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同席者が一人増えたものの、即座に知った顔と気付いたらしい。窓の外を眺めていた客人は、極細の片眉を軽く上げただけだった。
「紹介がまだだったね。息子のロウだ」
「三日振りだな、蜘蛛女。その節はどーも」
挨拶後窓際で彼女の斜め前、私の左側に浅く腰掛ける。制服に隠された身体には緊張感が満ち、何時でも臨戦態勢に突入出来る構えだ。
今日の日替わりメニューのメインはトンカツ。そこに白米と味噌汁、夏野菜のサラダ付き。私は割り箸を取り、それでは頂こうか、睨み合う二人へ交互に視線をやりながら言った。
「さ、二人も冷めない内に」
「チッ。……頂きます」
「我吃了」
そしてしばらくテーブルには、咀嚼と食器音のみが響いた。淡々とトマトを口に運ぶ客人に対し、育ち盛りの息子はガツガツと炒飯を掻き込む。その隣で私は爪先程の芥子をサクサクの衣に乗せ、少し冷めた豚肉を味わった。
メインを食べ終えた彼は、続いてスープと餃子に取り掛かる。と、レヴィアタ君達からの連絡待ちなのか、左手で携帯を取り出した。画面を注視しつつ、皿に残った最後の一個を箸で探り―――一向に無い感触に、不審げに顔を上げた。
「あ、手前!?」ぱくり。「おやおや。こちらの料理が中々だったので、期待してみれば……何ですか、このふやけた上に不味い代物は?」
平然と餃子を掠め取った暗殺者は、狂気の片眼を開きつつ被害者を牽制。
「こんなゴミを“龍家”の円卓に並べたが最後、料理人は即斬首ですよ」
「冷凍なんだから我慢しろ!ってか、そもそも人の飯を盗るな!!」
「狩られる分際に所有権など無いと知れ、小童が」
「何だと!?大体、手前の飯だって親父の奢りだろーが!」
「まぁまぁ、落ち着きなさいロウ」
宥めつつ周囲を確認。一応激昂の声を潜めてくれたお陰か、幸い喧嘩に気付いた人間はいないようだ。
「黒龍も謝ってはくれないか。都では特権階級でも、外界には外界のルールがある」
「……対不起。以前連れて行かれた店は絶品だったので、つい」
「ケッ!今ので手前等に仕えるコックが如何に可哀相かよーく分かったよ。こんなグルメが後三人も控えているんじゃ、気の休まる暇が無え」
悪態を吐きつつも、どうやら気は済んだようだ。一層の警戒を行いながら、デザートを口に運び始める。
「ところで黒龍。是非一つ訊きたいのだが、五龍都の教育制度はどう言った風なのだね」
仮令閉鎖都市でも大勢の老若男女が暮らす以上、ある程度の基礎教養は必要な筈だ。
ところが彼女は首を横へと振り、ありません、心底興味無さげに呟いた。
「『あの』愚民共に勉学など、時間の無駄です」
「無駄にはならないと思うが、しかし……仮に学校が無いなら、子供達は親御さんから直接読み書きを習う、と言う事かい?」
私が師から夜毎教わったように。
「字が読めぬ者など、都には存在しません。存在する摂理が無い」
「は?じゃあ何か。手前のトコでは、生まれたばっかの赤ん坊が本を読むのかよ?んな阿呆な」
バンッ!!「あんな呪われた地に、生などあるものか!!」
狂眼を現し激昂した黒龍は、焦りから瞼を閉じ、首を小刻みに横へ。
「所詮お前達は狩られる側。無力な好奇心は身を滅ぼすだけだ」
「黒龍……しかし」
「無益な話は仕舞いです。それより私には不思議でなりません、コンラッド・ベイトソン。あなた程の使い手が何故技の研鑚に努めず、後進の世話などと時間の浪費を?」
食後の茶を啜りながらの、やや強引な話題転換。私は数秒悩んだ後、徐に答えを口にした。
「そう、だな……この世界へのせめてもの恩返し、かな」
師や『ホーム』の皆に与えられた物を、未来ある子供達に少しでも還元出来れば。そう思い、私は呪わしい財で以ってラブレ中央学園を建てた。経営に必要な知識を一から学び、設立後も勉強の毎日。正直未だ至らない点は多いが、通う生徒達の笑顔が何より雄弁な到達点だと思っている。
「それに私は、『ホーム』やこの子の父親代わりだからね。武芸ばかりに拘ってもいられないよ」
「下らない。折角の才をフイにしています」
「かもしれないね。しかし少なくとも、自分の優先順位には忠実な心算だよ」
つーか、武道ばっかってつまんなくね?スプーンを置き、お冷で口内を濯ぎながら指摘するロウ。
「もっと楽しい事一杯あるじゃん、色々。あんただって、仕事も修行もしていない時位あるだろ?」
ぶっきらぼうな質問だったが、何かが再び彼女の琴線に触れたらしい。シャープな顎を心持ち上げ、外の樹々へ視線を向けた。
「それにこう見えて私は一度、素人に負けているからね。君が思う程大層な男ではないのだよ」
「えっ!?マジかよ?」
彼にですか?驚愕する息子を指差す。
「いや。この子が生まれるずっと前の話さ」
苦笑。
「それよりも、あれから私なりに占術を少し勉強してみたよ。しかし使われている単語自体が中々難しくてね。と言う訳で、君と対等に語り合うにはまだまだ時間が掛かりそうだ」
一応司書に一番簡単だと勧められ借りたのだが、経済学などより余程難解だ。流石専門職になるだけの事はある。
勤勉ですね、先達はテーブルの上で真っ白な両手を組む。口調こそ平淡だが、語尾には微かに喜びが表れていた。と、湯呑みを置き、今度は右手のみでトレーを持って席を立つ。
「―――御馳走様でした。そろそろ私は行きます」
「もう帰るのかい?」
「ええ、人と待ち合わせをしているので。良い暇潰しになりましたよ」
礼を述べ、空いた左手で右袖を探る。
「にしても、選りにも選ってこのような物を欲するとは……正真正銘の奇人か、或いは……」
訝しげな台詞を最後に、暗殺者は足音一つ立てず食堂を後にした。