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同日夜。着替えのために一度帰宅していたミトを含め、三人と一匹での夕食後。一緒に自室へ戻った彼だけに行き先を告げ、僕は急ぎ支度を始めた。因みに寅は今夜も律儀に電話してきた。今日のおやつは出来たての胡麻団子だったと狂喜乱舞していたらしい。
「お前の異能を信じてない訳じゃないけど、ホントに大丈夫なのか?―――はいはい。あ、そうだ。借りてた資料の感想だけど、やっぱ手口がエグいな。ターゲットにされてる子達のためにも、早く犯人を見つけてとっちめてやらないと」
「言われなくても分かってるよ。じゃ、お休みミト」
返却された封筒を肩掛け鞄に仕舞い、出発。そして特段アクシデントも無く、僕は無事懲役五百年を喰らった女のいる特殊医療刑務所、その独房(個室タイプ)へと到着した。
「フン。急に看守共が静かになったと思ったら、やっぱりお前の仕業か、ジョシュア」
「よくお分かりで。流石は『Dr.スカーレット』」
『ホーム』の女主人、メアリー・レイテッドは現在収監の傍ら、自分が収集したウイルスのワクチン開発に勤しんでいる。だが勿論、本命の“スカーレット・ロンド(赤の輪舞)”の研究はストップしたままだ。それでも特に焦りも見せず、まだ迎えにはちいとばかし早い筈だが、カップ焼酎を傾けた。
重罪人の居住まいだが、独房内には一通り家具が整っている。書き物机には夜も閃き尽きせぬためか、『ホーム』同様書き殴られたメモが散乱していた。
「承知しているよ。って言うか、囚人が飲酒なんて聞いた事無いけど」
「ああ、こいつか」半分程になったカップを振り、「手伝いに来ている学者連中とちょっとした賭けをしてな、巻き上げてやった。もう一本あるぞ。飲むか、爺?」
「謹んでお断りするよ」
相変わらずだな、この女は。
「そうだ。本題に入る前に一つ、君に伝えなきゃいけない事がある」
「何だ、とうとう毛が生えたのか?」
ゲラゲラ。ったく、相変わらず息をするように下ネタを飛ばす女だ。こんな奴が罷りなりにも一児の母かと思うと、暗澹且つ愉快な気分になる。それでもメイド病死の件を告げると、珍しくしおらしい表情を浮かべた。
「そう、か……ま、一人位は欠けると覚悟してたさ。何せ十五年、赤ん坊が高校生になっちまう程の時間だ」
そう言いつつ窓の向こう、星空に昇る三日月に杯を掲げる。
「なら、今日のこいつは差し詰め弔い酒だな―――乾杯、ランファ。我が親友にして相棒よ、どうか安らかに眠れ……」
その静かな追悼儀式を間近で見つつ、僕は自分が殺した仇の顔を思い出していた。生前の彼女は常に大勢に囲まれていた。きっとその中には涙を零し、悲しむ者もいただろう―――仮令それが彼女個人にではなく、奪い去られた技術に対してだとしても。
(所詮奴は器に過ぎなかったんだ。『彼女』と違い無価値な、空っぽの入れ物……)
「ところでビ・ジェイの奴は元気か?」
予期せぬ質問に、ああ、現実へ戻った僕は反射的に答えた。
「養子の息子を留守番にして、暢気に旅行中さ」
「ほう……ま、餓鬼を引き取るなんざ、如何にもあいつのやりそうな事か」
口調に籠められた親愛の情。そこから単なる元患者と主治医よりも深い絆を感じ取るのは容易かった。
残った酒を啜り、カップを置く囚人。
「で、まさか近況報告が目的じゃ無いだろ。わざわざこんな所までお越し下さった、本命の用件は何だ?」
「その前に一つ。君、外の情報はどの程度把握している?」
「閲覧が許可されているのは、研究に必要な専門書や論文だけだ。タイムリーな話題には疎いぞ」
「了解。―――現在外界で起こっている、ある連続殺人のプロファイリングを頼むよ。『ホーム』にいた頃、よく皆の前で新聞を見ながらやっていたみたいにね」
本人曰く医大時代、ほんの二、三冊専門書を齧った程度の知識らしい。が、それでもかなりの精度で犯人の特徴を言い当てていた。病理細菌学の天才にはプロファイラーの才能もあったと言う訳だ。
「フン、さぞや面白い事件なんだろうな。こう見えて私はグルメだぞ」
封筒を手渡されたメアリーは、舌なめずりしつつ書類を取り出す。
「御期待には添えると思うよ。と言うか、やってもらわないと正直こっちが困るんだ。大切なお兄ちゃんの命が懸かってる」
「ふーん……人を舐めくさったお前がそこまで必死って事は、さては余程良い男か」
「ああ、宇宙で一番素敵な人だよ」
「ふむ、実に興味深い」パラッ。「十五分貰うぞ。その間に社会見学でもして来い」
OK。後見人の指示通り、僕は静かにその場を後にした。