D’:After that
麗菜。
彼女はもうこの世にはいなかった。
特編が始まる直前の週末、彼女は家族揃って旅行に行っていた。金、土、日と。そう言えば担任が朝のホームルームで(クラス解体後も朝だけは自分の教室にいなければならなかった)麗菜は急用が出来たと言っていたのはこのことだったのか。
その日曜。帰り際のことだった。
彼女の父親が運転していた車がちょうど山道の上り坂にさしかかったところで、突然強風にあおられた。
道は車幅ギリギリだった。左側は崖だった。
車はハンドルを取られ、谷底へ落下した。
* * * * * *
俺が麗菜の祖父母からそれを聞いたのは大分後の話になる。こういうことは大抵すぐ周囲に伝わるだろうが、今回はあまりに突然のことで葬儀も内輪のみで行われ、親戚も慌ただしく、伝えられなかったのだそうだ。
しかし学校はどうだろう。このこと、知らなかったはずがない。何故教えてくれなかった。それは今もって謎のままである。
正直、夢としか思えない。
親友にもう二度と会えなくなるなんて、聞いたって実感湧くわけないだろう?
俺は無性に麗菜の家に行きたくなった。それで彼女の部屋に入りたくなった。その気持ちばかりの真実を目の当たりにしたことによってだけでも、麗菜の死を受け止めたかった。いや、そうしなければどうしても受け止めることが出来なかった。
だが、その現実を受け止めたとして俺は果たして平静でいられるだろうか。いや、きっといられまい。結局のところ、俺は親友の死一つすら直視できない存在だったのだと、自らを悔やむしかない。
世の中に因果応報などという言葉は存在しない。勉強をすることで報われることもあるし、運動ができたことで栄誉を与えられることもあろう。しかし、つまるところ、人間は今ある身体でその人生をいきるしかない。その他の人間になどなりえない。だから運命も変えられない。人と人との出会いを運命の悪戯と感じようと因縁と感じようと、それは個人の心の持ちようであって、突き詰めればそれらは紛れもなく「運命」なのであって、すなわち「さだめ」なのである。
もしならずもの破落戸の善行が、あるいはその逆が、人間の運命を変えうるものなのだとしたら、つまり因果応報という言葉を容易に信じうる世界が成り立っているのだとしたら。
麗菜はこんなことにはならなかったはずだ。




