5話
「はぁ、ハァ……どこへ行ったあいつ……」
船内の通路で、一人の男が周辺を見渡しながら息を荒くしていた。
男の手には拳銃が握られていて、肩からは血を流している。
それが銃による傷だという事は明らかだ。急所は避けた為に大出血という程ではなかったが、片腕はどうやら力が入らないらしく、投げ出す様に垂れ下がっている。
しかも、痛みと出血と疲労で体には力が殆ど入っていない。今すぐ死ぬ、という状態ではないが、傷は傷だ。
それでも与えられた役目を果たそうとしているのか、それとも果たせなかった時の制裁を恐れているのか、男----コルムは周囲の様子を窺っていた。
「どうなってるんだよ……何だあいつら……カナエぇ、いい加減で戻って来いよ……」
不安さと、恐怖の入り交じった心底面倒そうな様な表情でコルムは呟いている。プランクの部下である彼が受けた役目は、『カナエを船内に運ぶ』、そして『カナエの監視』だ。
カナエの言動を思い出してみる限り、どう考えても無理のある役目だ。恐らくはプランク自身、対してカナエを制御する気がないのだろう。
が、コルムはその役目を結局は引き受けている。斬られた事を忘れてしまったのではない、誰もやりたがらなかったからこそ、プランクが適当に任じたのだ。
最初はまだ大人しくしていたのだが、出航してから数分経った時、カナエは耳を塞ぎたくなる恐ろしい笑い声と共に勝手に室内を飛び出して、消えていったのだ。
勿論、コルムもそれを追った。追いたくなくとも、追わずにはいられなかった。そして、途中で出会した集団に攻撃された。
どうやら何者かに返り討ちにあったのか、致命傷を負っていた為に撃退する事が出来た。が、代償として肩に傷を負ってしまったのだ。
「あぁクソ。痛ってえ……カナエあのクソイカレ女何処へ行きやがった……!」
愚痴を漏らしつつも、コルムは周囲を窺う事を止める事は無い。誰かが隣に居なければ、肩の傷を負ったコルムなど一瞬で殺されてしまう筈だ。
何とかしてカナエと合流しなければ、今度は『殺される』可能性がなきにしもあらず。危険な女だが、実力は人外のそれだ。コルムはカナエの実力だけは信用していた。
「……ん?」
そんなコルムの耳に、何者かの足音が響いた。
体が一瞬にして警戒の姿勢に入った事を、コルムは自覚する。足音は複数だったのだ、味方なら良いが、敵であればこの場でコルムは殺されてしまうかもしれない。
その為の警戒だ。銃は足音が響く方向に向けられ、いつ誰が現れても良いように準備をしている。もしも敵だった場合は即座に撃ち殺すために。
足音はどんどんと近づいてくる。が、まだ視界には入ってこない。
とりあえずコルムは銃弾がきちんと入っている事を確認して、利き腕ではない方で銃を構えている。利き腕は肩の傷が原因で力が入らない様に見える。
慣れない持ち方をした為に照準が効いていない。間違いなく、コルムは銃弾を外してしまう筈だ。が、それをわかっていても抵抗する意志はきちんと存在するのだ。
足音がすぐ近くまで、すぐ側の曲がり角まで近づいたのがコルムには分かった。後、数歩くらい動けばその人物は姿を見せるだろう。
どんな敵が現れようと撃ち殺す。そんな決心を定め、コルムは引き金に力を入れ----銃を降ろした。
「……お前かよ、探したんだぞ。ああ、プランクさんになんて言えば良いんだ」
曲がり角から出た来たのは、今の今までコルムが探していた、カナエと呼ばれる女だった。
相変わらず目は虚ろで、抜き身の刀が何とも恐ろしい。が、コルムも慣れた物でその部分には一切目を向けず、カナエの状態を確認する。
それまでのカナエとは決定的に違う部分があったのだ。それは仕立ての良さそうなスーツを着ている、という点もあったが、何より----そのスーツの裾や側面に血が付いている事だ。
恐らくは、誰かと交戦したのだろう。付いているのがカナエの血では無いという事は傷が無い事を見れば明らかだ。
「なあ、どこへ行ってやがったんだよ。お前が勝手に動いてくれたお陰で俺は殺されかけたんだぞ。いや、お前にも殺されかけたけどな」
何も言わず、ただ近くでこちらを見つめながら立っているだけのカナエにコルムは声をかけていた。
だが返事は期待していない様だ、まともな言葉を喋る所を一度も見た事が無いのだから、当然だ。
「……」
予想通り、カナエは何も言わない。言葉の意味は分かっていても、その質問に答える気は無い様だ。勿論、答える知能があるのかも疑問なのだが。
ただ無言でコルムを見つめるカナエの姿から知性は殆ど感じられない。むしろ、生きている事が疑わしいと思ってしまうくらいだ。これがもし演技なのだとすれば、大した役者と呼ぶ以外に無いだろう。
そんな感想を抱いたコルムだが、口には出さない。
下手に刺激を加えれば、今度は首に一筋の傷が付くだけでは済まないかもしれない。そう考えたとすれば口が動かなくなるのも仕方がないだろう。
「……? 何、だ?」
互いに黙り込んでいると、コルムはカナエが自分を見つめている事に気づいた。何かに見とれる様な顔だ。
だが、それがコルム自身を見つめている訳ではない事はすぐに分かった。何故なら、カナエが見つめる対象に心当たりがあるのだ。
そう、今でも自分に痛みを伝えてくる、赤く染まった肩が。
「お、おい。止めろよ、おいそんな目で見るな」
カナエがどういう意図を以てそれを見つめているのかは分からない。だが、禄な事ではないのは頭の中で鳴り響く警告音がはっきりと伝えてきている。
そうしている間にも、カナエは何かを見つめて近づいてくる。ゆっくりとした歩幅で、特に危険な態度を見せる事もない。だが、それがカナエだというのは問題だ。
「やめ、おい近づくなコラ。来るな」
ゆっくりと、ゆっくりと近づいてくるカナエに不気味で恐ろしい物を放っている、コルムはカナエから一歩退いて距離を取っていた。
が、カナエはゆっくりとした動きで更に近づき、ついには刀を僅かに持ち上げ始めた。
「やめ。来るなやめろやめろ!」
無言で近づいてくる姿に精神の限界を覚えたかの様に、コルムは悲鳴の様な声で叫ぶ。その時だ、カナエが何やら楽しげで、美しい笑みを浮かべたのは。
その時、一迅の風が駆け抜けた気がした。
コルムはやってきた衝撃に一瞬だけ目を瞑る。何が起きたのかは分からない。だが、目を開けるとそこにはもうカナエは居なかった。
「何!」
ほんの微かなの混乱を終えると、コルムはすぐに周囲を見回す。すると殆ど迷い暇も無く、カナエの居場所をコルムは見つける事が出来た。
「……コイツは!」
同時に、何が起きたのかをコルムは知る事になった。カナエが立っていたのは、コルムの背後から数歩離れた場所だった。
カナエの足下には血を流し、銃器を幾つか持った何者が倒れていた。血は出ていても何とか生きているらしく、息はしている。
コルムの背後に居て、手にナイフが握られている所から言って、それはコルムを襲おうとしていたのだろう。客室の中で機会を窺っていたからか、扉の一つが開いている。
そこでようやく、コルムはカナエが自分を助けた事を認識する事が出来たらしい。
「あ、ありがとよカナエ……」
----助けられた、思ったより……悪い奴じゃないのか?
口から礼の言葉がこぼれ落ちて、コルムは自分がカナエに偏見を持っていたのではないかと感じる。
そう、初対面で首を落とされかけた事から印象は最悪中の最悪だった上に、この雰囲気にこの表情だ。近づきたくない類の人間なのは間違いない。だが、だからと言って恐ろしいサイコキラーとは呼べないだろう。
一度助けられただけで印象を変えるなど愚かだと思ったが、同時に一度殺されかけただけで一つの印象に固執するのも、同じくらい間違いなのだ。
「……悪かったな、お前の事、人殺しが大好きな変態だと思ってた」
カナエへの認識を変える事にして、コルムはそれを言葉に出す。
言いながらカナエの顔を見つめていると、印象を変えたカナエの顔は最初に見た時と同様にどうしようも無く美しく思えた。
行動で美しい外見が台無しになってしまうとはいえ、カナエは芸術品と呼んでも差し支えの無い程の美女なのだ。
そうだ。コルムにとって、この時のカナエは女神に見えていた。
「くひっ、ひひっ、あひゃひゃヒャヒャハ! ま、真っ二つで、血、血血、血がいっぱいだよぉ……! し、ししあ幸せぇ!」
が、それはすぐに無かった事になった。
痙攣しながら喋ったカナエは転がっている死体同然の体に近づき、血溜まりになっている床を何度か触ったかと思うと、一度だけ床の血を舐める。
血溜まりに興奮し、頬を紅潮させる様はまるで吸血鬼だ。
----撤回する、やっぱりコイツはダメだ。
カナエとの距離がまた心理的に数歩遠ざかった事を自覚し、コルムは溜息を吐く。そうしている間にもカナエは自分の刀を愛おしそうに撫で回していた。
やはり、これまでのコルムの印象通り、カナエは『こういう』存在らしい。
----プランクは一体何を考えてこんな奴を……?
改めて、コルムは自らのボスの考えを疑った。
カナエは強く、確かに力を借りる事が出来ればかなり役立つ人物だ。が、彼女に頼るのはどう考えても無理がある。
何故、プランクは何時暴走してもおかしくない女を、コルムという見張りまで付けて船に乗せたのか。今更ながら、コルムは疑問に感じていた。
「何というか、変わった方ですね。あなたの恋人ですか?」
「誰が……ああいうのと恋人になれるのは余程実力があるか、余程の命知らずか、だ」
隣から聞こえてきた言葉にコルムが無意識の内に返事をしていた。言葉の内容自体は本心だ、一度本当に殺されかければ、大抵の人間は実感するだろう。
しかし、隣の男はからかう様な表情を崩さず、コルムに楽しそうな声をかける。
「しかし、こういう状況では心強いのでは? 吊り橋効果で惚れませんか?」
「まあな。だが惚れない、あいつは味方だろうが斬るぞ。怖くて近づけないんじゃ助けにならないしな」
困った様にコルムは肩を竦めた。
そうしている間にもカナエは蕩けきった表情で刀を抱きしめ、その刃で自分の体から血が流れる事を幸せそうに、だが苦痛に耐える様に眺めている。
「あぁあ、あのイカレ女は何を……あ?」
そんな姿を見て呆れと慣れを感じた事でコルムは周囲に気を回す余裕が出来たとばかりに、やっと気づいた風な表情になる。いつの間にか、一人の男が立っていた。
地味な色彩の服を着て、印象を持たせない地味な顔をしていて、それ以上に地味な雰囲気が漂っている男だ。写真家か記者でもやっているのか、大きめのカメラがその姿を鞄から覗かせている。
「……お前、誰だ?」
「ああ、挨拶が遅れてしまいました。私はアール・スペンサー、新聞記者をやっております」
警戒を込めてコルムが銃を僅かに持ち上げると、同じ様に新聞記者----アールはカメラを取り出し、僅かに持ち上げて自分の商売道具を見せつけた。
名前を聞いたコルムは、分かりにくい程度に目を見開く。それは、『Mr.スマイル』の記事を書いた記者の名前だ。
「へぇ、あんたがあのMr.スマイルの……こんな所で会うなんてな」
相手が本当に『アール・スペンサー』なのかを確認する意味も込めてコルムは声をかけ、そうしながらもアールの表情の変化を観察する事に集中する。
一般人の記者の真偽を見抜くくらいは、プランクの組織に居る物であれば誰にでも出来る技能なのだ。勿論、コルムもそれに含まれている。
「あなたもご存じでしたか! はは、やはり……あの記事を読んだ方は沢山居るのですね」
喜色満面、という言葉が似合う笑顔でアールはコルムの手を両手で握り、少し乱暴に握手をしてくる。
「あ、ああ。俺のボ、友達も知ったら驚くだろうな、あの記事を穴が開くほど読んでてさ」
思ったよりも素早い動きにコルムは少し戸惑った様な返事をする。が、あくまでその動きは一般人のそれだ。嬉しそうな顔からも危険そうな色は見られない。
だが、コルムは何故かその顔に見覚えがある様な気がしたのだ。最近見た様な、過去に見た様な。地味な顔はそれを記憶させない役目でも持っているかの様だ。
その為、コルムは聞いてみる事にした。
「どこかで会った事、あるか?」
「……? いいえ、ありませんが?」
何を言っているのか分からない、そんな表情で男は首を傾げている。何の違和感も無く、嘘の要素も欠片も無い。
気のせいだった様で、危険性も感じられない。そう判断したのか、コルムは握手を返しつつも警戒を緩める。その瞬間、新聞記者が別な意味を持つ歪んだ笑みを浮かべたが、コルムの視界には入らなかった。
「こっちはプラン……友達とはぐれちまったんだ。そっちは? まさか一人で来たって事は無いよな?」
ようやく刀を降ろし、虚ろな目でその場に立つカナエを眺めながらもコルムは何の気も無しに聞く。人数を確認する意味を持ってはいたが、それはあくまでついでだ。
危険性の感じられない、一般人にしか見えない新聞記者の姿に探りを入れる気はコルムには無い様だ。
が、その質問は聞かれたくない物だったのかアールは眉を顰め、面倒そうな顔で溜息を吐いた。
「……追われています」
疲れているというよりは、使われるであろう労力に向けて面倒さを見せたその表情。だが、コルムは気づいていない様に見える。アールの言葉にのみ集中していた彼には気づけないだろう。
「一体、何に? あんた新聞記者だろ、見てはいけない物でも見たのか?」
興味本位に見える顔でコルムは訪ねた。すると、アールは一層疲れた、だがどこか嬉しそうな顔をする。それは何かを企んでいる様でもあり、何も気づかないコルムを嘲笑している様にも見えた。
そんな彼らを後目に、カナエは刀を抱きしめ続けている。仕立ての良いスーツが血みどろで見れた物ではなくなっていたが、気にした様子は無い。
奇行を続けるカナエに何やら意味深げな目を向けたかと思うと、アールは困った様な笑みを浮かべて告げる。
「ええ、あなたの言う通りです。Mr.スマイルの記事を書いてしまったので……Mr.スマイルに追われているんですよ」
どこか嘘臭く、どこか本当の様なその言葉。少々のわざとらしさと、コルムにそれが読めない事を知っている侮りすら感じられた。
だが、コルムは信じたのだろう。納得が入ったとばかりに何度も頷いている。
「そうかそうか……なら、一緒に行くか?」
「何と、良いのですか!? ああそれは助かります!」
妙に大げさな喜びを示して、アールは笑う。
カナエが、無表情で新聞記者を見つめていた。
+
「あ、あいつ……あのクソ間抜けは……」
そんな彼らの姿を見て、プランクは珍しいくらいに頭を抱えてその場にうずくまっていた。
彼とスコットはこの時、幾つものモニターを前にして、椅子に腰掛けている。そのモニターの役目は簡単な物で、監視カメラの映像を映しているのだ。
その場は船員達が、引いては船長が出入りする船室でもある。そんな場所に出入り出来るのも、彼らがプランクの部下だからだった。
「あんな怪しい新聞記者を信用する奴がありますか……!? あいつは何て……ああ畜生」
自らの部下が居る目の前で盛大な愚痴をこぼす姿は本当に珍しく、船長やスコット、他の船員達は目を見開いてそれを眺めている。
画面の中では、新聞記者とコルムが楽しそうに話している。コルムはすっかり警戒を止めてしまったらしく、相手を探る様な表情は一切見られない。
「ま、まあ、カナエも居る事ですし……大丈夫ですね、きっと、多分」
見ていられなくなったのか、スコットは頭を抱えて溜息を吐くプランクの肩を叩き、虚しい苦笑いと共に声をかける。
スコット自身も分かっているのだ。カナエの様な人間が何人居た所で、何の役にも立たないのだと。
「……そう、ですね。ええ、そうですとも。カナエが居る」
だが、その言葉は確実にプランクの役に立ったのだろう。何とか落ち着いた様子で立ち上がり、溜息を吐いていた。
----プランクさん、随分とカナエって奴を信じてるんだな。
そんな彼らの様子を船長は珍しそうに見つめている。彼はプランクの部下の一人だ。勿論、プランクが人をそこまで信用する姿を見るのは初めてなのだ。
それは他の数人も同じなのだろう。船員達は皆一様に驚きを持った顔をしている。
「そういえば、あの新聞記者を前にどっかで見たような……」
「昔、取材にあったとか。そういうのでは?」
「ですかねぇ……」
彼らの様子に気づいているプランクは、しかしそれを言葉にする事は無く、ただ画面を見つめながらスコットと雑談を交わしている。
画面には何も写っていない物が大量に存在した。人の形をした『機械』達が船内の至る所で暴れ回った為にカメラが大量に破壊されてしまったのだ。その為、見る事が出来る画面は殆ど無い。
だが、幾つか見れる物はある。
その内の一つに、粉々になった一室があった。明らかに爆薬や銃弾だと分かる方法によって崩れた椅子が幾つか並び、奥にある穴だらけのスクリーンだけがその部屋がシアタールームだと伝えてきている。
プランクとスコットの視線はそれを写す画面に向けられていた。そう、そこで数分前、丁度コルムがカナエを探していた頃だ。
そこでは二人の男と、男か女かも分からない一人が銃弾や刃物や爆薬が飛び交う戦闘を行っていたのだ。
「間違いなくMr.スマイルですね。成る程、実在しましたか……もしくは、そういう扮装をした偽物か」
ぽつりと、プランクが呟いた。その画面の中には先程まで歪んだ笑顔の仮面と、古めかしい、だが銃弾を通さない程頑丈なコートを着込んだ者が居たのだ。
それは間違いなく、Mr.スマイルと呼ばれた者の外見的特徴に一致していた。
「もう一人は、あの人ですね。ケビンさん」
スコットが何やら嬉しそうに口を開いている。Mr.スマイル以外の二人の内、一人は先程食堂で見た顔だ。
銃を持ったその男は他の二人と同様、派手な動きで傷一つ負わずに戦っていた。最後には爆薬の煙と爆風に隠れて身を消したが、ほぼ間違いなく無事だろう。
ケビンが死んでいる姿が一切頭に浮かばず、スコットとプランクはどこかの画面に写っていない物かと探したが、今の所は写ってはいない。
「……君の言う通りですね。スコット、確かにあの男は、あなたの話通りの存在の様です、再認識しましたよ」
軽く息を吐いて、プランクがスコットの顔を見る。ケビンが『カタギ』ではない事は理解出来ていたし、とある逸話を持つ男だとスコットから聞いていた。
食堂での戦闘も強烈だったが、画面の中のケビンは更に強烈だった。勿論、他の二人もとんでもない強さだったのだが。
「それでもう一人は確か……」
「パトリックです、プランクさん」
Mr.スマイルとケビンの事を頭に浮かべた二人は、最後に残った一人の顔を思い浮かべる。その人物をプランクは知らなかったが、スコットは知っている。
顔を見た瞬間にスコットは目を見開いて、プランクにその事を話していたのだ。
「奴は、自分とエドワースの三人でホルムス・ファミリーに居ました」
画面の中で戦闘が起きていた頃に言った事を、スコットは繰り返す。当然、それを聞いたプランクは頭の中で推測を立てていた。
「コイツは、勿論……」
「ホルムス・ファミリーの人間って事になりますね」
ホルムス・ファミリーはMr.スマイルに壊滅させられている。
その彼らの一員が、偶然にもこの船に乗り、どうやってかあれほどの武装を仕込み、かなりの実力を持つケビンやMr.スマイルと同等に戦っていたのだ。
誰でも分かるが、どう考えてもただの観光ではありえない。
「そうなると、奴にはボスが居る事になりますね。恐らくはホルムス・ファミリーの生き残った幹部が居る筈……スコット、あなたは知りませんか?」
頭の中で機械の様な者達を浮かべ、プランクは尋ねる。その兵隊達の目は確実に彼らの薬で作られたのだと分かる物だ。そして、その薬は彼らがホルムス・ファミリーに売った薬である。
関連性を疑うのも仕方がない。
「……! プランクさん、あれ!」
そうしている間に、スコットが何かを見つけた様子で端にある画面の一つを指さした。釣られて、プランクと船員達もそこを見る。
そこに写っていたのは、二人の男女だった。一人は二丁拳銃を持ち、心の底から幸せそうな笑みを浮かべる男が立っていて。もう一人は少女だ。
派手で美しい赤いドレスに、可愛らしい容貌の少女だ。だが、スコットが注目したのはその容姿では無かった。ある意味、顔ではあるのだが。
「この、このガキ!」
声を荒げてスコットが顔を何度も指さす。少女の顔は何故か疲れが感じられる物で、男の人生の絶頂に居る様な表情とは対照的だ。
しかしスコットはそれには一言も感想を漏らす事無く、ただ事実のみを伝えた。
「ホルムス・ファミリーの幹部ですよコイツ!」
「……この、少女が? いえ……成る程」
一瞬の戸惑いを見せたプランクだが、即座に納得した表情を浮かべていた。
その間にも画面の中で男は音声が無くとも分かる笑い声を上げていて、少女はより一層疲れた顔を晒している。
どうやら余程の変わり者の様だ。その場の全員が男の事をそう判断していた。
彼らがそんな事をしている間にも、スコットはその少女の事をプランクへ話している。
「……このガキの名はジェーン・ホルムス。組織じゃヤクの扱いを引き受けてたって話で、噂だと……薬中を洗脳して兵隊に改造しているとか、あくまで噂だと思ってたんですが……」
「この連中、そのままですね。実在しましたか」
スコットの声を遮り、プランクは残った画面の一つに写る『機械』達を指した。目は間違いなく虚ろで、スコットの言葉に真実味を加えるには十分な物だ。
そう、船員を含む全員が、頭の中で『今回の首謀者はこの少女だ』と考えるくらいには。
そう考えると、外見は暗い物を感じさせない少女だというのに目の奥には恐ろしい炎が燃え上がっている様にも見えてくる。
「……少し考えさせてください」
船員やスコットが少女の事を見つめていたその時。プランクが一言呟いたかと思うと、その言葉通りに何事かを考え始めた。
表情から考えは読めない。既に、普段の張り付いた笑みは戻ってきている。しかし視線はカナエとジェーンの間を右往左往していて、どこか迷っている様にも見えた。
「あの……本当に連絡はしなくて良いのですか? 我々だけでこの状況を解決するのは少々……無理があるのでは?」
船員の一人が、そんなプランクへ声をかける。プランクは事前に彼らが外部へこの状況を伝える事を禁じていたのだ。何故なのかは分からなかったが、彼らは従った。
この船の通信機は機密保持の為に此処にだけ存在する。彼らが通報しなければ、誰かがこの船の状況に気づく事は無いだろう。
しかし、彼らとて人間だ。外部に助けを求める事が出来ない状況は確実にストレスを与えている。一人の船員が言った言葉はこの場の大半が同じく考えている事でもあるのだ。
「馬鹿ですか、あなたは」
そんな彼の耳に届いたのは、相手の事を心底馬鹿にしたプランクの声だった。侮蔑すら窺えるその顔は、どこか思考を邪魔された事に対する苛立ちが含まれている様に思える。
「確かにあの町の警察は汚職と賄賂で下から上まで腐っていますが……この近辺の海上警察がそうとは限りません。もし通信を聞かれて薬の事がバレれば、逆に危険です」
「し、しかし命には……」
「代えられます。例え私の命であっても、交換は利いてしまうのですよ、悲しい事にね」
最後の言葉だけは少し悲しそうな、まるで世の無常を嘆くかの様な声で呟かれていた。それを聞いてしまった男は、プランクの『本気』に気圧されて声を止める。
本気で思っているのだ。『薬が見つかって組織自体が駄目になるくらいなら、自分も含めた部下の全てが死んでも構わない』と。
船員が黙り込んだ事を確認したプランクはまた思考の海に沈み込んでいく。しかし、すぐに答えが見つかったのだろう、一分もしない内に顔を上げていた。
「……危険性が高いMr.スマイルと、ジェーン・ホルムスの動きを追いたいんですが……残ったカメラだけでは無理でしょうね」
落胆を表す意味でプランクは静かに首を振る。もしも全てのカメラが動いていれば、船上で起きた事は個室の内部以外は全て把握する事が出来ていただろう。だが、実際にはカメラは動いていない物が大半なのだ。
無い物ねだりをしても仕方ない。それが分かっているプランクはじっとジェーンが写っている画面を見つめ、やがて何も思いつかなかったのか盛大な溜息を吐いた。
「……このジェーン・ホルムスという子供を生け捕りにして、情報を聞き出しましょう。Mr.スマイルよりはマシです。船長?」
「では、その様に」
声が室内に響いた途端、背後に立っていた男、この船の船長が前に出てプランクの考えを実現させる為に動き出す。
彼らの動きは素早い。じっと画面を見るスコットとプランクを余所に、船員達は経験から画面の中の場所を特定して、少女を捕まえる為に外へ出ようとする。
「待ちなさい。そのためにはまず、この怖いボディガードを排除しなくてはなりません。あなた方では……」
プランクは彼らの方へ少し怖い顔をしながら視線をやり、静かに画面の中の男を指さす。二丁拳銃のその男は、現れた『機械』達を順調に、勢い良く壊滅させていた。
無言で伝わってきた『あなた方ではこうなるだけだ』という警告に、船員達は今更気づいたのかひきつった顔で足を止める。
「それが賢い判断です、さて、しかしどうしたものか」
部下達が行動を一時的に止めた事を認識したプランクは一度頷き、『満足そうにしながらも困り果てた表情』という器用な顔で画面を見ている。
その間にも画面の中の『機械』達は数を減らしている。その場の制圧が終われば、すぐに姿を消してしまうだろう。機能していないカメラが多い状況で、発見するのは困難だ。
船員達の顔に焦りが浮かび始める。中には、男に殺される事を覚悟している者すら見受けられた。
背後の様子が緊張感を高めている事はプランクにも伝わっている。船員達ほど焦ってはいないが、それはどこか迷っている様でもあった。
「結局、任せる事になりますか」
やがて、プランクは疲れた様子で小さく何事かを呟いて、船員達の方へ振り返る。
張り付いた様な笑みは、浮かんでいない。
「船長、船員を誰でも良いので一人捕まえて、この紙をカナエかコルムに渡すように言ってください」
瞬く間に側に有った紙を手に取り、一瞬の内に何事かを書き殴ったプランクは、すぐに自身の部下、この船の船長にそれを手渡し、何やら申し訳なさそうに笑う。
船員達に働きを要求する事に対する感情ではない事はすぐに分かった。何故なら、その言葉は画面の中に写っている、カナエと呼ばれた女に向けられていたのだ。
本当に珍しい、と船長は目を瞑る。プランクが一人の戦力に頼る事も、人を動かす事に悪びれる様子を見せる事も、まず見れる物ではない。
「あんなガキに乱暴しちゃいけませんよ、ボス」
「分かっています。子供の指をへし折る様な事は出来ませんよ、出来ないので……」
そんな事を考えながら船長が部下の船員に紙を渡している間に、スコットが不安そうな顔で声を上げている。画面の中の少女は悪人の気配は見られず、派手な赤いドレスが何とも可愛らしい。
彼らなりの『方法』で『質問』するのには、気が引ける。少なくともスコットはそう考えていた。
そして恐らくは、プランクも似た様な事を考えているのだろう。静かに頷き、懐から何かを取り出す。
「話を『聞いて』無関係なら放っておく、関係者なら……これ一発を胸に撃ち込んで、それで終わりです」
手に握られている物は、銃弾だった。それもたった一発の銃弾だ。大して変わった物ではない、スコット達も持っている。
だが、プランクがそれを持つとまるで、一撃必殺の弾丸の様に見えてしまう。少なくとも彼の部下はそう感じていた。
「でも、ボス……報復にしては、ちょっと弱いんじゃ……」
船員の中の一人が不満そうに呟く。その声は不思議と良く響き、室内の全員に届いた。慌ててその船員は口を塞ぐが、一度出た言葉がそれで無くなる筈も無い。
プランクが少女を殺そうとしている事には一つも不満は無い様だ。スコットすらも、特に異を唱える姿は見られない。
それぞれの姿を確認したプランクは軽く笑い、舞い戻ってきた張り付いた様な笑顔で告げた。
「我々みたいにあんな薬を売って稼いでる奴の命なんて、この鉛弾一つより安いと思いませんか?」
船内の構造に詳しくないプランクとスコットは気づかない。船員達は、行動する事に夢中で気づかない。
カナエ達が歩いている方向と、ジェーン達が歩いている方向。それらを知っていれば分かるのだ----彼らはプランク達が何かをするまでもなく、衝突する事に。