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 その後部屋へ招待され、休憩を経て午後七時。テレビのバラエティ番組を観つつ、用意されていたミートスパゲティを二人で食す。市販のレトルト品のようだが、お兄ちゃん効果で僕にとっては最高のディナーだった。

 男所帯とは思えない程、綺麗で清潔なリビング。下宿人は当然だが、体育教師も図体に似合わずキッチリした性格らしい。

 タレント達の爆笑の後流れ始める、如何にも制作費をケチったエンディングテーマ。それが終わる頃、キッチンで食器の片付けを終えたお兄ちゃんが戻って来た。そろそろ消すね、スイッチをオフ。

「今日は色々ありがとう、ジョシュア。マンションまで送るよ」

 満腹もあってか、余り遅いと先生方も心配するだろうし、すっかり普段通りの平静を取り戻した中学生がはにかむ。

「一人で帰れるよ。って言うか、お兄ちゃんの方がずっと危険度は高いんだよ。好い加減自覚してよね」

 警告後、わざと頬を膨らませてみせる。

「御免御免、そうだったね」苦笑。「でも白龍さんを追い返したばかりだし、もう今夜の襲撃は無いと思うんだけど」

「ダーメ。屁理屈言わないの」

「はいはい。なら、せめて下まで一緒に行くよ。―――そうだ、ちょっと待ってて」

 そう言って、お兄ちゃんは一度自室へ。一分程して、白色の物を手に戻って来た。

「はい、約束のハンドクリーム」

 差し出されたチューブの銘柄には見覚えがあった。忘れもしない一昨日の夜、彼が塗ってくれたのと同じ物だ。

「覚えててくれたんだ……こんな非常事態なのに」

「まぁ僕、キュー先生やロウにもよく暢気だって言われるから」

 プレゼントを受け取った僕はチラチラッ、意味深な視線を向ける。察した彼は苦笑いしつつ、一旦返却されたチューブの蓋を開けた。


 スーッ、ペタペタペタ……。「―――はい。こんな物かな」「わーい!お兄ちゃんありがとー!!」


 包まれる掌の温もりが愛おし過ぎて、口端が緩みっ放しだ。しっとりした手の甲を顔に近付けると、新鮮な石鹸の香りが鼻一杯に満たされた。

 僅かに残ったクリームを自身の掌に擦り込み、キャップを締めて再度贈呈。勿論今度は素直に受け取り、ズボンのポケットへ収めた。

 綺麗にした二枚の皿を持参して玄関を出、一度三階へ。お兄ちゃんが真上の部屋のインターホンを押すと、程無く中から大家が現れた。

「こんばんは」

「おや、わざわざ返しに来てくれたのか。明日の朝で構わなかったのに」

「ついでですよ。ちょっと、外の空気を吸いたくて」

 下宿人の返答に医師、コーディー・アンダースンは予想通り怪訝な表情。一部屋手前で観察していた僕にも、不本意ながら奴の気持ちは理解出来た。

「例の連続殺人犯、未だに捕まっていないらしいな……遊び盛りの君に窮屈な思いをさせて、本当に済まない」

「謝らないで下さい、コーディー小父さん。僕、元々インドア派だし、別に気にしていませんよ」

 クスッ。

「まぁ欲を言えば、夜スーパーやコンビニへ行けないのが不自由ですけど」

「そうか……」

 気遣わしげな眼差しの後、さっきルナとも話し合っていたんだが、徐に妻の名を出す。

「もうすぐ夏休みだろう。皆で一度旅行にでも行かないか?」

 え?珍しく驚く彼。

「キューも誘えば予定を合わせてくれるだろう。勿論、まだ予約も何もしていないがね。ハイネ君は何処か行きたい場所はあるかな」

 腕を組みつつ朗らかに微笑む。 

「遊園地やキャンプ、夏だからマリンスポーツも楽しいと思うよ」頷き、「アランも小さい頃、よく海へ連れて行ってくれとせがんだものだ。ところでハイネ君、泳ぎの経験は」

 一応河でなら父と何度か。記憶内を検索するように頭を傾ける。

「でも、脚が着く程度の深さでしたし、距離自体は長くても二十メートルが限界だと思います」

「だったら一度きちんと習っておくといい。幸い、うちにはレクチャーの専門家もいる事だしな」

 期待の眼差しに、済みません、下宿生は申し訳無さそうに肩を竦めた。

「生憎僕、生まれてから一度も旅行と呼べる物に行った事が無くて」

「え?」 

「知っての通り父が転勤族で、引っ越しが旅行代わりと言うか……ああ、でも何処も楽しそうですね」

 初老の狼狽に気付かず、学生は手を合わせて喜ぶフリをする。

「日程が決まったら早目に教えて下さい。宿題を前倒しで済ませたり、荷物の準備もしたいので」

「あ、ああ……行き先はまた今度、皆が時間のある時に話し合おう。考えておいてくれ」

「分かりました。じゃあ、お休みなさい」 

「ああ、お休み」

 動揺を隠せない大家と鈍い下宿生は互いに手を挙げ、そう別れの挨拶を交わした。




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