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「あー、疲れた……」
僕の部屋に戻るなりべたーん、ソファへ腹這い。その口端には先程たらふく食べたカレーのルウが付着したままだ。
「噂には聞いてたけどあのアダムって兄さん、本気で動物好きなんだな」
毛並みをペロペロ。
「撫でられたのは凄え気持ち良かったんだけど、良過ぎて逆に疲労感が……」
「ま、あいつ飽きっぽいからね。二、三日もすれば止むさ」
それにあれで“蒼”は中々に勘が良い。人間だと気付く方が早いかも。
「じゃあさ、食事中に掛かってきた電話は?母さんの話じゃあいつ、確か人間嫌いの筈だけど」
へえ。あの無口な弁護士も、愛息相手にはそんな普通の話題を振るんだ。ちょっと意外。
「ああ、彼は天城 寅。アダムの同級生で『あれ』の、ね」
「や、やっぱそうか……」
わざとニタつきながら説明すると、思った通り奴は曲解してくれた。ちょろい。
「フリーの獣医をやっているんだけど、ここ最近は毎日新しい職場の件で電話して来てる」
「成程。そいつはうってつけの口実だな」
得心から頷く客を尻目に歯を磨き、早々にパジャマへ着替える。それからソファに戻り、資料の再検分作業へ。
「けどさ、ジョシュア。今日の捜査は無駄足だったってあれ、本気でか?」
「ああ」パラッ。「ジケイド・ベーの身辺から、犯人の痕跡は一切見つからなかった。それだけ報告すれば充分だろ?」
内心の苛立ちから、ついムキな口調になってしまった。奴も微妙なニュアンスに気付いたのだろう。本当か?首を捻り、卓上のコピーを見やる。
「こいつに因るとあの子、ここ最近様子が変だったって」
「だーかーらー、それは事件と何の関係も無いの!はい、議論終了!!」
バンッ!叩いた拍子に紙が風圧に押され、机の全面に散らばった。わ、分かったよ、不承不承ながら鵺も納得。
「宜しい。ところでミト、君は一つ肝心な事を言い忘れてるぞ。―――その変身能力の件だよ。僕が救出した時にはズタボロながら、まだ一応人間してた筈だけど?」
仮令獣族の家系だとしても、こんな珍妙奇天烈なキメラが生まれるとは考え辛い。問い掛けに、ああ、これね、前脚で顔を撫でながら口を開く。
「最初に発現したのは退院して二ヶ月も経たない頃、だったかな?病院で検査しても純血の人間だって言われるし、母さんも散々手を尽くして調べ回ってくれたんだ。で、他の可能性を虱潰しにした結果―――お前等と同じ、稀少ウイルスのキャリアだって事で落ち着いた訳」
「でも精密検査は受けていないんだろ?ま、宇宙で唯一調べられるメアリーは獄中だけどさ」
感染源は不明だが、発症の一因は恐らく生死スレスレの虐待のストレスだろう。心身共に回復し、ようやく症状が顔を出したって所か。
「で、あの弁護士、僕等みたいな格好いい二つ名は付けてくれたの?」
「勿論。“カナリア・アンノウン”(黄の正体不明)、それが俺に寄生したウイルスの名前さ。と言ってもここ四、五年は半日この姿でいないとすぐに熱が出るし、完全な鵺になっちまうのも時間の問題かもな」
「随分と暢気だね」
「だって本当にウイルスのせいだとしたら、罹ってるのは宇宙で俺一人の可能性大なんだろ?ワクチンが存在する筈も無えし、諦める他仕方ないさ」
溜息。
「夢とかも特に無いし、母さんの傍にいられれば充分だよ。仮令どんな姿になっても、あの人だけは絶対俺を捨てたりしないからな……」
人情話には興味無いが、その点は僕も同意だ。真面目一辺倒なあの弁護士が、一度引き受けた役目を放り出すとは凡そ思えない。
「それに四つん這いも、慣れれば人型よりずっと楽だしな。裸でも誰にも怒られない上、可愛い子達からおやつまで貰えるし」
成程。ヒモ男には打って付けの異能って訳だ。
「ところで明日はどっちで来たらいいんだ?聞き込みならイケメンバージョンの方がオススメだぞ」
「ああ、それで頼むよ。明日は最初に事件のあったイレサへ出掛けるつもりだ。朝八時、船着場で待ち合わせしよう」
「了解。んじゃ、俺はそろそろ帰るぜ。御馳走さん」
膨れた腹の割にピョン!軽快にソファを跳び降りるゲスト。玄関口まで行った所で、そう言えばさ、首だけで振り返る。
「このマンション、出る時もセキュリティカード要るのか?」
「いや、帰りはフリーだよ。でもその姿だと自動ドアが作動しないだろうから、廊下の先にある非常階段を降りるといい。鍵は開けっ放しにしてあるから」
「無用心だなぁ、まあいいか。―――んじゃお休み、ジョシュア。また明日な!」
「遅れるなよ」
器用に前脚でノブを開け、廊下へ去る様を見送る僕。まだ温もりの残るタオルを敷き直しながら、やっと訪れた静寂に耳を澄ませる。
(やれやれ。でもあの若造、ちょっと会わない間に随分とお喋りになったな……新しい同胞、か。さて、どのタイミングで皆に伝えるべきかな……)