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「っな!!?」「嘘だろ……!?」
反射的に顔面を手で庇い、“蒼”と“黄”が呻くのも無理も無い。あれだけ平静に会話していた敵が、まさか照明の金具に両爪先を引っ掛け、ずっと逆さまにぶら下がっていたとは!
突然の感光に軽微ながらダメージを負った目を押さえつつ、改めて敵を観察。獲物は蛇矛か。通常の矛に比べ、大きく波打つ刃が特徴だ。長さはおじさんの槍とほぼ同じ。
一方の所有者は、一見すると漆黒の僧服を羽織った普通の尼僧だ。但し、見開かれた眼の白目部分は黒く濁り、瞳は妖しげな金色。だがその暗視能力よりも、剥き出しの純粋殺意の方が千倍厄介だ。
獲物を退けた尼僧は布靴の爪先を外し、倒立状態のまま床へ自然落下。空中で半回転後、何事も無かったように狂気の眼を閉ざし直立した。
「私の一撃を正面から受け、且つ未だ生きているとは……些か驚きました」
「ならば考えてくれるかい、転職の件」
「まさか。しかし口ばかりでは無いようで見直しました」
優雅に一礼。
「先代黒龍からは、外界では本物の武人などとうに絶滅している、と伝え聞いていましたので。どうやらあの男もまた、自らの見識の虜囚と成り下がっていたようだ」
「誰しも起こり得る事さ。予防には常に新しき学びを求め、自問自答を重ねねばならない。鍛錬と同じだ」
スッ、蝋細工めいた右手を差し出す暗殺者。おじさんは躊躇せず握り締めた。
「―――認めましょう、コンラッド・ベイトソン。あなたは久々に殺すに値する男だ、と」「おや。ではお手柔らかにね」
握手を解いた尼僧は続いて、帰るぞ、妹へ端的に命ずる。
「そうじゃな。にしてもベイトソンよ、そなたも厄介な奴に惚れられたの」
ひらひらと掌を振り、唇をへの字に曲げる蛇女へ、だが当の本人は朗笑するのみ。
「はは、何であれ興味を持ってくれて良かった。外は暗いから二人共、気を付けて帰るのだよ」
「お休みなさい、赤龍」
「ああ。桜や小僧共も、くれぐれも夜道で勾引されんようにな」
では、また。ガチャン!蛇矛の一薙ぎで以って窓を粉砕し、人騒がせな暗殺者共は人工の闇へと消えて行った。




