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「―――頼む、家族の命が懸かっているんだ!何でもいい、五龍都に繋がる情報を教えてくれ!!」
少年が目覚める三時間前。政府館三階、副聖王執務室にて。
突然消息を眩ませたかと思ったら、何の前触れも無く帰還した腹心の部下。そんな彼の無事を喜ぼうとした瞬間に土下座され、上司にして部屋の主、エルシェンカは軽く混乱した。
「お、落ち着けジョウン。取り敢えず立ってくれ」
普段に無い、冷静さをやや欠いた嘆願。それでも部下は姿勢を戻し、ズボンの土埃を払った。
「いきなり透化魔術で待ち伏せと思ったら、藪から棒に一体何だい?それに家族って……大体、君には“翡翠蒐集家”の捜査を任せていた筈だけど」
「だから、その犯人の潜伏場所が五龍都なんだよ!だけど今俺絶賛記憶喪失中で、しかも手帳やパスも奴の車に置き忘れてきちまったんだ。と言うか、あんたが俺の上司で間違いないんだよな、副聖王様?」
嘘偽りの無い眼差しに、向けられた純血聖族は内心頭を抱えざるを得なかった。
(拙いな、こいつは本物だぞ……捜索依頼を出した駐在所からも、街中をふらふらしていたと報告が上がっている。ジョウンの身に一体、何が起こったんだ……?)
観察した所、頭部に見える外傷は無い。先程の待ち伏せを見るに、記憶を失っても神童ぶりは健在のようだ。大方自分で治療したのだろう。
「ああ。如何にも僕が君の直属のボスだ、ジョウン・フィクス。さ、座ってくれ」
動揺を堪えながら、紳士的に応接セットのソファを勧める。
「取り敢えずコーヒーを淹れるよ」
「えっと、悪気は無いんだ。そいつが本名だってのも知ってるけど」
そう前置きし、浅く腰を下ろす。
「今の俺、皆からは僵尸って呼ばれているんだ。だからすっげー違和感って言うか、むずむず?しちゃうんだよな」
僵尸、“白の星”の地方民話の妖怪か。不死族とは違う架空の存在だ。
(しかし、そんな渾名が付く経緯……余り考えたくはないな)
「そうか、分かった。なら僕もそう呼ばせてもらうよ。ところで僵尸。僕やこの政府館を見て思い出せた事はあるかい?」
奥の簡易キッチンへ赴き、薬缶をコンロに掛けながら尋ねる。
「いや、全然。でも……」
「ん?」
煮え切らない返事に振り向くと、部下は扇子を口元に当てた。
「……ここの玄関前に着いた時、あんたの魔力の残滓を感じたんだ。懐かしいって言うか、とにかくそれを頼りにこの部屋へ」
君らしいね。答えながら携帯を取り出し、数日前交換したばかりの番号をプッシュ。ワン切りの合図は『待ち人帰る』。連絡に気付き次第やってくるだろう。
(さて。彼女の顔を見て、何か思い出してくれるといいが……)
数分後。出されたコーヒーカップを掴み、僵尸は不思議げな様子で小鼻をヒクヒク。
「この匂い……嗅ぎ覚えがあるぞ」
「君が唯一褒めていたブレンドだよ」
ギシッ。恐る恐る漆黒の液体を口する部下、その正面に着席。一口傾けたカップを置き、両腕を組んで本格的に質問を開始する。
「で、まずは最初から話してくれないか。家族とは何処の誰の事だ?それに何故、彼等は“龍家”に命を狙われる羽目になった?」
部下の両親は数年前、既に他界している。赤の他人をそう呼ぶと言う事は自分と同等、或いはそれ以上に心を許している証拠だ。
予想済みの質問だったのだろう。彼はカップを置き、悪いが言えないんだ、真剣な声音で前置く。
「頼みに来ておいて何だけどさ」はぁっ。「今はあんたより、彼女達の方が大事なんだ。すっげえ虫の良い話だけど……御免」
ペコリ。
「きっとあんたは俺にとって数少ない理解者、なんだよな……?異端の、俺の」
「おいおい、らしくない事言うなよ。本当にどうしてしまったんだ、君」
社会など何処吹く風。寧ろのびのび振舞っていた昼行灯の急変に、何時に無い心配性が出てしまう。
(いや。今の言葉こそが本心で、普段は単に取り繕っていただけ、なのかもしれない……)
性格のお陰で疎みこそしなかったが、父母も学校もジョウンとは距離を取っていた。本人が人知れず孤独に苛まれいたとしても無理は無い。
肩に手を添え、部下に頭を上げるよう言う。
「異端だろうと神童だろうと関係無い。君は僕の有能な部下であり親友だ。喜んで力を貸そう。それに―――家族愛は、僕にとっても無関係な感情じゃない」「?」
脳裏に浮かぶシルエット、自分と何処となく似た後ろ姿へ呼び掛けるように、そう言葉を〆た。




