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 カツ、カツ。「―――黄龍」「?」


 ここが限界か。僕は目深に被っていた帽子を取り、木咲先生の陰から歩み寄る。

 勝機があると言えば嘘になる。が、最早起死回生のチャンスは彼が僕を認識し、指揮系統が混乱した隙にしか無い。そして僕の思惑は、予想以上に上手くいった。


「お、お前は………ううぅぅああああぁぁっっっっ!!!!!」

 

 眼球が飛び出る程注視した後、彼は瞬く間に発狂状態に入った。懐から予備らしき件の凶器、チューニングハンマーを出して突進してくる。

「しまった!?」

「俺は最低じゃない!!訂正しろ、貴様!!!」

「駄目、レヴィアタ君!!」

 神速の一撃を、隣にいた保健医の咄嗟のタックルでどうにか回避。が、口端から泡を吹く“翡翠蒐集家”は、再度僕の目玉を狙い獲物を振り被った。あ、拙い。


「謝れ!!!」「わっ!」「きゃああっっっ!!」


 先生が覆い被さり、視界が数秒遮られる。続いて起こるボキッ!ベキリ!聞くに堪えない厭な音色。まさか、


「―――ぁ、そんな……嘘………!」


 一足早く顔を上げた木咲先生の悲痛な呻き。なるべく彼女の触れないようにしつつ、胸の下から這い出る。そうして目に飛び込んできた光景に―――僕は、絶句しか出来なかった。

 たかがチタンと木製の道具で、どうしたらここまで酷い真似が出来るのだろう?狂った怪力で圧し折れた凶器が取り落とされ、カラン、呆然とする加害者の足元に転がった。


「頼む、正気に戻ってくれ……こんな馬鹿馬鹿しい真似、兄長らしくない……」「青……」


 家族に縋り付き、必死に説得する弁護士。その左手の甲は苛烈な暴力を一身に受け、血が溢れ出している。その上、素人目にも判別可能な程骨が粉砕され、薄い皮膚を突き破っていた。

「う、嘘だ……俺は、俺は―――あ、あ、あ、あぁ……!!!!?」

「叫んでる場合か!!?」

 苦痛を忘れる程の烈火を抱きつつ、ふらふらながらミトさんが立ち上がる。体勢が変わり、ドプッ……脇腹からズボンを伝う血塊。

「母さんを返せ、この気違い野郎!早く治療しねえと手が、母さんの手が!!」

「これ位、何ともない!私よりミト、頼むからそれ以上動かないでくれ……!!」

 パタッ、パタッ……自宅を汚し続ける赤色を、泣き出しそうな目で見つめながら嘆願する家主。決して怪我由来ではない弱気に驚きつつも、傷付いた息子は非常な努力で微笑んだ。

「わ、私からもお願いします!早く治療を受けないと、本当に二度と動かせなくなってしまう……!」

「一時休戦じゃ、兄長。全く、月に手を上げるとは何事じゃそなた!?」

 女主人の憤怒に応じ、チャイナドレスから毒蛇も揃って威嚇。仕込んだ訳ではないだろうけど、中々芸達者な爬虫類共だ。

「はは、今のが例の奴か。無様だなぁ兄長」

「止めなさい。でもまあ確かに、滑稽ではありますね」

 容赦の無い感想。だが弟妹の言葉など、当の本人には聞こえていない様子だった。

 

「―――ああ、赦さんぞ……死を以って償え、この狂眼共め……!!」「っ!!?」


 不意に家族を振り解いた黄龍は、抜いた己が刀を頭上に掲げて咆哮を上げた。

「命令だ!龍神の名の下、こいつ等全員を地獄へと叩き込め!!」

「いよっ、待ってました!」

「手負いの上素手と言うのが少々気に食わないですが、命とあらば」

「貴様等っ!?くっ……済まぬ、桜」

 一目散に異母妹の下へ駆け寄る赤龍さん。床に叩き付けられた際に、更に折れたらしい。ただでさえ重傷の左手首が外側へ九十度曲がっていた。喘ぐ細い背を抱え、どうにか仰向けにさせる。

「おい、しっかりしろ月!?」

「うぅ、あ……!」

 微かな震動も激痛の呼び水となり、生理的な涙が零れる。

「下がらせておけ、赤龍。邪魔だ」

「自分でしでかしておいて、つくづく勝手な男じゃな!月、動かすぞ。少しだけ我慢しておれ」

 言うなり横抱きに上げ(流石暗殺一族。女性で細いのに凄い腕力だ)、玄関の壁際へ移動。そろそろと座らせてからドレスのポケットを探り、薔薇の刺繍入り布で額の脂汗を拭った。って、暢気に観察している場合じゃないな。

「ジョシュア!?」

「お兄ちゃん……」

 ミトさん以外全員で、屈み込む友人の傍へ。代表で僕が癒気を使い、止血を試みる。祝詞を唱えつつ、木咲先生と自分の分のハンカチを胸に当て、傷口を圧迫。

「ベイトソンさん!奴等、完全に殺る気だぞ!!」

 二重の意味で耐える住民の警告に、止むを得ない、自らも深手を負う保護者は重々しく頷いた。

「桜、レヴィアタ君、彼等は私が足止めする。ミト君とジョシュアを連れてこの家を離れなさい、一刻も早く」

「嫌だ!このまま母さんを残して行けるかよ!!」

「私も残ります!」

 言うなりポケットから数枚の若葉を掴み出し、僕等へと向き直る。

「時間稼ぎは任せて!レヴィアタ君、あなたは裏口から」

「逃がすか」

 友人の肩を支える僕の眼前に立ち塞がった“龍家”の長は、無感情に小刀を構えた。切っ先を僕の頚動脈目掛け、研ぎ澄まされた殺意で以って。と、友人が預けていた体重を離す。

「見誤るなよ、若造が……お前の相手は僕だ」

「戯言を。小胸筋を断たれ、刀を持つのもやっとの癖に」

 鋭い指摘に、だが邪眼の使い手は不敵な笑みを崩さない。

「どうやら自分同様、部下達も随分熱心に教育したみたいだな……だが、その程度で“イノセント・バイオレット”を封じたと思ったら大間違いだ」

 黒目が妖しい紫の光を帯び、嘲笑する敵を射抜く。

「ハッ!今度はハッタリか。情けないぞ、紫」

「それはどうかな?弱点を晒した上、動揺し切った今のお前の精神は最早丸裸だ」

 集中力が増し、光彩がスッと細まる。

「さあ、誰に殺されたい?僕か、お兄ちゃんか、それとも―――あそこに転がっている、お前の身勝手の最大の被害者がいいか?」

 瞬間、彼の顔に冷めやらぬ動揺が出現。待っていましたとばかりに歯を剥き出し、その心に入り込む“紫”。ところが彼の思惑は、完全に予想外の方向から妨害された。




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