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父と母の最期の時間

作者: 月英

『おい、元気か?ネットでお前んとこに、本が着くように頼んだから着いたら持ってきてくれ。

お母さんの本とオレの仕事で使う本だ。

え?なんで?

そりゃウチじゃ受け取りできないから。

昼間は誰もいないしな。たまには顔を出せよ』


「え?おい、ちょっと!」


父からの久しぶりの電話があった。

いつも一方的に電話を切るから困る。


キッチンでは妻が携帯で電話をしている。

頼んでもない荷物が届いたから、慌ててる。

「ええ、ですから注文してないと…」

「おーい、これ、オヤジのだって!」

「え?!あぁ!すみません、わかったみたいです。あ、すみません。ありがとうございました」





昨年のはじめ、母が倒れた。


肺がんを患い、それでもまじめに治療を受けず、仕事に行っていた。そして職場で倒れ救急車で運ばれた。

脳に40ヵ所の転移が見られ

「完治は不可能です」

「予後は長くはないでしょう」

医師の言葉に、父は深くため息をついた。


緩和ケア病棟に入院した母はそれでも頑固に「家に帰りたい」と言ってきかない。もう歩ける身体ではないのに。


「早く帰ってご飯のしたくをしないと」

と言う母に、私達は涙をこらえるので精一杯だった。

父は

「早く治して、子どもらに飯をつくってやれ!」

と言った。


父は仕事仕事で家庭のことは家事一切を母に任せていたので、ご飯すらろくに炊けない。べちゃべちゃの野菜炒めが得意料理だった。


母が入院してからというもの、急にまじめに家事をはじめ、慣れない包丁でよく「指を切った」と、つくった料理とともにSNSに投稿するようになった。


そして母のもとへ毎日通うようになった。母の好きな本や甘いものを持って。

今になってコミュニケーションをとろうとしているところに息子から見ても滑稽だった。



父は大学時代に母と知り合い、その後同じ職場になったことをきっかけに結婚。

私をはじめ3人の子どもを授かった。

仲の悪い夫婦ではなかったが、子育てと仕事の毎日で、母のがんが見つかるまでは夫婦二人きりで何かをすることはあまり無かった。

母の肺がんが見つかってからは休みの日には二人で道の駅めぐりをはじめた。道の駅で特産品を買い、帰って母が料理をする。そして二人でお酒を飲む。

まるで残された時間を噛み締めるように。



母の入院中、父はまるで恋人のもとに通うかのように、母のもとに足しげく通った。




夏が近くなるにつれ、母の病状は誰の目から見ても悪くなった。


それでも父は毎日飽きもせず病院に通った。まるで今までの空白をうめるように。

起きているのか寝ているのか、虚ろな母の顔をいつも優しく撫でる父。

すると迷惑そうに顔をしかめる母。


孫達が

「ばあば!」と声をかけると

「…はあい」と返事をする。

「オレが話しかけても返事がない」

と父がすねていたのを私達は微笑ましく見ていた。



8月。

父と母は、はじめてと言っていいくらい、夫婦水入らずで花火を見た。

病室から打ち上げられる花火。

意識があるのかないのか、虚ろな目で窓の外を見つめる母の手を握る父。鬱陶しそうに痩せこけた手で振りほどこうとする母の姿に笑ってしまった。


「何十年も手なんか握ってなかったのに。今さらなによ。恥ずかしいからやめて」


と言ってるみたいだ。




その一月後、母は亡くなった。62歳だった。


大学時代や昔の仕事仲間、親しい友人を招いて小さな葬儀を行った。

父は

「家庭を省みない、なんてダメな夫だった。だけど、美味しくないが自分で料理をつくれるようになった。洗濯もちゃんと毎日してる。だから安心してくれ」

と泣きながら母に言っていた。


父はしばらく落ち込んでいたようだったが、少し休んでから再び仕事に通いはじめた。

「年金なんかアテにならない。仕事できるうちは安い給料でもやるよ」

なんて言いながら、たまに仕事帰りに孫の顔を見に我が家にしばしば立ち寄った。ふらっと、連絡もせずに。


孫達の大好きなアイスクリームをよく買ってきた。

しかし、それぞれ別の種類を買ってくるので、イチゴアイスをめぐっていつも兄弟ケンカの火種になった。


「家に帰っても一人だからさみしいなあ~。誰かご飯食べさせてくれないかなあ~」等とこれ見よがしに要求し、私の妻のつくった夕飯を食べて帰ることもあった。

家には弟がいるのだが独身で夜勤もあるため、ほぼ会話もなく独り暮らしだったようだ。



それからしばらくして、母が亡くなった半年後。年が明けた今年のはじめに父が亡くなった。


家の中でソファーに座ったまま意識を失っていたのを、帰宅した弟が見つけた。


救急車で運ばれたものの、間に合わなかった。

急性心筋梗塞。64歳だった。


前日は日曜日だったので、孫4人と一緒に遊園地に行き、1日遊んだ後、旧友の家で酒を飲んだ。


翌朝いつものように仕事に行き、夕方ふらりと我が家を訪ねてきて、「イチゴを買ったから」と孫たちに手渡して、生まれたばかりの5人目の孫の顔を見て帰っていった。

「夕飯は?」

「今日はもう用意してあるから」

と会話をしたのが最後だった。


帰宅をした後に夜、急変したようだ。


母の後を追うように亡くなった父。




しかし、今日なぜか父から来るはずの無い電話があった。


父が亡くなったのを忘れていたわけではないのだが、さほど驚かなかった。なぜだろう。


そして本が届いていた。


私はネクタイをほどきながら分厚い紙袋に入った本を取り出した。


母の好きだった時代小説。

福祉の法改正のハンドブック。



こんなの頼んでどうするんだ。


明日は日曜だ。実家に持っていこうか。


仏壇の前にでも置いておけば読むかな。


あっちでも父と母は一緒にいるようだ。



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