の電子音が響いてガヤガヤと数組の高校生グループが入ってくる。学校の始まる前と終わってからはこうやって高校生はよく来る。この店が唯一、賑わう時間の始まりだ。
今週号の雑誌やジュース類、菓子やパン、弁当に唐揚げとこの年代の子達は何でも楽しそうに買っていく。
ふと、そういえばことなっちゃんもこれくらいの年代じゃなかったっけ?と思い至る。
色々な都合とかを考えて進学しなかったと言っていたけれど、やっぱりまだこうやって遊んでたかったんじゃないかな、と思ってしまう。
次々来る高校生達をある程度捌き終わった頃に1人の高校生男子がレジに来た。持ってきたのは飲み物だけ。
「あ、あの、朝の子は次いつ居るか分かりますか?」
少し顔を赤らめて聞いてくる相手に内心冷や汗をかく。隣に店長がいるのに、よく聞けたなぁ?と毒づきたくなる。
「…あ、いや、他のバイトのシフトとか把握してないので、分からないですね…。」
そう答えると、男子高校生は顔を上げて真剣な顔で続けて聞いてくる。
「か、彼氏とか、い、居ないですかね?」
マジか、ことなっちゃんかわいいけど、鬼のような保護者ついてるよ?隣で物凄い顔で睨み始めてるの気付いてる?
「…さ、さぁ?…他のバイトとあんまりそういう話はしないんで…。」
俺の答えを彼は聞いているのかいないのか。店長の顔付きには気付いた様子はない。
「そうなんですね、頑張ります!」
いや。何を?
完全に1人の世界に入ってるんじゃないかと思う言葉を残して彼は会計を済ませて店から出ていく。
「…ガキが色気付きやがって。」
店長の嫌悪に満ちた低い声が隣から聞こえるよ。
さっきの台詞から察するに、朝もさっきの彼は来たんだろうね。それで店長のことなっちゃんを守るぜセンサーに引っかかったのね。そんなのが本当にあるかは知らないけど、この忙しい時間の前にことなっちゃんを上がらせた理由は分かった気がしたよ。
若いって凄い。怖いものを知らないって凄い。
うん。関わらないようにしよう。そうしよう。




