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最終話

 男が飛び降りる瞬間を、私は決して見逃さなかった。

 カミラ・クラメールという名の自分にとって、それは当然の事だ。高瀧と呼ばれる男を取り押さえた隙を突かれてしまったが、そんな程度で抑えられるとでも思っていたのだろうか。

 陶酔する様な自殺を許す程、甘くは無い。既に世界は鈍速化していて、その中で立ち上がる。人の命が掛かっていると思えば、身体の動きは今までより素早くなった。

 数瞬、男が少しずつ落ちて、見えなくなっていく。だが、絶対に間に合わせる。

 カナエの横を通り過ぎる瞬間、彼女は低速の世界で当たり前の様に動き、軽く頭を下げてきた。『よろしくお願いします』と言っているのが分かる。

 だが、頼まれるまでもない。さっさとフェンスから飛び出し、壁を走って落ちていく男を追いかけた。かなり無理が有る行為だが、物理法則になど興味は無い。自分が出来ると思った事を、現実にするだけだ。

 落下に際して、窓ガラスの割れた部屋の隣を通る。風がガラス片を煽り、こちらに飛びかかってきた。知った事か。全て避けながら、更に壁を走る速度を上げる。

 ふと、自分がどうして他人を助けようとしているのかを考えてみる。答えは即座に出た。癖だ。今日は一日中暴れていたから、随分と状況に慣れてしまった。

 そんな理由で、死ぬかもしれない人助けをしでかす。自分は馬鹿だと思ったが、それはそれで良い。

 考えている内に、落ちていく男の身体が掴める距離にまで来ていた。男は何かに指を掛け、装置らしき物を作動させようとしている。

 爆弾の起爆装置だろうか。判断するより早く、スイッチと指の間に、自分の指をねじ込んだ。


 男は驚いた様子を見せるが、すぐに嬉しそうな顔をする。「アンタ、そういう事を出演作でやってたよな」

「まあね。だが、壁を走るのは初めてだ。上手く行くものだな」

「すげえ、やっぱりカミラ・クラメールだ」

 尊敬と憧れが過度に混ざった視線に、首を振って返す。

「人を超人の様に言うなよ。それはカナエに言うべきだ」


 流石に、銃弾で頭を吹っ飛ばされても死なない、というのは幾ら何でも不可能だ。あれを最初に見た時は、酷く驚かされてしまった。

 それは自分が掴んだ男も同様らしく、同意を示している。話を横から聞いた限りでは、彼こそ爆破事件の犯人らしいが、輝かんばかりの視線に悪い気はしなかった。


「で、俺と一緒に落下して死ぬんですか? 映画じゃないんだ。あの高さから落ちて、車のボンネットやゴミ箱に突っ込んだからって生きてられる筈が無い。」

「まあ、そうだろうね。だが」思い切り強い笑顔を作り、凶暴な感情のままに叫ぶ。「じゃあ、此処から生き延びるシーンは見た事が無いって訳だ!」


 絶対に無事なままで降りてみせる。決意を籠め、まずは壁を走る全身を反転させた。壁を地面と同じ様に蹴って落ちる勢いに抵抗し、靴を滑っていく壁に擦らせる。靴自体はすぐにすり減ったが、勢いは相応に殺せた。

 既に、二階の所まで来ている。このまま一階まで降りても問題は無いが、面白くない。腕の中に居る男の目を見る限り、もっと派手にした方が良い。

 余裕たっぷりに、二階と一階の間に有る僅かな凹凸に指を掛けて、完璧に衝撃を消し去ると、そのまま一階の扉へ飛び込んだ。

 窓を突き破った先は、ロビーだ。そこでは、何故か緊迫した状況が展開されていた。

 その場の殆ど全員が急な登場に驚き、口を開けている。

 だが、そちらは後回しにする。ソファに男の身体を投げつけると、自分は側に居た人間に抱きついてクッションにした。とはいっても、大した怪我はさせない。全力で勢いを殺した為に、最小限の衝撃で済ませた。

 急な事にも関わらず、相手は動揺の声も漏らさず、ただ軽い抱擁でもする様に上手く自分を受け止めてくれた。

 そのクッションにさせてしまった人物の顔を見てみると、何となく見覚えが有った。

 カナエの、婚約者だ。


「どうも」挨拶をしてみると、彼は記憶を探る様に答えた。「確か、カナエがサインを強請った」

「そう、カミラです。少し、迷惑を掛けてしまったかな」


 すぐに身体を離れさせ、謝罪しておく。相手は婚約者が居る身だ。出来るだけ気を遣っておくべきだろう。


「いえ、カナエならきっと」プランクは少し考えて、すぐに口元に愉快そうな物を見せた。「そう、羨ましがるでしょうね。貴女のファンですから」

「かもしれないな……確かに、あり得る」あの異常に笑顔の似合う女なら、浮気程度では軽く笑い飛ばすだろう。むしろ喜ぶかもしれない。


 彼女の存在は、それほどまでに印象的だ。

 先程まで一緒に居た女の事を考えていると、誰かが震える音が聞こえた。見てみれば、銃を持った二人の男の内、片方が尋常ではないくらい驚いた表情で立っている。

 その男の顔をじっと見ていると、記憶の中に引っかかる物が有った。「おっと、確か……そうだ、この間撮影で」

 撮影で、監督と一緒の車に乗っていた男だ。傷跡は痣として残っていたから、すぐに思い出せた。勿論、容赦無く軽機関銃で蜂の巣にされそうになった事も覚えている。


「勘弁してくれよ」心底参った様子で、男は呻いた。「おい、紅。どうした。顔が死体みたいに真っ青だぞ」

「朱、ああ。知らないってのは幸福な事だよ。俺達、今棺桶に身体が九割入ってるんだ」

「知ってるよ。此処に居る連中が……」相方と思わしき男へ、彼は首を振った。「そこに居る女一人で、八割だ」

「失礼な、私は人を棺桶に入れる様な事はしない。どいつもこいつも、私を殺人鬼だと思ってるんじゃないか。断じて違うんだが」


 ほんの少しの苛立ちを籠めながらも、それほど怒る気はない。


「それで、そちらは本業の真っ最中か。邪魔をして悪かったな。しかし、私の前で殺し合いなんて馬鹿な事をするのか?」こんな場所での殺し合いを、認めるつもりは無い。


 その意志を伝えると、男達は明確に迷いを宿した。カミラ・クラメールと戦うか、自分の仕事を果たすか。まさに究極の選択と言うべきだろう。

 我ながら怖がられた物だ。


「だが、でもな」しかし、男達は覚悟を決めた顔をして、銃を握り締めた。「そいつの存在を認めたくは、無い」


 二人の視線がプランクへ集中する。おぞましい物を見る目だ。それに対して、プランクは余りにも冷たく関心の無い表情で応えた。殺意も嫌悪も、まるで届いていない。

 それだけでも、確かにプランクの危険性が見える。力を持っていれば、世界を滅ぼしてしまいかねない類の人間だ。

 生かしておくべきではない。それには部分的に同意だ。だが、彼はカナエの婚約者である。


「この人は、私のファンの婚約者だ。少しくらい助けるのも悪くない、と思ってるんだが」

「頼むよ、邪魔をしないでくれ」痣を剥き出しにしながら、男が懇願する。


 しかし、駄目だ。殺人を許容する気は最初から無いが、今は特に駄目だ。カナエに、『よろしくおねがい』されてしまった以上、助けてやらねばならない。

 それに、どれほど凶悪な精神の持ち主だったとしても、そんな相手を恐れて殺そうとするなど、自分自身が許せなかった。


「本当に、私と敵対するのか?」


 警告を口にする。男達、特に片方は涙を浮かべたが、それでも指先へ力を入れるのが見えた。


+



 ジョン・ドゥなんて名前を付けられてしまったが、こんなに存在感が無くなるとは思わなかった。そんな事を、ソファにめり込んだまま考える。

 ソファに突っ込んだ時から状況を伺っていたが、随分と混乱、緊迫している様だ。

 ただ、一つ分かる事が有る。このまま戦闘になれば、カミラが一人で全部を片づけてしまうという事実だ。彼女は人間と表現するには余りにも怪物的で、余りにも壊滅的な精神の持ち主だった。

 それでもカナエよりは人間で、それは、『単なる人間があそこまで怪物になれる』という事実を示していた。感動的な事実だ。人間の行き着く先を暗示している様で、嬉しくなる。人間は、物語になれるのだ。

 その中に、自分の存在も入れてみたくなった。思い切り投げつけられたので、軽く身体を打ったが、幸い骨は折れていない。立ち上がり、どちらかを応援できる。

 思った通りに身体を動かして、乱入しようとした。その時、突き破られた窓ガラスを通り過ぎて、誰かが飛び込んでくる。


「待て!」慌てた様子の男、高瀧の声がロビーに響く。


 強烈な意志が秘められた一言は、確かに人々の動きを止める。あのカミラですら、ほんの僅かに意識を逸らした程だ。

 高瀧はカナエに抱えられ、屋上から落ちてきたらしい。随分と無茶な落下だったらしく、顔色が良いとは言えない。それでも、威圧感は十分だが。


「待て、お前等。そいつから手を引け」

「高瀧さん、だけど」二人の男達が意見しようと口を開くが、その前に高瀧が手を挙げた。「銃を下ろせ、そんな事をしている場合か」


 強い意志を感じさせる命令だ。男達は一瞬だけ顔を見合わせ、すぐに従った。


「助かりました」

 プランクの感謝を、高瀧は鬱陶しそうに除ける。

「いいや、助けてない。部下を化け物と戦わせるくらいなら、妥協させた方が幾分か良いだろうが」

「だから、私は殺すつもりなんか無いと何度も言ってるんだが、何故分からないんだ」


 不満げなカミラの声を無視し、高瀧の目は側に有る二つの死体へと向かう。何やら満足げに頷くと、続いてこちらへと視線を移してきた。

 含まれているのは嫌悪や憎悪ではなく、純粋な殺意だ。彼の銀行を爆破したのだから当然と言えば当然だが、それにしても怒りすら感じられない。

 ただ、義務として報復を行う用意が有る。例えるなら、そう言いたげな顔だ。

 ギャングと言うより、軍人か政治家の臭いがする対応である。ただし、自分の中の軍人や政治家は、物語の中の役職でしかないのだが。


「そいつ、やっぱり生きていたのか。死んでりゃ良いのにな」こちらに向かって、嘲笑にも似た物を向けてくる。「ま、爆弾は使い物にならないだろう。爆死の心配は無いって訳だ。残念ながら、な」


 心から残念そうな顔をしながら、彼の視線は次にプランクへ行く。そこに有るのは、若干の困惑と嫌悪だ。人間を見る目ではない。


「で?」言葉にも、若干の棘が感じられる。「そいつをどうするつもりだ、お前は」


 そいつ、というのが何を指すのかはすぐに分かった。自分だ。ジョン・ドゥの始末を、プランクと相談しているのだ。


「ふむ」視線がこちらへ向けられる。すると、カナエが無言で首を振った。「そうですか」

「どうするつもりだ?」


 高瀧に尋ねられて、プランクは肩を竦めた。「知りませんよ。カナエが気に入っているので、まあ、そういう事になるかと」

 余りにも執着が感じられない言葉だ。


「そうか」高瀧は納得した素振りを見せて、鼻を鳴らす。「なら、後で何かしらの話はさせて貰うぞ。協力の代わりに、報復に手を貸す約束だったんだからな」

「今となっては、報復より大事な事が有るでしょう?」

「まあな」


 不快げな顔をしながら、高瀧は二人の男の元へと向かい、彼らの肩を軽く叩く。


「お前達、帰るぞ」

「良いんですか。報復をする計画だったんじゃ」

「爆破の一件については、関係者が殆ど死んでる。プランクの結婚前のイベントに手を貸してやったのも、ちょっとばかり恩を売る必要が有ったからだ」


 高瀧の全身から、呑まれる様な覇気が出ている。直視するのも眩しすぎるくらいだ。物語にしか居ない様な、意志を感じさせる男の姿だ。


「普通、此処まで死んだら組織は終わるだろうが」ニィっと笑う。「俺は再建するぞ、どうやってでもな」


 誰の目も無視して、ホテルの外へ向かって歩き出す。部下達が慌てて追いかけ、少し後ろを行った。


「まずは、金をかき集めるぞ。再建するにも、お前等に給料をくれてやるにも金が要る」

「あの、さっきは聞けませんでしたが」朱という名前らしき男が質問する。「何で、ホテルマンの真似なんかを?」

「演技の練習さ」

「演技?」

「奴に連絡を入れてやった。『今度の撮影で紅と朱と俺を出演させても良いから、ギャラは大量に用意しとけ』ってな」


 顔に痣の有る部下が、驚愕すると同時に今にも死にそうな顔をした。瞬時に心臓が止まっても不思議ではないくらいの動揺が見て取れて、何事かと思ってしまう。


「それって……まさか、まさかとは思いますけど」


 『逃げ切ったと思ったらモンスターが背後に居た』時の登場人物と同じ表情だ。

 そんな明らか過ぎて分かりやすい変化を、誰もが無視する。高瀧がプランクの側を通り過ぎていく。


「おや、高瀧さん」プランクが微かな驚きを現す。「彼、此処に居るのですか?」

「ああ。居る」首を縦に振って、高瀧はレストランの方向へ指を向けた。「そっちの店の中だ」


 それだけ言うと、高瀧はすぐにホテルの外へ出ていく。背後に着いていく二人の男達、特にその片方は、とんでもなく顔色が悪い。


「あの、マジで出演するんですか」

「おい、紅。大丈夫か」

「これが大丈夫に見えるのかよ……本気で、出演するんですか……死んでも知りませんよ」


 顔面蒼白の男を放って、高瀧は去っていく。

 本当に、何事も無かったかの様に去っていった。


 高瀧という圧迫感の持ち主が居なくなると、ロビーの空気は随分と緩んだ。内部に居る『敵』が消えて、警戒の必要も無くなったのだろう。

 残された者の内、プランクとカナエは男女の死体を眺めている。従業員が業務へ戻っていき、慌ただしくなっていった。


「さて」そんな中で、カミラ・クラメールが動き出す。


 彼女は表情に微かな怒りを宿し、床を踏み歩いていた。一歩進む毎に床が音を立て、迫り来る力を放っている。劇場の中で悪党が歩む姿にそっくりだ。


「私も去っていくよ」

「カミラさん、何処へ行くんですか?」

「用事だ。そっちの店に『彼』が居るなら、遭って一発殴っておく必要が有るかと思ってね」


 去っていこうとするカミラへ、呼び止める声が響く。


「ああ、待って。待ってください。お楽しみは」

「これからか?」

「そそ、ジョンさんなら知らない筈が無いね」


 満足げに何度か頷くと、彼女は自分の婚約者の元へと走っていく。


「あのね、だから……プランクさん」

「はい?」耳元へ近づけて、何事かを話し出す。「ちょっと、お願いがですね……」


 少しの間、秘密の会話と思わしき物が続けられる。計画の終了に伴って、従業員達は騒がしく営業を始め出す。客や従業員のフリをしていたと思わしき者達が、荷物を纏め始めていた。

 その中でスーツの男が指示を出している。どう見ても小物だが、それなりの地位と能力が有るのだろう。不満そうな者は見あたらない。

 そこでカナエ達は秘密の会話を終えたらしく、プランクが無関心そうな表情で紙に何事かを書き記す。かなりの速筆で書き終えると、即座にカミラの方へ持っていく。


「すいません」カミラへ紙を手渡すと、すぐに恋人の側へ戻る。「こちらを読んで、『彼』に渡していただきたい」

「何だ?」受け取りつつも、カミラは微妙に困惑している様だ。

「多分、あなたが会いに行く相手の事が書いてありますよ」抽象的で、よく分からない発言だ。

「ああ、成る程」しかし、カミラは理解出来たらしく、軽く頷いただけで了承する。「分かった、殴るのは止めておこう」


 紙を読みながら、カミラはイタリアンレストランの方向に歩いていく。そこで一度だけ振り返ると、カナエに向かって不敵に笑った。


「そうだ、式は何時なんだ?」

「来るつもりなら、後日連絡するよ。えへへ、好きな女優さんが来てくれるなんて、夢みたいだね」


 夢見心地な表情を見ると、カミラはすぐに手を振りながら元の方向へ移動し、堂々とレストランの中へ入っていく。やはり、少し怒りを宿したままで。

 その背中は本当に綺麗で、完璧だ。見とれていると、カナエが面白がった様子で声をかけて来た。


「ねえ、ジョンさん」

「何だよ」

「一つ、提案が有るんだけど……」

「提案? おお、何でも言ってくれ」今の自分は、最高に機嫌が良い。どんな提案でも受けるつもりだ。「今の俺は、世界を物語に近いと認識しているんだ。その間は、世の中が最高に輝いてる気がするくらいにな」

「そっか」


 本心から吐き出すと、カナエが素晴らしい笑顔を見せてくれた。『ようこそいらっしゃい、この楽しくも面白く愉快な世界へ!』と言っているのが、一瞬で分かる。


「じゃあ、提案って言うのはね……」


 最大級の笑顔のままに、話し出す。

 提案と言いながらも、その言葉の中には『絶対に拒否しないだろう』という確信が有る様に思えた。

 そして、話を聞いてみれば……実際に、飲みたくなる提案だったのだ。


+


 テーブルの上には、多くの皿が並べられている。余りにも多く、余りにも雑多なメニューだ。節操など微塵も感じられず、ただ味さえ良ければ構わないという方針が見て取れる。

 それでも、何とかイタリアンレストランとしての形だけは存在している。とてつもないボリュームの生ハムを口莉放り込む客の姿が、妙に印象的だ。

 そんな、印象に残る客へと近づいていく。私、カミラ・クラメールはその男を知っている。面白いが、嫌悪に値する人物だ。よく分かっている。


「やあ、監督」

「む、何だ。君か、遅いぞ。もう食べてしまった」自分が来る事を予想していたかの様な口振りだった。「食べるかな? 食べないか?」

「食べない。後で自分の金を出して、自分で食べるさ。で?」

「で、とは何だ」明らかにしらばっくれた口調で、監督は食事を続ける。「私が此処に居る事は分かっただろうが、それ以上の何に気づいた?」


 水を飲み干すと、彼は興味深げに目を輝かせてくる。先程まで外では緊迫した状況が広がっていた筈だが、全く動じていない。

 テーブルの下に8mmフィルムのカメラが転がっているのが見える。此処から撮っていたのかもしれない。

 だとすれば、やはりプランクから聞いた内容は正かったのだ。


「あのバス運転手が、『男爵』らしいな」


 そこに入って、初めて監督が食事を止めた。「どうして知ってる?」


 返答代わりに、紙を投げつけてやる。勿論、指と指の間に挟むという形だ。「その技は、この前にも見たな」監督は平静に紙を読み、すぐに納得を現した。「ああ、プランクから聞いたのか。成る程ね」

 完全に食事から離れて椅子から立ち上がると、彼は唱う様に語りだした。


「確かに、今回の『男爵』は私だ。彼は私に情報を提供しただけで、本物の『男爵』は別に居るよ」

「あんたは、それを利用したと」

「金に困っていた様だからな、ちょっと情報を聞いて、それをまた別の人間に教えたのさ。例えば、さっき死体になった夫婦とかね……ああ、ちなみにホテル内の監視カメラは全部私が使ってる。録画しているんだ。編集して、参考にするのさ」

「騒ぎにならなかった原因は、それか。随分と好き放題にやってくれるよ」

「現実に爆弾やらギャングやらを持ち込んでイベントをするんだぞ? 一枚噛めるなら、やっておきたいじゃないか」

「私を送り込んだのも?」大いに頷き、カメラを手に取る。「その通り。君に全部をぶち壊して貰いたかったんだ。そのシーンを撮っておきたかったから、此処に居座ったんだぞ?」


 経緯と目的を語る姿は、まるでインタビューを受けているかの様だ。少なくとも、全く悪びれていない。どう考えてもまともな人間とは思えない姿だった。

 しかし、自分もまともではないから、人の事は言えない。そう考えていると、監督は面白がって手を叩き、興味深げに顔を覗き込んでくる。


「それで、私を殴りに来たのか?」

「いや、それなんだが、会わせたい人が居るんだ」

「誰だ?」尋ねられたので、とりあえず手を軽く振る。「今から呼ぶ」


 レストランの入り口の方に向かって手招きをする。すると、そちらから一人の男がやってきた。彼は人生を謳歌している者だと分かる笑みを浮かべ、堂々としていた。

 本人やカナエが言うには、彼はジョン・ドゥと名乗っているらしい。明らかに偽名だが、気にしない事にする。

 ジョンは、監督に片手を差し出し、半ば無理矢理に握手をする。妙に力が籠もっている所を見ると、彼も踊らされた事に思う所が有る様だ。


「あなたがあの有名な監督か」恭しく、敬意に満ちた挨拶を口にしている。「作品はありがたく拝見させて貰ってる」

「ああ、それは嬉しいが。それで、君はどうして此処に来たのか?」


 その質問の答えは、私が答える。「私とやり合える奴だ」不敵に笑い、監督の肩を軽く叩く。「出演者、探していたんだろう?」

 暫くの間、監督は驚いた風だった。しかし、混乱から脱すると、今まで以上に面白がって笑い出し、満足げに頷いた。


「成る程な。役者を見つけてくれた、と」


 それに答えるのは、ジョンだ。「良い物語を作ってくれ」彼は、世界を愉快そうに見つめている。「俺が、去ってしまう前に」


「ほう」ジョンの内面を読み取ったのか、更に嬉しそうな息が漏れる。「面白い。採用だ」

「そうか、良かった」これで採用されなければ、少し困る所だ。折角、自分とアクションが出来そうな人物を見つけられたのだから、率先して雇うべきだろう。


 そんな事を考えていると、監督は勢い良く懐から携帯電話を取り出して、半ば高笑いをしながら通話を始める。 


「さあ、遊んでいる暇は無いぞ」喉の奥から出る笑い声が、妙に不気味だ。「撮影だ。本物のギャングが何人か撮影に、しかも全力で協力してくれるそうでな!」


 唐突な話に、電話先の相手は間違いなく慌てただろう。いや、聴覚を集中させてみれば、電話の相手が向こう側で驚いている声が聞こえる。何時もの事だが、本当に滅茶苦茶な男だ。


「今から撮影しよう。これから三日間徹夜だ。アクションシーンを三日で全て撮るぞ。なに、編集担当が何人か倒れた? そうか、なら作業は自分でやる。危険な撮影もやってやる、今度はパニック物で本物のホテルでも爆破するから楽しみにしておけ、とか何とか言っておけ」


 早口で話をしながら、彼はカメラ片手にレストランの出口へと向かう。大分残っているが、料金を払って帰る様だ。どうやら、残った料理は二人で食べてくれと言いたいらしい。

 急ぎ足で、そのまま撮影所へ飛んでいくつもりだ。ただ、扉を開ける寸前で腕の動きが止まり、僅かに振り向いてきた。


「そうそう」悪戯っぽい笑みを見せて、ジョンに声をかける。「寄付には助けられたよ、名無しの誰か」


 一瞬だけ何を言われたのか分からなかったのか、ジョンは困惑を顔に浮かべ、次の瞬間には何かに思い至って目を見開く。

 しかし、彼が何事かを言うより早く、監督は急いで出ていった。


 暫く、ジョンは唖然とした様子で立っていた。しかし、やがては面白がっていると分かる態度で笑いだし、一頻り声を上げて笑うと、すぐにこちらへ顔を向けてきた。


「……なあ、俺はアンタのファンなんだ」

「それは嬉しいね。しかし、どうした?」

「それでな、カミラ・クラメールが今の道に進むきっかけになった、凄くカッコいい女性の話を聞いてみたくて」

「ああ、彼女の事か!」それは、素晴らしい提案だ。


 彼女の話なら、十年でも続けて語る事が出来る。聞いてくれる側である男は期待に満ちた表情をしていて、話す方も居心地が良い。

 この男が爆破事件の犯人だとしても、それは構わなかった。別に、自分が爆死した訳ではないからだ。目の前に居るのは、単なる自分のファンである。


「良いぞ。話そう、そうだ。立ち話も何だから、座ろう。あの馬鹿野郎が残していった料理でも食べながらね」


 椅子に座りながら、思う。

 結局、監督が置いていった物を食べる事になった。あの監督、実は食べきれなかった料理を私達に処理させるつもりで出ていったんじゃないか、と。



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