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 カチャッ。「―――少し外の空気を吸ってくる。兄長は気にせず眠っていてくれ……」


 隣で眠る右手に長さ約十センチ、青銅製の鍵を握らせながらそう告げる。そのまま音を立てないよう、慎重にベッドを降りた。途端ズキッ!分厚く巻かれた包帯の下からの脳天まで響く激痛に、思わず生理的な呻きが漏れた。

「……ン………?」

「大丈夫だ、心配無い」

 眠りから覚めかけた裸の上半身に、そっとシーツを掛け直す。血統のお陰か、還暦を超えた彼の皮膚も下の筋肉も、尚二十代並の張りと艶を保っている。私も外界では大概若造りだと言われたが、純血の兄姉達には及ばなかった。

 消毒薬と寝汗、少量の血液で汚れた寝巻きを脱ぎ、椅子の上の白いカンフー服に着替えた。眼前の壁に掛かっているのは、五龍城の屋上から描かれた都の風景画だ。写真と見紛うばかりの精密さと、淡い油性絵の具の色合いが見事の一言に尽きる。左下の署名は唯一文字―――白、と。

(折角戻って来たんだ。今度モデルを頼まれたら引き受けないとな)

 白哥の画才は後天性、耳介切断に伴う脳炎が元で発現した。性格らしからぬ繊細な趣味だが、本人も暗殺の次に気に入っているらしい。

 一昨々日彼の部屋を訪れた際も、嬉しそうに不在時の作品を見せてくれた。風景画は主に都。人物画は当然ながら、新しい家族の物が多かった。

(しかし、あぁ……そうか)

 彼の芸術家にも一応拘りがあり、人物画には必ず二人以上のモデルが必要だ。想像でも一応は描けるそうだが、矢張り直接観察する方が筆が乗るらしい。そして、私と一番構図的にバランスが取り易いのは、

(……まぁ、余程忙しくなければ断らないだろう)

 寝台に目をやった後、気配を殺して部屋を出た。

 骨折を庇いつつ、階下への廊下を進む。数歩行った所で、ズボンのポケットがカサリ、と鳴る。無傷の手を差し込むと、一通の茶封筒に触れた。


―――鎮痛兼化膿止め。


 表紙の流麗な筆跡は、よく見知った物だった。封を切ると、中身は茶褐色の丸薬が四粒。

「あの人も大概心配性だな……だが、有り難い」

 正直手の甲が熱を持ち、ジクジクと疼いて辛かった所だ。早速口に含み、乾いた咽喉の奥へと押し込んだ。



 代々の増築に次ぐ増築で、外界基準では立派な違法建築物と化す五龍城。その狭く入り組んだ上、時折謎の階段が出現する通路を進む事五分。ようやく一階食堂へ到着した。


「あ、青姑母チングームー!」「もう起きて大丈夫なのですか?」「ああ」


 私の出現に、円卓で使用済の茶器を片付けていた、秀麗なる結合双生児が同時に振り返る。今年で十三歳だと聞いたが、“龍家”は早熟遅老の血筋。見た目は既に十七、八と言った所だ。

 娘達の名前は火猫ホォマオ氷猫ビンマオ。赤姐と兄長を両親に持つ、純血の“龍家”だ。

 初めて彼女達に会った時は心底驚いた。外界にも彼の症例はあるが、成人まで生存するケースは極稀だ。まして医師不在のこの都では、奇跡としか言いようが無かった。

 向かって左側(つまり本人達から見れば右側)、陽人格の火猫が名前通り燃えるような赤い瞳を細め、良かった!人懐っこい笑顔を浮かべた。

「パパ、じゃなかった黄龍様が運んで帰って来た時は、本当土気色の顔だったんだよ。ねえ、氷猫ちゃん?」

「ええ。手当てを終えた赤龍様も、一晩中部屋で泣いていましたし……姑母。その腕、吊り下げた方が楽だと思いますよ。宜しければ、私と火猫で処置させて頂きますが」

 そう冷静に提案した右の陰人格は、澄んだ海色の瞳を翳らせた。どうやら持ち前の高い感受性から、私の痛みに共感してしまったらしい。

「ああ、是非。いや、先に水を一杯頼む」

 早速差し出された生命の象徴が乾いた咽喉を潤し、薬を無事胃袋まで運ぶ。すぐに効いてくれるだろう。

「それと二人共、迷惑を掛けて済まなかった。兄長達に怒られはしなかったか」

 一昨日の昼、脱出のため故意に時間の掛かる用を頼んだ件を謝罪する。

「いえ」

「怒鳴る暇も惜しいって感じだったもん、パパもママも。あ、また言っちゃった!」

 仮令実の親子であろうと、“龍家”では役職で呼ぶのが規則だ。とは言え、話す限り姪御等の両親もそう五月蝿くは言っていないらしいが。 

「私なら別に構わないさ。外界では愛称が一般的だ。一同に会する時さえきちんとすれば問題無い」

「さっすが青姑母優しい!まだ会って一週間だけど、私だーい好き!!」

 ウインクの拍子に、双子専用に縫製された翡翠のチャイナドレスの左袖からにゅう、頭を覗かせる白蛇の幼体。赤酸漿の如き眼をキョロキョロさせる小動物に、そこから出ないでっていつも言っているでしょう、腕の所有者が嗜めた。

「キーキー」

「もう!何とかしてよ火猫、邪魔で仕方ない」

「駄目よ、プリンちゃん。氷猫ちゃんが嫌がってるでしょ?」

 伸びた女主人が額をちょんちょん、人差し指で突く。しょげた毒蛇は素直にすーっ、袖の奥へと消えて行った。襲名前でも流石は“龍家”の人間。調教はお手の物だ。 

(最初は暗殺など無理だと思ったが、この子等が生まれてきた意味は、別の所にあるのかもしれないな……)

 誰に教えられたでもないだろうに、双子等は実に向学心旺盛だ。特に外界への好奇心が非常に強く、二人の部屋には近代の書籍が所狭しと本棚に詰め込まれていた。かく言う先程の名も、火猫がお気に入りのスイーツ事典を読んで付けたそうで。

(新時代、か……)

 生前、よく父が話していた。“龍家”は五龍都、そして家業から解放されるべきだ、と。そう、酷く辛そうな顔で……。

 生憎三角巾が見つからなかったので、似た寸法のテーブルクロスで代用。息の合った動きで患部を固定してもらう。これなら歩行する分には問題無いだろう。

「上手だな、二人共。ありがとう」

「いえ、所詮付け焼刃の知識ですから……」

 耳まで真っ赤にし、照れる氷猫。純情さに苦笑しつつ、ご飯はどうするの、青姑母?相方が尋ねる。

「お粥ならすぐに用意出来るよ。飲茶は小一時間待ってもらわないといけないけど」

「いや、少し散歩しに降りて来たんだ。―――大丈夫、東門の鍵は兄長に預けてきた。それに片腕で走破出来る程、外界への道程は甘くないし、な……」

 都の四方を取り囲む登攀不可、難攻不落の四龍門。その東西南北の鍵を代々の対応者が、マスターキーを黄龍が所有している。つまり我々をどうにかして欺かない限り、都民にこの街を脱出する手段は無い。

 しかし、ある意味その方が幸せなのかもしれない。外へ続く唯一の坑道は、道を熟知した私でさえ傷を負う程苛烈な物。まして知識も体力も無い一般人では、暗闇に巣食う蝙蝠や毒蛇達の餌になるだけだ。

 私の返事に、御供致しましょうか?提案する氷猫。

「一人で少し考えたい事があるんだ。心配しなくても暗くなるまでには帰るさ」

「……分かりました。では、一応こちらを」

 渋々承諾し、小鬼用の人型式符を差し出す。

「青姑母には未だ力及びませんが。もし道中、具合が悪くなりましたらお使い下さい」

「ありがとう」

 半分に畳み、空の封筒とは反対側のポケットへ仕舞う。多少皺にはなるだろうが、破れさえしなければ効力に支障は無い。

 出発の挨拶をし、玄関へ向かう。と、火猫が大きく、氷猫が小刻みに腕を振って見送ってくれた。


「帰って来たらまた外のお話してね、姑母!」「お気を付けて」「ああ、行って来る」




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