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虚言の果て  作者: 川乃 
第一章:下山
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第四話

 

 真がいなくなってから毎日自分が何をして過ごしたのか次の日になると全く覚えてなかった。

 一日のほとんどを家の事をして過ごし、外にはほとんど出なかった。

 友達からの誘いを断り続けていると、だんだんと誰も誘ってくれなくなった。それでもいいや……そう思っていた。

 父さんは何にしても気力のない私をそっとしておいてくれた。何も言わないでおいてくれた。

 私の周りで真の話題が出ることは一切なかった。

 ある日、畑で働く父さんにお昼を届けに行く途中、おばちゃん達が数人固まって話しているのがたまたま聞こえた。

 『どこどこの誰々が山を降りようとしていた』と言った話だった。

 真が村を去ってから、特に成人に満たない若い男の子達が真の後を追うようにして数人村を去った。

 ある人は死体となって、またある人は体の一部のみが猪爺によって発見された。

 運良く戻って来ることが出来た人はしばらく寝込む羽目になり、恐怖の体験を周囲に語って聞かせ、皆を震え上がらせていた。

 発見された体はどれも真ではなくて、私は悲しい知らせがある度に声を上げて泣いた。

 父さんが何も言わずに私が泣き止むまで背中を擦ってくれた。


 暑い季節が過ぎ、寒気で体が震える季節になると、ちらちらと白い雪が舞うようになった。

 ある朝。家の扉を開けると、村は真っ白に覆われていた。


「きれー……」


 まだ朝の早い時間だったから誰の足跡もついてなくて家の周りを訳も無く夢中になって歩き回って足跡をつけてみる。

 もっと大きな場所に行ってみようかなと思って広場に行ってみると案の定、真新しい雪には誰の足跡もついていない。

 真剣になって一歩一歩雪を踏み締めていたら――頭の後ろで雪玉が弾けた。


「あっ、やべ! 真弥だ!」


 五歳から八歳くらいの元気のいい子達がいつの間にか広場に集まってきていた。

 家が近い子同士達だから広場まで来る途中、雪合戦をしてきたのだろう。皆の体は雪の粉で白かった。そして投げた一玉がたまたま私に当たったのだ。


「ご、めん……わざとじゃ、ないんだ、ぜ」


 一番年上の男の子が、その雪玉を投げたと思われる年下の子を庇って背後に隠した。

 いつも私に憎まれ口ばかり叩く子なのに――今日に限って大人しいなんて……

 謝ったところなんて見たこと無いし……私、恐れられてる?

 そう思ったのは、後ろに隠された男の子の足が震えていたからだった。

 

 真がいなくなってから皆と遊ばなくなり、村の人とも必要以上に口を利かなくなった。

 身なりにも気を使わなくなったし、髪は手の施しがないほど伸びてうねり、顔もなんだか青白い。見た目だけだったら、化物そのものだ。


 私、こんな小さな子を怖がらせるなんて。なにやってんだろ。

 もうそろそろ、こんなの止めないと。

 一人で嘆くの、止めないと。

 皆が気を遣ってくれてるのなんて分かってるのに。

 それに甘えてしまってる。自分がとっても不幸だと皆に知らしめた挙句、皆は私を腫れ物に触るようにして離れてしまったんだ……


 かじかむ指で足元の雪をすくって大きな玉を作ると、私は目の前の子の顔面に向けて思いっきりそれを投げつけてやった。それが見事に男の子の顔に命中。周りの子達からは笑いが漏れた。

 怒ったその子がまた私に雪玉をぶつけて来て――私達はあっという間に雪合戦に突入した。

 汗をいっぱいかいて、皆で笑いあった。

 心から楽しい、と久し振りに思えて、嬉しかった。


 そうやって少しずつ元気だった頃の自分を取り戻しながら――――三年の月日が流れた。




 私はまた赤い実の木の下に来ている。

 少なくなっていた幸運を呼ぶ赤い実はこの三年でまた数を減らし、今年はとうとう実がならなかった。

 だから、この山へ登る規制も今年から解かれた。


 ここは真と来て赤い実を半分個して食べた思い出の場所の一つでもある。

 私は木を見上げて、幹に背を預けて座った。

 眼前に広がるのはどこも緑。

 そしてあの緑の向こうには真がいる――――


「真、あのね……」


 ここに来るのは真とおしゃべりをするため。

 山の頂上でなら村で出すことが出来ない名前を遠慮無く口にすることが出来るから。


「私、来月、一六の誕生日だよ」


 生暖かい風がするりと髪の間を抜ける。


「もうすぐ、成人だよ、私」


 地面の草をちぎって投げる。近くにいた緑色をした虫が怒ったように羽を広げて、私の膝に止まる。捕まえようとするとまた飛んでどこかへ行ってしまった。


「約束したよ、真。覚えてる? 私、一六になるんだよ」


 私は地面に横になった。手足を広げて息を思いっきり吸い込んで吐く。


「学さんと純がね、とうとう結婚したんだよ。純、とっても綺麗だったんだ……。学さんはね、緊張しすぎて、途中で倒れちゃったの。ふふ……可笑しいでしょ? あの二人は私達と同じ頃から許嫁同士だったねー。でも純の誕生日の方が早いしね。あの二人が先でもおかしくないよね」


 返事が来ないのは分かっているけれど、私はほんの少しだけ期待して、待ってみる。

 やっぱり何も返っては来ない。


「私ね、皆にああやってお祝いされる結婚もいいけど……こうやってここで、この木の下で二人だけで誓い合うのもいいかな、って思ってるの。ねぇ、真。どう思う? いいよね? だって真、照れ屋だもん。真っ赤になった顔、学さん達にからかわれるの昔から嫌だったしね」


 真の真っ赤になった顔を思い出して私はくすりと肩を震わせた。


「約束だよ……約束って言ったよ? 来月なんだよ……真」


 村を出て行く時、真と交わした約束は三年。真の前に山を降りた赤さんに至ってはもう六年になる。

 生きていて欲しい。帰ってきて欲しい。

 大声で叫びたくなるのを私はぐっとこらえ、言葉を飲み込んだ。





 誕生日の前日、長と恵さんが二人で我が家を訪ねてきた。

 恵さんはまだ温かい夕食のおかずが入った籠を持ち、長はお酒の樽を抱えてきた。


「仁と真弥に話があって来たんだ」


 二人が一緒の時に会ったのは久し振りだった。

 恵さんには真がいなくなってからも頻繁におかずやお菓子などをもらっていたからその度に会っていたものの、長とこうやって面と向かう機会は少なかった。たまに外で見かけることがあっても、挨拶程度で私は敢えて長の顔を見るのを避けた。

 真の顔と重なって見えたからだ。

 二人の凛々しい眉や、力強い瞳はとても良く似ている。

 声に至っては時々真が話しているように聞こえることがあって、はっと振り返ってみるとそこには長の姿。この後、私は一人で落ち込んだ。


 卓に載った恵さんの美味しそうな料理とお酒を囲んで私達は向き合った。

 隣に座る父さんが膝の上に載せた私の手にそっと自分の手を重ねてにこりと微笑んだ。


「真弥。明日は一六の誕生日だったな」


 長の顔が崩れて、少しだけ笑顔になった。それに私はほっとする。


「はい」

「一日早いけど……明日は皆でお祝いなんだし……今日は私達だけで、と思ったのよ。急におしかけてごめんなさいね」

「いや、俺達もそっちに行かねばならんと思ってた所だ。恵、ケン、ありがとう」


 父さんが頭を下げると二人も同じようにして頭を下げた。私も慌てて、頭を下げた。


「二人共、なんで俺達が今日来たか、うすうす勘付いているとは思うが――」


 長が口ごもる。続きが言い難そうでちらりと恵さんに視線を向けると、恵さんは真に似た優しい笑顔で長に頷いた。

 二人がぎゅっと手を握り合ったのが見えた。


「真と真弥の婚約のことだ」

「……それが何だ?」

「仁、約束では真弥の成人の日を待ってから二人の結婚を、ということだった。その日が明日だ。だが、肝心の……真が居らぬのだ。情けないことに」

「二人でそれでもあと三年あるし、待ってみよう……と思ってきたのだけどね、仁さん、真弥ちゃん、ごめんなさい。約束は――」

「まだ一日あります! それに、それに――」

「真は帰ってくると約束した、そうだな、真弥?」


 父さんが私の手に力を込めた。それに私も力を込めて返す。

 やっぱり私の父さんだ。

 私と同じように、真の事を信じてくれている。


「はい」


 私は力強く頷いた。

 恵さんは一瞬笑顔になったけれど、隣に座る長はさらに眉間に皺を寄せた。


「仁、真弥。真は戻らない、かもしれないんだ。これ以上息子のせいで真弥を縛りたくないんだ」

「何を言うか、健。縛っているのはお互い様だ。それにもう……こいつらは大人なんだ。俺達がとやかく言う必要なんてないんだ、そうじゃないか?」

「しかし……」


 長は腕を胸の前で組んで怖い顔をさらに険しくさせた。


「長……。私、真を待ってます。明日かもしれないし、あさってかもしれないし、もしかしたら一年後かもしれない。でも、真は守られない約束は初めからしない人です。その真が帰ってくる、と言ったのだから……帰ってくるって、そう信じて待ちたいんです」


 私は息継ぎをして三人を交互に見た。


「そりゃ、真が出て行ってから随分落ちこんだけど……今は前を向いてる……つもり。素直に心から待てる、と言えるの、私。ここまで頑張ったんだから……私、もうとことこん待ちます!」

「真弥ちゃん……」


 恵さんが目の端の涙を袖で拭ってそっと私の隣へと膝を滑らせた。


「ありがとう……ありがとうね」


 お礼なんていらないのに。

 こうやって私の事を心配してくれる二人に私の方が感謝したいくらいなのに。

 いいんです。

 友達がどんどん成人して結婚していっても……一人ぼっちになったって私は真を待つって決めたんだから。

 だって心から好きで一緒に居たいと思える人は真しかいないんだから。


 私達は少し冷めた料理を笑いながら食べた。

 父さんに初めてお酒も少しだけついでもらって一気にぐいっと飲み干した。

 喉が急に暖かくなってむせたけど、まずいとは思わなかった。美味しいとも思わなかったけど。


「おっ、けっこういける口か、真弥」


 ふわふわする頭の片隅で、真が帰ってくるまでにお酒に慣れて真をおどろかせてやろうかと思った。

 大人の女になって離れていた時間を真に後悔させてやるんだ。

 お酒に慣れるだけで『大人』かどうかは別として――――


 明日は一六の誕生日。とうとう私、成人です。






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