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17話


 踊る様に綺麗な足取りで、カナエが近づいてくる。どんなファッションモデルでも出来ない様な美しい歩き方だが、小柄の彼女にはあまり似合わない。

 もっとも、そこも折り込み済みでこんな歩法を試しているのだろう。相変わらずの楽しげな笑みが、全てを物語っていた。


「やあ、カミラさん」こちらとの距離が数人分まで近づいた時、彼女は挨拶を口にする。

「君か」


 軽く手を挙げて応えると、彼女は嬉しそうな息を漏らした。やはり、かなり重い部類に入るファンだ。髪の毛が入ったチョコレートを送ってくる類に見える。

 いや、その程度で済めば御の字だ。もし誰かとの交際が報道された場合、その相手が殺害さえる危険すら有り得る。ゴシップ記事に載る様な真似はしていないが、これからは気をつけるべきだろう。


「その、悪いな」頭で思っている事とは別に、口は真剣に謝罪を行っていた。

「あれ、私が来る前に誤解は解けちゃった感じ?」謝罪を受け取るどころか、彼女は残念そうに肩を落とした。

「まあ、そうだ。誤解はすっかりと解けた」

「そう、残念です。一度くらい真剣に、あなたの実力を見ておきたかったのに」

「残念だったな、また今度だ。イベントで暗殺未遂、というのは止めて欲しいが」

「あはは、例え一国の軍隊を全員相手にしたってあなたは負けないし、生きて帰りますよ、きっとね」冗談らしく口にしているが、目が深く本気だ。


 このままだと、軍隊相手に喧嘩を売る流れになる。別に構わないが、今は違う話をするべきだ。興味津々という表情で自分とカナエの会話を聞く男が居るが、今は気にしない事としておいた。


「お詫びに、何かしてあげられる事は無いか?」

「お詫び、ですか?」

「そう、お詫びだ。君の知人を殴ったり蹴ったり、気絶させたりしてしまった」

「でも、あなたは殺意を向けられたんでしょう? 正当防衛だ」

「まあな」それは認めるが、自分が納得出来ないのだ。「しかし、勘違いで彼らと戦闘に及んだのは事実だ」

「そうですか……」


 カナエは暫く考え込む様子を見せてると、こちらの顔をじっと見つめてきた。


「どの程度なら頼んで良いんですか? サイン? 握手? ……まさか、添い寝?」


 どれも軽い頼み事だった。重くも軽いファンと呼ぶべきカナエだ。外見も中身も嫌いではないし、添い寝くらいは問題無い。

 素直にそう言っても構わなかったが、それでは少しばかりつまらない。もっと悪戯的で、自分の周辺で時折噂される事を言ってみる事にした。


「そう、だな。君と恋人になる。くらいの事なら許容しても構わないが?」

「え」カナエが目を見開き、口を開けたり閉じたりする行為を繰り返す。「それって……それって!」


 本気で喜ばしそうな、尋常ではないくらい照れた表情を見せてくる。

 半分程度は冗談のつもりだったが、少しばかり軽率な発言だったと自省する。撮影スタッフの女性に告白された事が有って、あの時は色々な事が有ったのだ。


「それって、遠回しに告白されてます? されちゃってるんですか」


 彼女はきゃあ、と鳴き、嬉しそうに飛び跳ねる。


「あのカミラさんに愛の告白をされちゃいました。ああ、カミラさんなら女の子同士で浮気相手でも、うん、悪くない」

「おい。勘違いをするなよ」完全に本気だ。慌てはしなかったが、釘は刺さねばならない。


 すると彼女は一気に平素の楽しげな顔色へと戻り、魔法の様に態度を先程までと同じ様子へと変えた。


「分かってます。でも、そういうのって好きですよ?」


 どうやら、冗談だった様だ。舌を出し、ウインクを見せてくる。

 肩の力が抜けた。それと同時にカナエが表情を若干の真剣味が有る物にして、一歩近づいてきた。


「で、頼み事が有るとすれば、ちょっとした質問が」

「何だ?」

「どうして、このホテルに来たんですか? 詳しい所を聞きたいです」


 その程度の事なら、別に頼まれなくとも答えられる。ただ、彼女は真剣そのものだったので、何も言わずに答えてやる事にした。 


「最初に会った時に言わなかったか? 休暇だよ」頭の奥で、大好きでもあり大嫌いでもある人物を思い浮かべる。「私が出演した作品の監督が、勝手に予約を入れていたんだ」


 監督が何を考えて此処の部屋を予約したのか。大体は察する事が出来たが、それで間抜けに無関係の人間と戦闘に及ぶのだから、自分も相当に馬鹿だ。


「あー」反省の意志を心に組み込んでいると、カナエの声が聞こえてきた。「分かりました。分かっちゃったよ。うんうん、プランクさんはもう」


 彼女は両手を後頭部へと回し、鼻歌を奏で始めた。顔が今までで一番に真っ赤だ。照れを通り越して、愛まで剥き出しになっている。

 顔を見られるのも恥ずかしい。そう言わんばかりに人影の無い場所へと移動すると、彼女はフェンスを軽く掴んだ。


「照れるなぁ照れるなぁ。そんな風にされると照れてしまうなぁ、照れちゃうなぁ」


 嬉しさと気恥ずかしさが全開になった声が、どうしようもなく響く。幸せな空間を一人で形成する所が、とてつもない精神性の発露にすら見える。

 何度かフェンスを揺らせると、その部分だけが簡単に折れて外れた。鉄製とはいえ、簡単に壊せる自信の有る物だ、その程度なら驚かない。

 むしろ、そのまま飛び降りないかと心配したが、どうやら杞憂だったらしく、彼女は自分が壊したフェンスを床へ放り投げ、男の方へと顔を向ける。


「すごいよね、最高の気分。それがわかってしまったんだもん、私も愛してる。大好きだよプランクさん、という訳なんだ。どう思う、ジョンさん」

「何が、だ」

「何もかもが、だよ。ジョンさんは物語は愛と愛と愛に満ちたストーリーの方が好き? 私はさっきまで楽しさと面白さが全てだと思っていたけれど、今だけは愛と幸せと楽しさが全てだと思ってる」


 意味不明の発言をしながら、彼女は一歩男へ近づいた。

 マグマの様に熱い笑みを浮かべながら、桃色の空気を吐き出し続ける。そんな表情を直視した為か、見知らぬ男は困惑している。


「ああ、ジョンさん? 言いたい事がね、有るんだ」


 もう一度、男の名前らしき物を呼んだ。何故か、ジョンという名前に被って『名無しの誰かさん』と呼ぶ声が聞こえるのは、気のせいではあるまい。

 一度に二つの事を喋る。どうやっているのかは分からないが、纏う雰囲気が今までとは格段に強まったのは明らかだ。

 だが、男は眉を顰めながらも、一歩たりとも退かなかった。


「……何だ」

「危ないよ」


 最後の言葉だけは、あっさりと聞こえた。

 どういう意味かが分からなかったのは、僅かな間だけだ。

 扉が開きっぱなしになった階段の奥から何かが光るのが見えて、それが銃口である事を認識するのに時間など必要では無かった。

 反射的に、自分の意識が一瞬にして世界の時間を鈍化させる。自分自身すら行動を制限される、感覚を完全に制御する芸当だ。


 しかし、カナエだけは……全く変わっていない!


 彼女は男の前に平気な顔で立つと、振り向いて人間性の欠片も見えない享楽に溢れた表情を見せつけ、笑顔を見せてくる。

 そして、次の瞬間には銃声が響いていた。




+



 エレベーターが到着を知らせる音を出し、夫と人質の前で扉が開く。

 警戒しながら外を見ても、怪しげな人物が銃を突きつけてくる事は無い。客は居ないが、従業員は全員が騒がずに仕事を続けている。

 何とか、ロビーまで降りる事が出来た。それを認識すると、安堵が心に押し寄せてくる。この階まで来るだけの行為が、どうしてこれほどに疲れるのか。

 きっと、自分の夫は疲れなど感じていないだろう。何も考えていない人間というのは強い。自分の場合は余計な事を幾らか考えている分、生存確率は高いが、疲れは大きい。


「おお、ロビーだ。何でだろうな、懐かしくなってくる」

「それはきっと、今日が変な一日だったからよ」


 何と楽しそうな声だろう。だからこそ、夫は愛おしい人で在り続けてくれる。

 また明日だ。今日は本命を殺せなかったが、明日になれば成功するに違いない。楽観的だが、夫を見ているとそういう気分になってしまう。


「さ、出口まで歩いて」

「言われなくとも、分かっています」


 ナイフを突きつけると、人質は思ったよりあっさりと指示に従い、外へ出てくれた。少しでも抵抗すれば夫がうっかり銃を乱射しかねないので、実は少し緊張していたのだが、何とか切り抜ける事が出来た。

 そのままロビーの真ん中まで歩いていく。横に有る喫煙所にソファが幾つか置かれているが、吸いかけの煙草が吸い殻入れに置かれているだけで、誰も居ない。

 忙しそうにしている従業員達は、こちらの存在など見もしていない。ナイフを持っている事に気づいている者は居るのだろうか。

 誰も怯えて逃げ出さないのは残念だが、今は欲求よりも脱出が優先である。夫の肩を引っ張り、人質を更に歩かせる。

 出口はすぐそこだ。後十数歩歩くだけで外の空気を吸う事が出来る。出た先で殺される可能性も有るが、人質をしっかりと盾にすれば大丈夫だろう。

 彼は、このホテルのオーナーなのだ。当然、十分な資産を持っているに違いない。警察だって、傷を付ければ派手な訴訟沙汰になる人間に手出しはしないだろう。

 それを教えてくれた人に、改めて感謝をする。『男爵』だったか、彼には改めてお礼を言わねばならない。

 そうだ、後、もう二歩程度で外へ出られる。

 そう思っていると、唐突に人質が歩みを止めた。


「どうしたの?」ナイフで背中を撫でて、殺意を演出して見せる。「従わないと、死ぬわよ?」


 しかし、人質は従わなかった。こちらへと振り返り、圧倒的な冷たい瞳を向けてきたのだ。あの明るい婚約者と一緒に居る時は、決して見せなかった物だ。

 自分の命が危機に晒されているのに、微塵も怯えない。ただ、視線を上の方へと持っていき、此処ではない何処かを見ている様に感じられるだけだ。

 太陽系の惑星は、太陽の当たっている時は極端に熱く、当たっていない時は極端に寒いらしい。丁度、それに近い風に感じられる。

 夫もその冷たさを感じ取って銃を取り出すが、此処では不味い。軽く腕を掴み、制止しておく。

 こちらの反応に対して、人質の彼は全く表情を変えない。限り無くどうでも良さそうに、ただ淡々と声を発してきた。


「さて、あなた達がホテルから出られると思っているのだとしたら」


 声を切ると、彼はロビーの方へ視線を移した。


「それは勘違いですね」


 言い終わるかと思うと、彼は横へ飛んだ。

 途端に、ロビーの喫煙所に置かれていたソファの影から、二つの人影が飛び出す。どちらも銃を握っていて、全力で殺意を爆発させていた。


 不意を打たれた為に、隠していた夫の銃は間に合わない。だが、向こうが撃つよりもナイフを投げる方が早い。

 全速力でナイフを投げると、それは相手の腕に刺さった。二人の内、一人は封じ込められた。かと思ったが、その男は怒りと憎悪の混じった表情で銃を構え直し、こちらが体勢を整えるより早く撃ってきた。

 何発もの銃声だ。二人の人間が総力の殺意を以て行った発砲は、確かな力を持って自分達を撃ち抜く。

 普段なら、平気で逃げきっただろう。しかし、今日は随分と消耗していたし、幾つも怪我を負ってしまっていた。

 避けきれず、ただ自分が血を吹き出す光景を他人事の様に認識させられる。

 気づいた時には、夫が倒れていた。横顔は笑みを浮かべたまま、その背中や頬と頭には、銃弾によって生まれた無数の穴が有った。

 自分自身は何とか致命傷を負っていないが、失血死は時間の問題だ。しかし、そんな事はどうでも良かった。


「あ、あ。あっ」


 酷い喪失感が押し寄せる。半身を失ってしまい、生きる事に対する執着が完全に失せていく。今までに経験した事の無い辛く悲しい気持ちが押し寄せ、涙が流れそうになる。

 しかし、悲しむ事も許可されなかったらしい。夫の死体は蹴り飛ばされ、自分もまた腹を思い切り蹴られた。

 万が一生きていた時の為か、転がった夫の頭にもう一発の銃弾が浴びせられる。これで、もしかしたら生きているかも、という希望すら断ち切られた。

 倒れ込んだ自分の後頭部に、一つの銃口がやってくる。自分の外見は発砲を躊躇わせる物だと自覚しているが、この銃口の主は微塵も迷っていない様だ。


「俺達の仇だ。あっちのゴミは俺が処理してしまったから……次はお前が撃てよ、朱」

「いや、一緒にやろうぜ」朱、と呼ばれた男が、痛みを堪える声で言った。


 すると、もう片方の男は小さな笑い声を漏らす。


「……そうだな」熱い友情が籠められた声が聞こえる。「そうしよう」


 結果的に二つの銃口を押しつけられる。友情の証として、二人で同時に撃つつもりだろう。自分達も、二人だけの結婚式を開いた時にやった物だ。

 ナイフで胸を引き裂くと同時に、その心臓を撃ち抜く。初めての共同作業はとても幸せで、現状の孤独など想像も出来なかった。

 死ぬ時はきっと、二人同時にサブマシンガンか何かで蜂の巣にされるだろう。そう思っていただけに、先立たれる時の苦しみは想像を絶していたのだ。


「お前達に明日は無い」

「その通り、仲間の仇だ」


 二つの殺意が明確な力を持ち、間も無く命を狩りに来る。しかし、自分自身の命などどうでも良かった。

 腕を、伸ばしてみる。少し離れていたが、何とか指先が夫の手に届くかもしれない。殺意の主達はまだ気づいていない。出来れば、最後は手を握っていたい。

 だが、希望を粉砕する様に、その指は誰かに踏みつけられた。

 顔を見なくても、その視線から感じる寒さだけで誰なのかが分かる。今まで人質にしていた男が、踏んでいるのだ。

 冷たい瞳の持ち主だ。しかし、その瞳が愛する人を見る時だけは輝いている事を、知っている。


「お幸せ、に」言っておくべきだと、思った。


 彼の足が指から離れる。今更言われずとも、という事だろう。出来れば、彼らには幸せになって欲しい物だ。例えそれが、地獄の果てであったとしても。


「今度こそ、死ね」


 死刑宣告が聞こえる。もう痛みすら分からない。これで、終わりだ。楽しい人生だったが、もう少し続けたかった。

 しかし、その願いは叶えられない。自分と夫は、こんなロビーの真ん中で、無惨に頭を撃ち抜かれるのだ。




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