夜明け前までに
「やたらに痛むんだけど」とバーボン片手に首をひねりながらレイコが言った。
「何が?首?」と私は聞いた。レイコは、こちらを見据えて
「心がだよ。」言った。
一連の悲劇というか喜劇と呼んでも良いような失恋の話を聞き、また彼女は傷付いてるのだろうなと案じた。
私は上手いアドバイスが出来ないからとりあえず景気付けに言った。
「今夜は飲むしかないね、それも日が昇るまで」と。
レイコは酒が好きだし酒を飲んで酔い、その間は悩みを笑いに変えるパワーがあるから大丈夫だ。今は傷付いていても根が能天気だから人は彼女をスーパーポジティブだと信じて止まない。
一連の話はこうだった。レイコは最近ある男に恋をしていた。ある男もレイコに好意をよせていたらしく二人で会うようになっていった。男はレイコに
「俺も毎日一人だ」というようなことを言っていたらしい。これを聞いてレイコは彼には彼女がいないんだと思ったようだ。自分は誤解していたんだと自らを戒めたらしい。でもレイコは、それまでは
「この人、彼女いるんじゃないかな」って思ったことは有ったらしい。どうしてか私が尋ねるとレイコは
「女の勘だ、そういう勘は百パーセントじゃなくても結局は当たる」と言った。
問題が起きたのは数日前のことらしい。近所の喫茶店にレイコがコーヒーをすすっていたところ近くのテーブルに彼の後輩と彼が座った。すりガラスの仕切りのせいで彼らはレイコに気が付かなかった。彼の後輩が
「十年も続くなんて凄いっすよ。俺なんてそんな続いたこと無いなあ。」と言うのが聞こえてレイコは嫌な予感がした。間違いなく仕事の話ではないだろうと。彼は曖昧に
「十年なんてあっという間だよ」と答えたらしい。そして後輩はレイコをハンマーで殴るも同様のセリフを吐き出した。
「しかも先輩来週からハネムーンじゃないですかー。俺もいつか『ハネムーン行く』とか言ってみたいなぁ。あ、先輩ハネムーンどこに行くんでしたっけ?」と。
レイコは言う。
「彼に彼女がいたとか、そんな話だったらどうってことは無い。けど『好きな男は只今ハネムーンに行ってる』なんてのは流石にパンチが効き過ぎてて冗談にもほどがある」と。私は内心レイコは『ダイハード』のブルース・ウィルス演じる主人公よろしくツイテないと思ったが口には出さなかった。
そして彼から
「来週からダンスの勉強でタヒチに行ってくる」と聞いた。レイコは、わざと
「何ダンスの勉強?」と尋ねると彼は目を泳がせた後
「タヒチで今流行りのベリーダンスとフラダンス」と答えたそうだ。彼はロッキンというジャンルのダンスの講師をしている。ロッキンとベリーダンスは踊りとは言え無縁と言っても過言じゃないし、フラダンスをしたいならハワイ行けという話になる。
きっとレイコは彼が新婚の話を隠していたことよりもその嘘の付き方の下手具合に、はらわたが煮えくり返そうなのを大そう堪えたことだろう。
私が
「男がヘソ出して腰振りながら踊んのか。帰国したら『練習の成果見せて』って言ってベリーダンスしてもらうよう頼むといいよ」と笑うとレイコは爆笑した。
「帰国しても彼にはもう会わない。ベリーダンスを想像したら萎えた。新婚だから会わないんじゃないよ、萎えたんだ。何故想像出来なかったんだろう。想像してたら、やけ酒じゃなくて今頃大人しいのを飲んでたかもしれない。」と言うレイコに私は、いたずらっぽく言う。
「大人しい酒?いつもロックスタイルかストレートで飲んでるあんたにそれは無いな。」
レイコが彼にはもう会わないと決めた理由が本当にどっちなのかは分からないけれど、どっちでも良いと思う。彼女の線香花火のような、或いは線香花火よりも短いような恋は今きっと幕を閉じた。きっと爪痕を残す間も無く。まだ夏が終わらない内にきっと彼女は誰かとまた恋に落ちるだろう。
私は親友の恋が次は線香花火ではなく夜空に登って輝く打ち上げ花火になることを密やかに祈っている。
ショットバーを出ると私達は同時に目を細めた。本当に『日が昇る』まで私達は飲んでいた。
まだ新しい一週間の始まり、月曜日の朝だ。週末じゃなかったことに気付く二人。私達はフッと笑った。