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「な、なな何でだよ、ハイネ君!?一人で外出する時は俺を呼べってあれ程」
「ああ。済みません、ミトさん」
謝るお兄ちゃんの両肩をガッ!問答無用で掴む“黄”。
「父さんの事を抜きにしても、本気で君ヤバいんだぞ!この上ハイネ君までいなくなったら俺、俺……!!」
「ミトさん!?分かりました、分かりましたから、取り敢えず手を離して下さい……!!」
ガチ泣きする男に高速で揺さ振られ、首をガクガクさせつつ制止を求める学生。だが悲痛な声など蚊帳の外、感極まって暴行は一層エスカレート―――させるか!!
「いい加減にしろ!!」ゲシッ!「いてっ!?」
脛にフルパワーのローキックを喰らい、反射で外れる両腕。ふらふらその場に倒れ込みかけたお兄ちゃんを、危ない、桜が背面で支える。
「大丈夫、レヴィアタ君?」
「え、ええ……割といつもの事なので、もう平気です。ありがとうございます、木咲先生」
ほほぅ、いつもねぇ……こ奴、後でどう処してくれようか。
僕が若干殺意の籠もった目を向けると、早くもダメージから復帰した相手もこちらを睨み付けてきた。
「痛いじゃないかジョシュア!本気で一瞬折れたかと思ったぞ!!」
「フン。自業自得だね」
「同感だ。―――にしてもレヴィアタ。お前もとんだ面倒事に首突っ込んだな」
バリバリと頭を掻く担任に対し、しょうがないですよ、生徒は決まり悪そうに小さく肩を竦めてみせた。
「僕には眼前の犯罪を止められなかった責任がありますから。尤も、ベーレンス先生達みたいな異能でもあれば、状況は大分違ったんですけど……」
「スーパーマン扱いするな。俺達だって基本はお前と同じ、唯の人間だ」溜息。「で、相当ヤバそうだったのか、相手は」
「ええ……扉越しに声を聞いただけですが、あの殺気と脅迫の仕方は間違い無くプロの暗殺者です。テレビドラマとは迫力も感じる恐怖も、まるで桁違いでしたから……」
思い出したのか、震える手で肘の辺りを掴む。
「ただ、そのせいで記憶が混乱して、未だに断片的にしか思い出せないんです。具体的に言えば、ミトさんを通じて伝えた程度、しか……」
悲痛な表情。
「しかも過緊張で酸欠を起こしたらしく、通話途中で不覚にも僕、失神してしまったようなんです。それでも何とか行方を追おうと携帯を修理したり、奥の書斎を捜索したりして、でも」
見つからなかった訳だね、手掛かりは。相槌を打つ教職者。
「ええ。携帯の履歴から、その時の通話相手が理事長先生と言う事までは分かったんですが」
「そんな緊急事態なら、すぐに折り返してくれて良かったのだよ」
「僕も最初はそうしようと思ったんです。だけどミトさんから『ホーム』の内情を聞く内に気後れしてしまって」
おいこら。仮にも法律家の息子だってのに、こいつには守秘義務って物が無いのか?
「それに、そちらからのリダイヤルも無かったので、お話を伺っても無駄足どころか、余計な心配を掛けるだけだと……何せ僕、ロウやキュー先生を泣かせたばかりですし。打ち明けるにしても最後の手段にしようって、そう二人で相談を」
「君達はもっと早くに相談すべきだった。生徒の悩みに耳を傾けるのは、教育者として当然の行為なのだからね」
穏やかに諭され、そう、ですね……、お兄ちゃんは緩く頷いた。
「確かに幾ら警察へ通報出来ない状況とは言え、今まで黙っていた事は謝罪します。済みませんでした」
「いや、私が言いたいのは君の」
「?」
「あとさっきから気になっていたが、その格好は何だ?」
空気の読めない“蒼”が尋ねると、これですか?私服にしては芝居がかったコーディネートを指差す。
「街で知っている人達に見つからないための変装ですよ。前にミトさんに選んでもらったんです。結構雰囲気違うでしょう?」
「ああ。顔さえ出さなきゃ、アンダースン共にもまずバレないレベルだ。ところで不良学生、奴には一言言ってきたのか?」
「まさか。外出禁止令は絶賛継続中ですから、いつも通りベランダからロープを伝って降りて来ました。真下の部屋が空いていて、本当にラッキーですよ」
え?運動神経普通のお兄ちゃんが、一人でそんな映画みたいな離れ業を?いや、僕がまだ知らないだけで、きっと幼少期からロッククライミングを嗜んでいるに違いない。うわー、凄いや!流石お兄、
「お陰で毎回安全マットへ落ちても、未だにアンダースンさん達にはバレていませんし」
……だよね。まあ怪我はしてないようだし、取り敢えずはいいか。
「じゃあミトが昨日の昼間、資料を借りて行ったのも」
「勿論、僕が見たいって頼んだからだよ。でも」口元を押さえ、「結果はジョシュアも知っての通りさ。やたらに気分が悪くなっただけで、ビ・ジェイさんに関する情報は全然……」
「そうね。私もほんの少し目を通したけれど、とてもショッキングな内容だったわ」
「ええ、本当に危険な犯罪者です。あんな相手と渡り合わなくてはならないなんて……」
自分以外全員大人、しかも教師陣を前に臆さず堂々と発言するお兄ちゃん、格好良い!目と鼻の先にある凛々しくも幼い横顔に、僕は状況も忘れてついうっとりしてしまう。
(ん?でも何故今夜、お兄ちゃんはここへ来たんだ?)
正体を明かしに、なんて洒落た雰囲気ではない。同じ疑問に行き当たったのだろう、住民が口を開く。
「調べ忘れた所を思い出した、とか?」
「正解です。ついさっき閃いたんです、まだ調査していない手掛かりの在処を」
「!?ま、本気でか!!?」
「ええ」小さく微笑み、「どうして今まで気付かなかったのか、自分でも不思議な位ですよ」
確信的な台詞に、宜しい、理事長先生が早速挙手。
「その探し物、微力ながら私達も手伝おう。人手は多いに越した事は無いだろう」
「動植物の力を借りたい時は私達に言って。ね、アダム?」
「チッ、仕方ねえな。ほら、さっさと言え。勿体振りやがったがったら手前、次の内申下げるぞ」
脅迫紛いの恐喝に、だが何故か本人は済まなさそうに頬をポリポリ。
「いえあの、先生方の御好意は嬉しいのですが。僕の頭の中なんです、在処。この混乱した記憶が解き解せれば、きっと手掛かりが見つかるかと」
「カウンセリング、って事?でも私、児童心理はともかく臨床の方は……」
おろおろ。
「それに詳しくはないけれど、記憶を取り戻すならそれなりの回数を重ねないと」
「大丈夫ですよ、木咲先生。僕の予想なら多分、今夜の一回で済みます。ジョシュア」
「あ!う、うん!!?」
急に名前を呼ばれ、跳び上がる間も無く両肩を掴まれた。まだ成長途上の、柔硬入り混じる温かい掌で。
屈む事で同じ高さになった唇が、一生のお願いだよ、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「―――僕が忘れてしまった記憶を、君の“イノセント・バイオレット”で思い出させて欲しいんだ」




