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彼女は今日、ウィルを探していた。結局、バレンタインチョコは未だに渡せていない。昼に一緒にご飯を食べた時にはいたのだが、それから姿が見えなくなっていた。たぶんどこかに出かけているのだろう。そう思った彼女は玄関前でウィルが帰ってくるのを待った。玄関の石段に座って待つ彼女の横に、僕は寄り添って一緒に彼の帰りを待った。
『どうしたらいいだろう――』
彼女は僕のほうを向いてそう告げる。
『私は、もう要らないのかな』
『どうしてさ』
『だって』
一息ついて彼女は続ける。
『研究が終わったから、私はもう要らないのかな』
『研究が終わるとなんでシオンが要らなくなるのさ』
『だって……、私は……』
彼女は目線をそらす。
数秒悩んだ末、再び僕に目線を合わせる。
『私は――失敗作だから。原子分解が起こるから、原子分解の起こらないホムンクルスが造れるようになったって事は……』
『大丈夫だよ。ウィルはそんな人じゃないよ。僕は何年もウィルと一緒に暮らしてきたから分かる』
『でも、もし本当に要らなかったら、わたしの気持ちは伝えるべきなのかな……?』
『シオン……』
彼女は自分の中に起こりつつあった変化に気がついていたのだ。ウィルに対する気持ちに。
僕は、その問いに答える事が出来なかった。
静寂が、僕たちを包む。
それから何時間が経過しただろう、陽は落ちかけて辺りは茜色に染まり始めていた。そんな頃である。ウィルが帰ってきたのは。
ウィルの手には、何かの袋がぶら下がっていた。それを買いに行くために今日は出かけていたのだろうか。
ウィルは玄関前で待っているシオンと僕に気がついたのか、こちらまで小走りでやってきた。シオンは自分が持っているものが見えないように後ろに手を回して隠した。足元にいる僕からは隠しているようには全く見えない。
「ごめんごめん、何も言わないで出ちゃって。心配してくれたのかい?」
シオンはこくりとうなずく。
「あぁ、本当にごめん。今日はね、君にプレゼントがあるんだ」
そう言って、ウィルは持っている袋から何かを取り出した。
「はい、これ。本当は女性のほうから渡すものなんだけれども、シオンが知らなかったらどうしようと思ってわざわざ隣町まで行って選んできたんだ」
シオンの目の前に出されたものは、可愛い包装がされていて、ウィルがこの包装をお店で選んで買ってきたところを見ると、おかしな気持ちになってしまった。
「今日はバレンタインでーって言う日でね。本来は女性から男性にチョコを渡すものなんだけれど、今日は特別。君には研究にずいぶん貢献してくれたからね。感謝の気持ちもこめて」
シオンは、ウィルのチョコを片手で受け取る。もう片方の手はエリーから貰ったチョコを隠しているのだ。シオンはチョコを受け取ったあと、隠しているチョコをウィルに向けて突き出した。
「え? これ僕に? あぁ、なんだ。知っていたのか今日の事。うわー、そうだったのか」
そう言って、ウィルはチョコを受け取ってくれた。
彼女は深呼吸をし、何かを決断したように見えた。
「このチョコどこで手に入れてきたの? あ、もしかして昨日エリーの店に行った時に作ったのか」
そう喋り続けるウィルをシオンは、片手を出して制する。
「え? なに? どうしたの?」
夕暮れが辺りを橙色に染めて、雰囲気を出してくれる。
サラサラと、少し肌寒い空気が僕たちを包む。
僕はシオンから少し距離を置いた。
ウィルは戸惑っている。
シオンはもう一度深呼吸する。
そして――
「私は――」
シオンが喋り始めた。
彼女は、生まれて初めての声を出す。
「――ずっと、ずっと――好きでした!!」
辺りを、シオンの声が包んだ。
「え? シオン!?」
ウィルが驚く。
沈黙の時間を与える隙も無く、その瞬間だった。
原子分解が始まる。
彼女の身体が泡に包まれていく。
彼女の身体が崩れていく。
夕日で彼女の身体は紅に彩られる。
まるで紅蓮の炎に焼かれて消えていくようだった。
彼女は、
その中で、
今までで一番美しい顔で、
思い人に優しく微笑みかける。
「シオン!! 何やってるんだ!!」
ウィルが叫ぶ。
だが。
彼女の人生が消えていく。
彼女の歴史が消えていく。
彼女の存在が消えていく。
彼女の記憶が消えていく。
それは儚く。
それは哀しく。
それは鮮やかに。
それは桜のように。
彼女は散っていく。
その時間は数秒。
彼が触れる前に彼女は――
――消えてしまった。
後に残されたのは、
哀しみと、
後悔と、
涙と――