3話
一番始めに事が起きたのは、ケビンと名乗った男と、プランクとスコットが居る、食堂だった。
「そういえば、お前等の所は何人くらい一緒なんだ?」
「団体ですからね……結構な数が居ますよ」
「良い奴らですよ。馬鹿も多いですが」
三人はすっかり打ち解けた様子で会話を楽しんでいる様だった。
いつの間にか、プランクは張り付いた様な笑顔ではない、本当の笑顔を浮かべている。それを見抜いたスコットは珍しい物を見たと驚きつつも、彼と話すケビンへ尊敬の念が籠もった視線を向ける。
プランクにそんな顔をさせる者など、滅多に居ない。
「……どうしたスコット? 俺の顔に何か?」
「あ、いや。何でも無いです」
視線に気づいたケビンが怪訝そうに顔を覗き込んでくる。が、その反応に慣れたスコットは焦り一つ見せず返事をする事が出来た。
その姿をプランクが何の気も感じさせない、しかし底ではスコットの対応に満足している事が、スコットにだけ分かる表情をしていたのだ。
先程からプランクがとても上機嫌な理由をスコットは知っている。料理を皿に盛っている時、プランクへ話した事が原因だ。
----「その話が確かなら、ある意味信頼出来て、ある意味ではまったく信頼出来ない人物ですね」か。
話を聞き終えてからプランクが呟いた言葉を脳裏に浮かべつつ、口の中へ料理を放り込む。
一般的な家庭料理の為か味はそこそこ、と言える物だ。が、恐らくは三人とも話に夢中で味など気にはしていないのだろう。ただ、話のついでに食事をしている様に見える。
「プランク? お前恋人は?」
「いえ、居ませんよ。ああ、最近好きな女性が出来ましたけどね」
「……そいつ、変な女で……笑い声が怖いのなんの……って痛って!」
困り顔でスコットが呟くと、最後まで言い終わる前にプランクがその足を踏みつけていた。
どうにもその反応は本気の様で、スコットは冷や汗をかく。仲間内でも話題になっていたが、この愛や恋いとは無縁に見える、だからこそ頼もしいボスがこんな風になっているのは不安だ。
足は酷く痛む。が、その方がスコットにとっては恐ろしい。
「おいおいプランク? 女を馬鹿にされたくらいで人を踏みつけるなんて酷いじゃないか」
呆れた様子のケビンが声をかける。すると、プランクはバツの悪そうな顔をしてスコットから足を退けた。
それとほぼ同時に、ほぼ全ての扉が開く。
「……おや? 一気に来ましたね」
プランクの呟き通り、扉から何人もの乗客が入って来た。老若男女、食事を楽しみにしてはしゃいでいる者から、機嫌が悪そうにしかめ面を晒している者、無表情の者まで様々だ。
特に共通点も無く、危険性も無い。少なくともスコットの目にはそう見えた。
が、プランクとケビンは違う。彼らが部屋に入り始めた辺りから、二人の表情は警戒心を帯びた、剣呑な雰囲気で乗客達を凝視しているのだ。
「……あいつら」
眼を細め、ケビンは呟いた。声には一切の油断が無く、まるで今から銃撃戦でも始める様な気配を纏っている。
「ど、どうしたんですか二人とも?」
急に変わった雰囲気に戸惑いを隠せない様子のスコットが二人に話しかける。が、返事は無い。どちらも、乗客に悟られない程度に視線を向け続けていた。
乗客達は彼らの存在に気づいているのかいないのか、構わず料理に近づいていく。
やはり、怪しい所など一切見られない。首を傾げながらもプランクがそう判断しようとしたその瞬間----
「伏せろ!」
「伏せなさい!」
言葉と同時に、大きさの違う二つの手がスコットの頭を床に倒す。
「痛って! 何するんで……」
プランクとケビン、二人が同時に頭を押した事で勢い余ってスコットは床へ頭をぶつけてしまい、思わず抗議しようと頭を上げる。だが、その声は頬に何かが掠った事により、途中で止まった。
「……これって、まさか」
「黙ってた方がいいと思うぞ、俺はな」
「いや、でも……でもこれ。これってやっぱり!?」
スコットは、自分の頬を掠めたそれが銃弾だと気づくのに僅かな時間を必要とした。ほんの一瞬、水滴が蛇口から台に落ちるくらいの一瞬の事だ。
その一瞬の間に、乗客達は懐や持っていた鞄から銃を取り出し----容赦無く、撃っていた。
「来るぞ! 頭上げるなよ!」
一番反応が早かったのはケビンだ。彼は乗客達の中で差書の一人が銃を取り出したのを見た瞬間、スコットと自分から伏せたプランクの無事を確認し、テーブルを蹴り飛ばして盾にしていた。今度はスコットも、抗議しようとはしなかった。
ケビンのそれは流れる様な鮮やかな動きだ。それが自然すぎたのか乗客達は三人を狙う事は無く、その食堂に居た船員や料理人を撃っていく。
一切の殺気を感じさせない機械の様に、乗客達はその場の者へ容赦の無い銃撃を浴びせかけている。
まったく隙を感じさせず、事前に準備もさせなかった為か、やられた方は大した抵抗も、悲鳴を上げる事も出来ないままで体中に穴を開けて倒れていった。
足を撃たれ、苦悶の表情で命乞いする者が撃たれたかと思うと、仲間を捨てて逃げようとする者が撃たれる。
どんどんと、容赦も差別も無く銃弾は人を撃ち、倒れさせる。
「な、何なんでコイツら……」
「……あぁ、なるほど」
「とりあえず身を隠す事に専念しておくぞ、いいよな?」
その様子を彼ら三人は三者三様の表情で見ていた。時折机に銃弾が掠めるのが緊張感を与えていたが、彼ら三人の顔に怯えの色はない。
むしろ、三人揃ってまだまだ余裕を感じさせる程だ。
「スコット、後で話があります。勿論生き残れたらね」
射的の的を狙う様な、人を人と扱っていない者達が人間を撃ち殺しているその時、彼ら全員の顔をじっと見つめていたプランクがぽつりと呟いた。
その顔には明らかに不快そうな色が混ざっていて、張り付いた様な笑みも今は感情を隠す効果を発揮していない程だ。
スコットは軽く頷いて、微かな自嘲の笑みを浮かべる。もう、彼もプランクが言わんとする所に気づいていたのだ。
「どうしたんだ? 連中に恨まれる……いや、恨む事が出来る程上等な連中じゃないな。で、連中のボスに恨まれる様な事に心当たりでも?」
そんな表情の変化を目敏く見つけたケビンが二人へ疑わしそうな眼を向ける。ケビン自身が原因という可能性もあるのだが、彼自身は気づいていないフリをしている様だ。
「……」
返答はプランク、スコット揃っての沈黙だった。
「沈黙は肯定と受け取るぞ、いいよな」
二人の様子から何かを感じ取ったのかケビンはため息混じりに笑みを浮かべ、それ以上は追求しなかった。
そんな事をしている間に、食堂の中にいる肉体的にも、『精神的にも』生きている者は彼ら三人を除き、誰一人として居なくなっている。
乗客だった者達は彼らの存在に気づいていないのか、倒れ伏す船員や料理人達を蹴り、トドメを刺す様に銃撃している。
「まあ……とりあえず、ここをどう切り抜けるかですよね。何か、アイデアは?」
その姿をプランクは忌々しそうに、だが張り付いた笑顔だけは崩さずに見ている。
二人にアイデアを求める辺り、彼自身は特に良い提案が頭に浮かばないのだろう、一層忌々しそうに乗客の様な者達を睨んでいた。
それでも気づかれた様子はないが、時間の問題だろう。
そこでようやく緊張感を覚えたスコットは、何かを期待する様にケビンを見ていた。
「良いアイデアがあるんだが」
視線が向けられたケビンは静かな様子でスコットの肩を叩き、そう言い出していた。
口元には笑みがあって、不思議と「この人が居れば大丈夫だ」という安心感を覚えさせる物だ。
「へえ、どんな物ですか?」
自信のありそうな言葉から、プランクも興味を持ったのか顔を覗き込む。
「----お前等はそこで見てろ、それが最高のアイデアだ」
覗き込んだ先にあるケビンの顔は見事で、不敵で恐ろしい笑みを浮かべていた。
それをプランクが認識したかと思うと、次の瞬間にはケビンの顔がそこから消えている。どこへ行ったのかと二人が机から顔を乗り出して見ると、そこにケビンが居た。
乗客だった者の一人の顔面に、蹴りを突き刺しているケビンが。
「はっ……バカ共が」
ケビンは一瞬凄絶な笑みを浮かべたかと思うと、いつの間にか片手に持っていた椅子で体格の良さそうな男の顎を下から吹き飛ばす。
「わお、流石……すげえ」
「中々凄いというか、超人的というか……どちらにせよ、強いのは確かですか」
まるで小さなボールでも飛ばす様に軽々と空中に浮かんだ男の姿を見たプランクが息を飲み、スコットが尊敬の念に眼を輝かせる。
その視線を受け止めながらケビンは浮かぶ男を無視し、銃弾を他の数人に浴びせかけた。
椅子を叩き込んだ相手が持っていた銃だ。男が空中に吹き飛んだ事で手から離れ、自由落下していた事をケビンは見過ごさずに掴んでいた。
ケビンが放った銃弾は一分の狂いも無く乗客達の頭を撃ち抜き、倒れ行く乗客達に飛びかかる勢いで近づいてついでとばかりに銃を奪う。
それが床に落ちる事での暴発を防ぐ目的からの行動だという事はプランクやスコットにもすぐに分かった。その動きが隙になる事も含めて。
乗客達もそう判断したのだろう、虚ろな眼のままで背を向けたケビンに銃口を向ける。
だが、ケビンが振り向いて彼らを撃ち殺すのは、彼らが引き金を引くより早い。まさしく神速と呼べる速度だった。
見とれる様な、素晴らしい動きだ。だが、それを見ていたスコットは悲鳴の様な声を上げていた。
「危ないっ!」
それでも、幸運な事に銃弾が当たらなかった者は居る。たった一人だったが、その者は仲間の死など眼も止めず機械の如き正確さでケビンに向けて引き金を引く。
「こういうのを、何と言うんだったかな。ああ駄目だ、思い出せない」
その寸前、ケビンは何事かを呟いている。その言葉は誰の耳に留まる事もないくらいの小声だったが、もしも銃を持つ者に届いたとしても、意味を介する事は出来なかっただろう。
何故なら、その言葉に乗せるかのような動きでケビンは腰を低くして射線から逃れ、恐ろしい程の早さで相手に近づいて銃を横から奪い、そのまま相手を殴り倒していたのだ。
倒れ伏す者をゴミを見る様な眼で見つめつつ、ケビンは語りかける。
「残念賞だ。そして……残念ながら、お前にやり直しは無い、このままジ・エンドさ。おい、聞こえてるか? 返事してみろ、喋れないなら意思表示をしろ、でないと殺す」
それを聞いているのかいないのか、強烈な勢いで殴られたにも関わらず乗客だった物は痛みを感じさせない動きで立ち上がる。
同時に、ケビンはその者の首根っこを乱暴に掴んで壁に叩きつけた。
余りに勢いが良かったからか、蹴られた方の骨から嫌な音が響く。だが、そんな状況になっても眼は無機質なままケビンを見つめ、彼を何とか倒そうと足や腕が動いていた。
「返事はNO。残念だが聞こえていない、か」
意味のある言葉どころか、悲鳴の一つすら漏らさないその姿を見て、ケビンは相手が完全に意識の類を持っていないのかもしれないと考える。
ケビンが落胆を込めて呟いている間にも、その者は体を動かしている。腕はケビンの首を絞めようとして、足はケビンに足払いをかけようと必死になっている様だ。
「終わりだ。って、聞こえてないんだったか。まあ……もう永遠に聞こえる事は無いだろう」
哀れむ様な、だが恐ろしい程の殺気を込めた眼でその者を見つめ、ケビンは首根っこを掴んでいた手を離す。
唐突に絞め付ける力が無くなった為に、その者は精細を欠いた動きで体をよろけさせる。
そして、それほどの明確を隙をケビンは見逃さず、一切の油断も感じさせない動きで腹部に足を突き刺した。
その勢いは先程よりも更に強く、乗客だった者は壁に叩きつけられ、骨からも先程より更に大きな嫌な音が響く。
ケビンの足はそのまま腹部に突き刺さったままだ。その為、乗客の様な物は床に崩れ落ちる事も、倒れ伏す事も出来ずに壁へ縫いつけられていた。
「脅しても殴っても蹴っても絞めても反応無し、『質問』は無理か」
それでも声一つ上げずに抵抗しようと体を動かす姿を見て、ケビンは面倒そうに眼を細める。
相手が機械の様ではなく、ただ部品が肉で出来ているだけの、本当に機械だと確信したのだ。意識が無いというどころの騒ぎではない、本当に、生きているだけの死体の様だった。
ケビンがそう考えている間にも乗客、人間の形をした肉の機械が動き続けている。
その姿を見たケビンが思わずため息を漏らし、銃を構える。その状況に至っても、恐怖という感情が一切存在しないかのように『機械』はひたすら同じ事を繰り返していた。すぐに止められてしまう事など、分かっているというのに。
「じゃあな」
言葉と共に銃弾は、放たれた。
それは寸分違わず頭を撃ち抜き、途中で電池が切れた機械仕掛けの人形の様に『機械』は震わせて完全に動きを止めた。
「いずれ、会おう」
別れを告げる一言と共に、ケビンは心の底から同情する様な顔をした。だが、すぐに冷淡な顔に戻ると死んでいるかどうかを見て、完全に息絶えている事を確認する。
生きている間は『機械』だったと悟らせない程人間に見えている死体だった。
「……ふぅ。さて、片づいたぞ。プランク、スコット? ビビってないでそろそろ出てきたらどうだ?」
一度息を吐くと、ケビンは今までとは全く違う軽い調子で声をかけていた。
「助かりました、礼を言わなければなりませんね」
「良いさ、俺が殺されそうになったんだ。お前等を助ける前に、俺が俺を助けなきゃいけなかったのさ」
食堂には、もう三人以外の生きている人間は居ない。料理人にせよ、船員にせよ、乗客の形をした機械達にせよ、全員がもう殺されてしまっている。
「……よく、料理が口に入りますね」
「色々と慣れてるんだよ、俺はな」
周辺の死体を眺めつつも、プランクが呆れた声を上げていた。
血の臭いが強く、慣れているプランクですら息をするのが嫌になる状況だ。だというのに、ケビンは平気な顔で銃撃から逃れる事が出来た料理を口に放り込んでいた。
「すっげえ……」
その姿をスコットが輝いた瞳で見つめる。ケビンは銃を持った『機械』達を瞬く間に始末してしまった。それも、最初の動きでは銃の一つも持っていなかったのだ。
だというのに今のケビンは幾つかの銃を持って感触を確かめ、その行いを誇るでも卑下するのでもなく、自然な様子でその場に立っている。
「そうだ! それより、プランクさん……!」
ケビンの凄まじい技を思い出す様に、改めて周囲に転がる死体を眺めたスコットは何事かを思い出した表情でプランクの顔を見る。
それが何を意味するのかはプランクも分かっていた。何故なら、この部屋で見たその機械達の存在に心当たりがあるのだ。
「ええ、スコット。どうやらこの連中はこれだけではなさそうですね」
頷きながら、プランクが室内にある死体を幾つか調べていた。瞳孔や姿を確認して、動かない肉体の様子を見続けている。それこそ、標本を観察するかのように。
体を見終わると持っている銃や武装を確認し、プランクは面倒そうに、だが決意を秘めた顔で息を吐いた。
「行きますよ」
抑揚を感じさせない声音で言いながら、プランクは素早く扉に手をかける。声をかえけられたスコットは慌てた様子でそれに付いていこうとする。
二人共、ケビンの方を見る事は無い。認識していない訳でも、興味を持っていない訳でもない、ただ、他に優先すべき事を見つけた者の顔をしていた。
「待て」
去り行く二人を、ケビンが呼び止める。強烈な印象を与える、聞いた者の足を無理矢理にでも止めてしまえる様な声で。
だからこそ、本当なら足を止めるつもりの無かったプランクは足を止める。
「本当なら、お前等がコイツを操ってるんじゃないかと疑う所だが……」
半目で、剣呑な雰囲気のケビンが二人を見つめていた。自分達が疑われていると知ったスコットが慌てた様子で口を開いたが、プランクがそれを手で制する。
スコットが黙った事を確認すると、プランクは張り付いた様な笑みを浮かべてケビンの方へ顔を向けた。
それを見たケビンは、ゆっくりと笑みを浮かべていた。
「だが、俺は自分の勘を信じるぞ。それで……何人だ?」
どこか柔らかい口調で告げられた言葉が、『仲間の人数を教えろ』という意味だとプランクにはすぐに伝わってくる。が、プランクも本当の事を言う気は無かった。
スコットから話を聞いて目の前の男を信じては居たが、だからといって『薬』を運んでいる事を悟られるのは出来るだけ避けたいのだ。
「だから、数人だと言ったじゃないですか」
「ああ、カタギじゃないのはお互い承知だろう? だから、何人だ?」
プランクは誤魔化している事を巧妙に隠した口調で話した。だが、ケビンはあっさりと見破って、楽しそうに笑みを浮かべたまま声をかけていた。
一瞬、その声が響いたと同時にプランクから凄絶な威圧感が発せられた。少なくとも、スコットにはそう感じられた。
ケビンはそれを感じていないのか受け流したのか、笑ったままだ。それを見たプランクは諦めた様にため息を吐く。
「……船員と、乗客の約三割は私の側です。裏切り者が居なければね」
言いながら扉に手をかけ、外へ出ていく。今度はケビンも止める事は無かった。
ケビンは、扉の向こうへ消えていった二人の姿を一度だけ眺め、次いで周囲を見た。ケビン以外は誰も生きていない、その部屋の中を。
頭の中に、先程見た『ルービックキューブを持つ船員』の姿が浮かんで、ケビンはその者が居た席へ歩いていく。
「……居ない、か」
言葉通り、そこには誰も居なかった。死体も、血痕も無く、彼自身の記憶の中に居る船員はその場に座ったという証拠の一つも残していない。
「どこへ行ったんだろうな」
だが、ケビンの記憶の中には残っている。残っているのだ。
「まあ、その前にリドリーか。あいつ……馬鹿みたいな事をしてないと良いんだがな」
その記憶を頭に留めながら、ケビンはプランクが出た方とは逆にある扉に手をかけた。
食堂から出て、数メートル先の所で二人の男、プランクとスコットは沈黙していた。
その理由はお互いに分かっている。と、思っているのだが実は違う。
----流石に、これを指摘するのは可哀想ですね。良い笑い者です。スコットも恥ずかしいのか黙りっぱなしですし……
プランクは、彼ら彼女らが姿を見せた所から危険性に気づいていた。が、実はスコットは銃を乱射し始めるまで気づいてすらいなかったのだ。
それを知っているプランクは口に出すべきか迷っている。最初は注意しておくべきかと考えたが、スコットの事を考えると笑い話にも出来ないと思っていた。
----あいつら、俺達の……なら……プランクさんも気づいてるみたいだし……
それに対して、スコットは銃撃をした者達の正体に気づき、彼らがどこから来たのかを考えていたのだが、プランクはあくまでそんな事を考えていた。
二人の男は同じく黙り込みつつ、頭の中に浮かんでいる物は全く違う。その事に互いに気づかず、相手が自分と同じ事を考えているのだと思いこんでいた。
「ボ……プランクさん、やっぱり……あの連中……」
もし、彼らの頭の中を探る事が出来たなら滑稽に思えるだろう。だがスコットはそれに気づかず、沈黙を破って考えていた事を喋る。
「え……? え、ええ。そうです」
一瞬、何を言っているのかが分からず、プランクは思わず首を傾げた。が、数秒の沈黙で察したのだろう、他者には分からないくらいの哀れむ様な目をしながらも返事をして見せた。
プランクが乗客の形をした機械達に気づいた理由は、彼らの目だ。
「……カナエみたいな目をしていましたね」
頭の中に気に入った女の姿を思い浮かべてプランクは呟く。乗客達の目は一見すると一般的な物だったが、彼らだけはその奥にある『死んだ目』に気づく事が出来るのだ。
何故なら、その死んだ目は----
「あの薬の中毒者にありがちな症状、と言いますか」
彼らがホルムス・ファミリーに売り、この船内で運んでいる薬から来る物なのだから。
組織の中では一見して分かって当然だからこそ、プランクは彼らが動くまで気づかなかったスコットに呆れ、哀れんでいたのだ。
「ですよね、ボス。問題は連中の、いや、連中を動かしてる奴の目的ですが……」
プランクが自分へ妙な目を向けてくる事を不思議に思いながらスコットは心配そうな声を上げる。
勿論それはプランクも考えていた事でもある。自分達が自分達の売った薬で作られた『機械』に襲われるなど愚かな話だが、彼らはそれを素直に受け入れる事が出来た。
後悔したり面目を保とうとするよりは、次に何をすべきか考える事を優先するべきなのだ。
「目的は……分かりませんね。しかし、分かる事はありますよ」
「と、言うと?」
「連中の行動はほぼ間違いなく『皆殺し』です。人質を取る気も感じられませんし、何よりあんな中毒者にそこまで細かな行動は期待出来ません」
確信が籠もった声でプランクが言い、スコットが同意して頷いた。
彼らは知っている、その薬が強烈な力をもたらすと同時に、精神を破壊する物だと。
「……ともかく、行きましょう」
プランクは軽く息を吐き、歩き出した。唐突に歩き始めた為に、スコットが少し遅れて追従する。
行く場所は分からなかったが、スコットは一切の文句を言わずに付いていった。それはプランクへの信頼や、敬意を感じられる行動だ。
スコットが何も言わない理由を察したプランクは、だが顔には張り付いた様な笑みを固定させている。内心がどうなのかなど、悟らせはしない。
が、何を思ったのかプランクは足を止めてスコットの方へ振り向く。その顔にはほんの少し、ほんの少しだけ怒りと不安が混ざっていた。
「船長の居る所に行きましょう。あそこなら、船のカメラを見る事が出来ますから」
それだけ言うと、プランクはスコットの反応を待たずに、何も表に出さず歩いていく。表情からは察せないが、『機械』達を警戒しているのだと分かる動きをしている。
彼らも素人ではない、それなりの場数を踏んだ彼らの警戒は恐らく、小さな虫の気配も逃さないだろう。
+
精神をジェーンに奪われた『兵隊』達が動き出してから少し時間が経った頃には、船の中はすっかり静かになってしまっていた。今まであった人の息使いや気配が消えていて、聞こえて来るのは海と、船が確かに動いているという証拠の音くらいである。
今の此処を見て、誰が想像するだろうか。数分前までのこの船には何人もの一般人が和気藹々としながら歩いていて、それを避ける形で麻薬の売人達が部屋に籠もっていた、などと。
だが事が始まると一般人は通路に居た者も部屋で寝ていた者達も全て目が虚ろになり、売人達を躊躇無く虐殺し始めたのだ。
ある程度は危険な経験もして、船内の乗客の三割を占める売人達でも、倍近く居る七割の乗客が全員敵では話にならない。そもそも抵抗をする事も難しく、急に『兵隊』へと変貌した者達の軽機関銃で蜂の巣にされ、今はもう壁のシミになっている。
肉片や身体の一部が船内に転がる事などよくある事で、最早この船の中でそれに対して驚く者は殆ど居ないだろう。
しかし、生き残りが居ない訳ではない。幾ら『兵隊』達が大勢居るからと言っても所詮は人体の範囲内の身体能力しか持たないのだ。心臓や頭などを撃たれれば、当然ながら死ぬ。
そんな運良く逃げる事に成功した売人達は、その後で殺されてしまう者を除けば大半が----つまり、彼らのボスであるプランク達も含めて、ある船室へ向かっている。
船の重要な機能があるそこならば、ある程度の防衛能力があるのだ。そこに行けばある程度は安全になる。大多数の売人達は藁をも掴む思いでそこを目指していた。
ただし、何事にも例外はある。そもそも安全な場所が思い浮かばなかった者達だって売人の中には居る。
「……おい、誰も居ないか?」
「ああ、大丈夫そうだ」
「気を付けろよ、あんな訳の分からん連中に見つかったら終わりだ」
つまり、今、通路の隅で身を隠す三人も何とか生き残った売人達の内、そういう『安全な場所』を考える事も出来ない者達なのだ。
スーツを着た背の高い男、背の低い男、そして背が平均的な男と三人は計算されたかの様に並ぶ背格好をした者達だった。しかし、意図的にそういう組み合わせになった訳ではない事を、男達は知っている。
「他の連中は見たか……?」
「いや、駄目だ。もしかすると俺達と一緒だった奴らみたいになってるのかもしれねぇ」
心の底から暗い顔をした男がそう言って、苦虫を噛み潰したかの様な顔をした。仲間が殺されている事を、彼らは見聞きしている。他に生き残っている者が居るという確信もあったが、やはり危険な者は危険だ。
かく言う彼らも襲われていて、かろうじて生き残った彼らの内、平均的な身長を持つ男も怪我をして他の二人に支えられる形となっている。
「全く……重いんだよ、歩きにくいんだよ」
「何でこんな事してるんだろうな、俺達」
「……悪い、助かるよ。本当にな」
ここは見捨てて逃げるべき所なのだと二人は分かっている様だが、そうはしない。どうも、ある程度の良心は存在する様だ。自分のそんな所が忌々しいのか、男達は眉を顰めている。
助けられている男の方も、自分がどれだけ迷惑をかけているかを認識していた。彼を支えて歩くだけで機敏性も警戒も難しくなるのだ。その凄まじさと来たら、自分が居るだけで生存確率が落ちると思ってしまう程である。
それでも自分を捨てない二人に対して、感謝の気持ちを抱くのも仕方が無い事だろう。
麻薬の売人という仲間意識からは一見遠そうな彼らは、この非常時に於いては結束する事が出来ていた。
「とりあえず、どこかに隠れたいな……心当たりはあるか?」
未だに安全な場所を思い浮かべる事が出来ていない彼らの意志を統括するかの様に、二人に支えられた男が声を上げる。
通路の隅などという安心出来ない場所に息を潜めて長く留まる程、彼らは楽観的ではないのだ。
「……無い、ボスの居る所ならある程度……いや、駄目か、容赦無く鉄砲玉にされそうだな」
しかし、再び三人の意志を総括する様に背の低い男の方が返事をしていた。
彼らの言うボスことプランクがまだ生きている事を三人は半ば確信している。性格や技能云々ではなく、自らが生きていてプランクが死んでいる、という可能性がそもそも頭に浮かばない。
だが、プランクに頼るのは余りにも恐ろしかった。人の命を道端の雑草と同じくらいにしか思っていない人物だ、自分の安全を確保する為に彼らを盾にしても何ら不思議は無い。
この有事にそんな心配をしても無意味だと自分に言い聞かせた所で、普段から見知ってきたプランクの姿を無視出来る程に彼らは強くなく、割り切りも出来ない。
「と、なると……あの中の、どれかの部屋に逃げる。それ以外には、あるか?」
やはり安全な場所を思い浮かべられなかった背の高い男が、小さく呟いた。声の中には不安そうな色が大量に含まれていて、今にも震えだしそうな雰囲気が放たれている。
それも当然と言えるだろう。確かに彼らが隠れる場所からは、客室の扉が幾つか見えている。入ろうと思えば入れる筈だ。
しかし、それには大きすぎる危険性が伴っている。
「部屋の中に連中が居ないって確率はどのくらいだろうな……?」
「わからない、分からないが……半分って所じゃないか?」
男達の不安そうな声が示す通り、客室の中に危険な存在が居ないという保証は何処にも無いのだ。いやむしろ、居ると考えても良いかもしれない。
普通ならある程度のリスクを承知で探っても良いかもしれないが、相手が半端な数ではない事に気づいている三人には取りにくい選択肢だろう。
だが、その方法以外に三人が何か良いアイデアを思い浮かべる事は出来なかった。彼らはあくまで売人でしか無い為、この様な状況に対応する技能を持ち合わせている訳ではない。
「お前等、銃撃戦とかの経験は……?」
「無い。あるわけ無いだろ」
「銃弾飛び交う中を駆けて薬を売った事くらいはあるけどな……」
もしも、部屋の中に『兵隊』達が居ればそれで終わりだ。その事実が、二人の足を止めていた。
「しょうがないな……俺が、様子を見てくるっていうのはどうだ?」
だが、残り一人、不安そうな二人に身体を支えられた男だけは何やら覚悟を決めた様子で声を上げていて、強く拳を握り締めている。
その目は幾つかの客室を見つめていて、その中に『兵隊』達の居ない部屋はあるのか、と真剣に考えている様に思えた。
「いや、駄目だろ。お前、死ぬぞ? 折角俺達が何とか生かしてやってる状態だっていうのに、死ぬのか?」
背の高い男から、強い口調で否定の言葉が飛んで来る。どこか心配する様な気配の含まれる声は、聞いた男を少しだけ喜ばせた。その様な反応が来る事くらい、予想は出来ている。
「あのな、色々言ったって俺達じゃ突破は無理だし、被害は最小限にするべきだろ? 俺が部屋を開く時は、お前等は遠くから眺めてれば良い。連中が居たら、俺が死ぬだけだ」
「いや、だけどな……」
「別に良いだろ。俺達は別に、仲間意識とかそういうので組織に居る訳じゃないんだ。そっちの方が金になるから、そうだろう?」
背の低い男からも止める様な言葉が出たが、それを遮る形で男は諭す様に物を言う。間違いなく、彼の言う事は正しかった。彼らは所詮、利益で繋がっているに過ぎない。
危機感でこの場限りの仲間意識を作ってどうするんだ。男の目ははっきりとそう言っていた。
「他の部屋にも連中が居た場合でも大丈夫だ。かなり優れた防音性のある部屋らしくてな、例え俺が銃をここでぶっ放しても、部屋の中には届かない」
それでも不満そうな顔をする二人の男へ、一人の男は更に続ける。既に覚悟を決めた彼にとっては、この二人に止められた所で何か気持ちが変わる訳ではない。
あくまで、邪魔をしないで欲しいという気持ちがあるだけだ。
「……もう、助けないぞ。逃げるからな、俺達は」
言葉の中にある強い意志を感じたのか、スーツを着た背の高い男が諦める様にそう言って、男を支える事を止める。背の低い男も同じ気持ちなのか、似た様な顔をして同じく支える事を止めた。
二人の目に、心配する気持ちは見えてこない。どちらかと言えば、いざという時に盾に出来る物を失ったという残念そうな意志が見える。
恐らくは本人達も気づいていないのだろう。もしかすると、自分達は本気で心配しているのだと錯覚しているのかもしれない。そう考えた男は、壁に手を置いて身体を支え、立ち上がる。
「もし部屋に誰も居なかったら、危険に挑戦した事への礼くらい言ってくれよ」
「ああ、分かってる。失敗したら逃げるから、何も言えないが」
背の高い男の声を聞きながら、男は歩いていく。腹部に銃弾を受けた彼は血を流していて、歩くのは難しい。だが、自分はもう死んでいる身だと身体に理解させれば、何となく動ける。
彼が動いている間に、背の全く違う二人が彼の隣を物音を立てない様にしながら通り、遠ざかっていく。
丁度影になる様な部分を見つける事が出来たのか、二人は視界に入るか入らないかという場所で止まる。すると二人は顔だけを出して、様子を窺ってきた。
少しだけシュールなその絵面に、男は笑う。自分が死ぬと分かっている、というのは何とも恐ろしい事だが、生憎、彼はもう慣れてしまった。
慣れというのはもっと恐ろしい事で、自分の死すら軽いジョークにしてしまえそうだ。初めての感覚だが、悪くないと男は考える。
「……よし、まずは……此処だな」
そうしている間に、男は最初に中を確認する部屋を選ぶと、その扉の前で立ち止まった。この部屋の中にあの『兵隊』達が居ればもう終わりだが、男は迷わない。
部屋の内部を何とかして探ろうとすらしなかった。自分の死を完全に覚悟した、いや、諦めた彼にとっては大した事ではないのだろう。
扉の前で立ち止まった彼は、懐から銃を取り出す。内部に『兵隊』達が居たとしても、相手が反応するより早く撃てば良い。
ただ、相手が一人か二人だった場合に限られる為に、それ以上居た場合は焼け石に水にしかならないだろう。
分かっていても銃を持つ彼は、ゆっくりとドアノブを手に取り、そして----開いた。
「ああ、失敗か」
男が、諦めた様に呟く。
室内には、五人程の『兵隊』達が居た。虚ろな目をして銃を握る彼らは、どうやら武装のチェックをしていたらしく、幾つかの武器は床に転がっている。その中には、銃なども含まれていた。
つまりそれは、数秒は銃を撃たれる心配が無いという事だ。
----だが、一人くらいは削っておかないとな!
勿論、その程度の差があった所で死ぬ時間が延びる以外には影響が無いのだが、それが分かっていても男は引き金を引いた。
だが、怪我の影響か照準は定まらず、弾は『兵隊』達の肩や腹部に当たってしまう。
それだけでも相手が普通なら怯ませる、または動きを止める事くらいは可能だろうが、薬物で精神を奪われた彼らは痛みや苦しみも消し去られているのだ。
受けた銃弾に構わず、『兵隊』達は銃を手に取った。命乞いの一つでもするべきかと考えたが、自分の命を諦めた男は自分の思考にすら構わず銃弾を撃ち続けた。
その内二発が、偶然なのか『兵隊』達の二人の胸に直撃する。
だが、既に引かれた引き金から力が抜けた所で、意味は無い。死んだ『兵隊』達が持っていた銃から発せられた銃弾は間違いなく男を貫き、命を奪う。
「……あーあ、やっぱり駄目か」
強い諦観はとうとう言葉になって現れた。体中を撃たれた自分が何故まだ意識を持っているのかは分からなかったが、どれにせよ死ぬ事は確かだ。
男は後ろ向きに倒れて行った。すると、視界の奥に二人の男の姿が見える。向こうからもこちらが撃たれた事は分かっているのか、既に彼らは逃げる姿勢に入っていた。
----ああ、そうだ。それでいい。
自分の言う通りに逃げようと動く二人へ、男は笑みを向けた。見捨てられた、などとは思わない。むしろ自分の指示通りに動いてくれて、良かったと思うくらいだ。
----それにしても……どうして俺はこんな事をしたんだろうなぁ。こんなのは、柄じゃないつもりだったんだが。
倒れていく瞬間は、体感時間としては随分長く感じられる。その中で、男は少々疑問を抱いた。
彼もまた、麻薬の売人の一人である。仲間意識など欠片も無く、他人を生かそうという気概など自分には無いとばかり思っていたのだ。
それが今は、この有様である。疑問に思うのも当然と言えるだろう。
----何でだ? 何でだろうな……? いや、ああ、なるほど……
体感的には数十秒程考え込んだ男は、気づいた。自分は死ぬと考えたから、こんな事をしたのだ。もしも、支える男がプランクであればこうはならなかっただろう。生き残れる希望がある。
だが、あの二人の男では余り期待出来ないのは真実だ。
----まったく……俺も、バカだな……
ついに身体が床へ落ちた男は、ぼんやりとした思考の中で納得した。
つまり、死ぬ時になって一度くらいは良い事がしたくなったのだ、彼は。
男が床に倒れてから数分後、その場では残った三人の『兵隊』達が周囲への警戒を強めている。勿論、そこには共に居た二人を弔う気など欠片もない。
ただ、機械的に五つある内の二つが減ったと認識するだけだ。その目はやはり虚ろで、銃を握る手には覇気の欠片も感じられない。
二人の男達は何とか気づかれずに逃げ仰せたらしく、機械の様に周囲を見回した彼らは誰も居ない事を確認する。
そして、部屋に戻っていこうとした『兵隊』達の耳へ、奇妙な笑い声が響く。
「あ、あひひぃ、ひひひっ! ひひあひゃひゃひゃひゃ!」
耳を塞ぎたくなる様な笑い声に反応して音のあった方向を見ると、圧倒的な喜びと楽しさを身に纏った、おぞましい程に美しい女が刀を片手に飛び込んで来た。